108 「バンドどころじゃなくなっちゃったね」と話す二人。お客さんがいないのをいいことに彼女たちの会話に混ぜてもらったところ、さっきは詳しく聞けなかった、安室さんがポアロでギターを披露するに至った経緯を教えてもらうことができた。 なんでもバンドでギターを担当する人材を探していた際、未経験の梓さんを勧誘した園子ちゃんが「ギターはちょっと練習すればすぐ弾けるようになるって」と大口を叩いたところ、たまたま隣のテーブルに座っていたバンドマンに「だったら弾いてみろ」と無茶振りされたのだそうだ。もちろん園子ちゃんにもギターの経験はなく、しどろもどろになる彼女のことをバンドマンは大いに嘲ったという。初めて扱う楽器に戸惑う園子ちゃんと空想のバンドマンを頭の中で思い描き、顔を歪めてしまう。 「いじわるなお客さんだね…?!」 「そうでしょ?!わたしも失礼なこと言ったと思うけど、普通あんな恥ずかしいことさせる?!」 「園子…」 その場がどう収まったのか想像もつかないまま、園子ちゃんの話に真剣に耳を傾ける。 途方に暮れた園子ちゃんの背後に現るは安室さん。ついさっきまで給仕の仕事をしていたはずの彼は、貸してと言って園子ちゃんからギターを受け取ると、華麗な指さばきを披露してみせたのだった。それはそれは見事な演奏で、園子ちゃんにマウントを取っていい気になっていたバンドマンもぐうの音が出ないほどだったという。 「それからさらっと、「この子たちもちょっと練習すればこのくらい弾けますよ」って言い返してくれたの!」拳を握って熱く語る園子ちゃんに、わっと拍手を送る。園子ちゃんのピンチを救った安室さん、なんてかっこいいんだ!経緯を踏まえて安室さんがギターを弾く姿を想像すると五割増しでかっこよく思う。見たこともないのに想像だけでかっこいいよ! 「安室さんかっこいい〜!」 「ほんとかっこよかったよ!さんも今日バイト入ってたらよかったのに!惚れ直しちゃうって絶対」 「く、悔やまれるよ……」 しみじみ思う。わたしは安室さんの助手ではあるけれど、残念ながら恋人ではないので、そういうかっこいいことを進んで見せてもらえる立場ではないのだ。だから偶発的に見えるかっこいいポイントは漏らさず押さえていきたいと思っているのに、今日はもったいないことをしたよ。あー、誰か録画してたりしないかなあ……。カウンターに頬杖をついて天井を仰ぐ。ふと、あるものが視界に入った。ピンッと背筋を伸ばす。 「あった!」 「何がですか?」 蘭ちゃんたちにも見えるよう、それを指差す。 「防犯カメラ!」 三人の視線が、店の入り口付近を映すドーム型のカメラに集中する。そう、ポアロにも防犯カメラはついている。録画を見返したことは一度もないけれど、それが入り口右手の天井に設置されていることは知っていた。 「あー!いいね、名案じゃん!」 「ね!音声は残ってないかもしれないけど、この際弾いてるところだけでも見たい!」 「そ、そんな理由で再生させてもらえるんですか…?」 苦笑いの蘭ちゃんの懸念はマスターに頼み込むことでなんとかなると思いたい。いやあ、よかったー、今日という日を一生後悔するところだった。安室さんの勇姿を見られると思うと心は晴れやかで、胸に手を当て深く息を吐く。なんだか心なしか身体が軽い。早く見たいなあ、楽しみだなあ。 「さん。頼みたいことがあるんですが」 呼ばれた声に振り向くと、高木刑事が地下からの階段を上がって来ていた。見とめた瞬間、現実に引き戻されるかのように背筋がスッと凍る。……ば、バカわたし、捜査中になに浮かれてんだ…!慌てて居住まいを正すも、良くも悪くも高木刑事からの反応はない。 「は、はい、なんでしょう!」 「事件後に退店した利用者を教えてもらえますか?事情を聞きたいので」 「はい、すぐにわかります」 言われるがまま、受付票をまとめたバインダーをカウンターの下の棚から引っ張り出す。今日はもう使わないと思っていた。あれから帰ったのは二、三グループだったはず、と一覧になっている紙の上から退室時間をなぞっていく。該当グループの欄外に赤ボールペンでチェックを入れて差し出すと、高木刑事はありがとうございますとお礼を言って受け取った。 その人たち、帰さないで引き止めておけばよかったかな。でも刑事さんや安室さんからは何も言われなかったしなあ。捜査が進んで、あの三人以外にも事情聴取する必要が出てきたのかもしれない。高木刑事が持つバインダーをぼんやりと見つめる。 「あ。そういえばさん、念のためですが…」 「はい」 「今日、被害者の山路萩江さんと揉めたグループと知り合いだと聞いたんですが、本当ですか?」 「……あっ、はい、そうです。グループのうちの一人とだけですけど」 クラスメイトの男子ことだ。そういえば山路さんに怒られていたっけ。今日の出来事なのに、彼のグループが時間を守らなかったことや、山路さんが激昂したことや、精算中の居心地の悪い会話が、遠い昔のことのように感じる。 「今、下にいる三人以外の犯行の線を追うところなんですが、あのスタジオの状況を知っている人かつ萩江さんとトラブルのあった人やその関係者となると、受付の人もじゃないかと彼女たちが…」 「えっ?!」 「ちょっと、さん疑ってんの?!」 予想外の方向から疑われ瞠目してしまう。そんな、わたしここに立ったの久しぶりなのに。園子ちゃんもガタンと椅子を揺らして立ち上がり、非難の声を上げてくれる。剣幕に押されたせいか、高木刑事は苦笑いで、いや、とバインダーを持ったまま両手を挙げた。 「さんは事件前、彼女たちにスタンドマイクの位置を動かすよう申し出ているからその可能性はない、とすぐに安室さんが否定したので……。容疑は晴れているんですが、念のため揉めたグループとの関係について確認をと思いまして」 安室さん…!思わず両手を組んで拝んでしまう。わたしの潔白を安室さんが証明してくれたことが嬉しかった。スタンドマイクの位置を動かすよう言ったことにそんな力があるとは思い至らなかった。言われてみればそうだ、だって防犯カメラが遮られてなければ、この事件は起こってないんだから。 わたしが動かせていれば。 「なんだ、紛らわしいわねー」 「あはは、すみません…。さん、ちなみに知り合いはどのグループの人か聞いてもいいですか?」 「あ、はい」 ふんと鼻を鳴らしてイスに座り直す園子ちゃん。受付票の一覧を差し出す高木刑事。手元を見下ろす。コピー用紙に手書きで書き込まれた代表者名と利用時間と部屋番号。頭の回転が鈍い。今日という日は、やっぱり一生後悔するかもしれない。 |