106


「ではこういうことかね?」


 駆け付けた警察が一通り事件現場での捜査を終えた現在、フロントでは容疑者らに対し死亡推定時刻前後の行動について事情聴取が執り行われていた。
 先程捜査に立ち会った段階で、防犯カメラだけでなく鏡張りの壁にカーテンが覆われている状況も彼女らの通常であったことがわかった。おそらく、状況が犯人に味方したのではなく、事前にこれを知っていた犯人が、犯行に利用したのだろう。目暮警部も言っていたが、起こるべくして起こった事件だ。予想は大体当たっていたな。誰にも見とめられないよう、小さく息を吐く。

 やはりは間が悪かっただけだ。犯行に移せる現場の状況が整った日に、彼女が受付をしていたにすぎない。
 もっとも、が無理にでも彼女らに携帯を移動させていたなら、山路萩江の死は今日に起きてはいなかっただろう。そういう意味では、が事件にまったくの無関係とも言えない。もちろん、極端な言い方をすればの話であって、本来責められてしかるべき立場でもないのだろう。ただ、深刻な見方ができる以上、は罪悪感に駆り立てられる。こういうときの彼女は能天気ではいないから、「君のせいじゃない」などと楽観視する言葉をかけられたところで、表向きはどうであれ、心のうちでは違うと否定するだろう。僕もにかける言葉としてそれが完全に適切とは思えなかった。まさか、責めたいなどとは思っていない。気に病まないでほしいのも本音だ。ただ、僕が言おうとも、彼女の中で白々しい嘘になる言葉がある。それを口にすることはおそらく、どちらにとっても幸せじゃない。
 青い顔をするの置かれた立場を慮って湧いた感情は、おそらく怨嗟に近いものだった。腹の底に粘着性の黒い液体が溜まっている感覚。当然、彼女相手にではない。彼女に罪の意識を与えた犯人を、僕は恨めしく感じているのだろう。にはできる限り常に健やかな精神でいてほしいのに、であることに何のこだわりもない人間が不用意に傷つけてくれるなと思う。

 カウンターの外側からモニターを見るの気配を感じ取る。不安なのか心細いのか、警察に受付を明け渡したあとはずっと僕のそばにいた。


「じゃあ次に起こしに行ったのは?」


 警察は被害者である山路萩江を順番に起こしに行ったという三人の証言を照らし合わせていく。笛川唯子の次は木船染花らしく、彼女は自分のギターがメンテナンス中で、代わりのものを店で借りたと言った。


「練習中にそのギターの弦が切れやがってさ……」


 びくっとの肩が跳ねたのを視界の隅で捉える。そういえば休憩所でそんな話をしていたな。被害者の山路萩江が休憩所を出て行ったあと、笛川唯子が上着のボタンの修繕、木船染花が弦の張り替え、キーボードの小暮留海が曲の変更をしたいと言っていたはずだ。


「店で借りたギターなら店の人に張り替えてもらえばよかったんじゃないのかね?」
「張り替えもチューニングも自分でしたかったんだよ!それに今日のスタッフ、素人っぽかったし……」


 木船染花と目暮警部、高木刑事の視線がこちらに向けられる。隣で身を小さくするを見下ろし、申し訳なさそうにする表情にさすがに気の毒に思う。彼女が臨時のスタッフであることは警察が到着した当初に伝えてはいるため、木船染花の主張には彼らもすぐに納得の色を示した。防犯カメラには一人目の笛川唯子と同様に証言通りの姿が映っており、かつ位置的にドラムとかなり近い場所で行われていたことが見受けられた。


「そのときの萩江さんの様子は?」
「ドラムのハイタムに突っ伏して腕で顔を覆うように寝てたよ……萩江はいつもそうしてたし」


 その体勢なら、すでに死んでいても気付かない。同じことを考えたらしい世良真純と揃って指摘すると、暗に殺害を疑われた笛川唯子が激昂したため、たとえばの話だとなだめる。
 三人目の小暮留海は部屋奥に置かれたキーボードを手前に移動させ、カメラに背を向けて座る様子が映っていた。山路萩江を起こさないようドラムから距離を取りなるべく静かに楽譜の手直しをしていたという彼女を含め、三人とも十分ほど部屋に留まっていたようだ。

 一通り話を聞き終えたあと、絞殺に使われたヒモ状の凶器を探す流れになった。目暮警部は容疑者三人に対し、ボディチェックを受けたあと地下の休憩所で待機するよう要請する。階段を降りていく容疑者と警察が見えなくなり、受付には僕のほか、とコナンくんと世良真純、蘭さん、園子さんが残った。事件現場はまだ鑑識が調べている最中だ。遺体が運び出される前にもう一度見たいところではある。しかし目暮警部の言う通り、凶器の早期発見が望ましい。そのためにも目撃情報は漏らさず聞いておきたいところだ。思い、休憩所への階段を不安げに見つめるに声をかける。


が受付にいて気になったことはあるかい?」
「いえ、特には…。三人の話も記憶と変なところはありませんでした。四人が順番に前を通ったのも見ています」
「じゃあ、彼女たちが持っていた物なんかも覚えてる?それこそ、凶器になりそうな物とか」
「えっと…」


 顎に手を当て回顧する。「山路さんは特には……笛川さんは上着とカバン、木船さんはわたしが渡した替えの弦とニッパー、小暮さんは確か、このくらいの何か、USBみたいなものを…」手振りから、片手で握って見えなくなる程度の小さい何かが連想される。なんだ?キーボードを弾くのに必要な物とも思えない。右手を軽く握って大きさを表現しようとするのそれを見下ろす。と、あることに思い当たる。


「もしかして、爪切りか?」
「あっ、そのくらいの大きさです!」


 そんな話も休憩所でしていた。おそらく当たりだろう。……待てよ、あの人は確か……。


「……」


 ふと気になり目を向けると、近くで僕らの話を聞いていたコナンくんと世良真純も真剣な面持ちで考え込んでいるようだった。どうやら着眼点は同じらしい。


「あと、三人ともペットボトルは持っていたと思います!」


 思いついたように声を張るに向き直る。飲料水か。犯行に及ぶ前に起きられでもしたら台無しだから、睡眠薬を飲ませたいと思うかもしれない。だとしたら飲み物に混入させるのが定石か。新品でもない限り開封済みのペットボトルに入れられたら気付かれることはない。僕も同じことをにした。………。


「はっ……」


 思わず自嘲してしまう。手で覆い隠すが、己の薄気味悪さににやける口元が抑えられなかった。
 なにが健やかな精神でいてほしいだ。他でもない自分が、彼女に罪悪感を味わわせているというのに。


「安室さん?何かわかったんですか?」


「……いや、なんでもないよ」ただ僕は、君だからこそ傷つけているのだけれど。


top /