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 すぐさま受付を代わった友人にギターの弦の場所を問うメッセージを送り、返信を待つ間受付の引き出しを探し始めた。インターネットで調べたところ弦はCDが入るくらいの薄くて四角いパッケージに入っているみたいなので、かさばるものでもないからどこかにまとめてたくさんしまわれている気がする。けれどそもそもこういう場所に置いておくものなのかはわからない。受付のカウンター内には筆記用具や貸し出し用の物品がいろんな場所にあるため、片っ端から見ていけば見つかる気もするけど、いかんせん確信が持てない。
 だとしても、あのお客さんの休憩が終わるまでに見つけなければ。しゃがみ、カウンターの下のスペースに積まれた引き出しを上から開け、漁っていく。ボールペンの予備や消しゴム、白紙の受付票なんかがしまってある、事務用品の棚みたいだ。ちょっと系統が違うかもしれない。もしかしたらスタッフルームにあるのかな。あそこはあんまり立ち入らないし雑然としてるから、ここ以上に何が置いてあるのかわからないんだよなあ……。


「あれ?受付の人いないね」


 自動ドアが開いた音とともに聞こえた声に、焦っていた気持ちが強制的に上を向く。お客さん来た。「いらっしゃ――」立ち上がりカウンターから姿を見せる。


「あれっ?!」
「えっ?さん?!」


 まずはじめに、一番後ろに立っている安室さんに目が行った。それから、手前に、帝丹高校の制服を着た蘭ちゃんと園子ちゃんと、私服姿のコナンくんを見とめる。あと一人、蘭ちゃんたちと同じ制服のショートヘアの女の子もいるけれど、お友達だろうか。彼女は状況が掴めないからか、驚く蘭ちゃんたちの様子を横目でうかがっている。
 とにかく、予想だにしなかった御一行の来店に目を白黒させるわたしに対して、蘭ちゃんや園子ちゃん、さらには安室さんまでもが瞠目しているようだった。


さん、ここでも働いてたんですか?」
「いや、今日は友達の代打でたまたま……蘭ちゃんたちこそどうして…?」


 安室さんまで、というニュアンスは目線で伝わっただろうか。だって安室さん、確か今日は夕方までポアロのシフトが入っていたはずだ。上がる時間は過ぎているけど、この時間に来るには仕事が終わってすぐじゃないと間に合わない。いったいどういう流れで蘭ちゃんたちと貸しスタジオに来たんだ…?
 訝しむわたしに、実は、と経緯を説明してくれた蘭ちゃん曰く、女子高生三人で年末の演芸大会でバンドを披露する計画が、園子ちゃん発案で急遽立ち上がったのだそうだ。ベース、キーボード、ドラムは決まったものの、ギターを弾ける人がおらず困っていると、話し合いの会場にしていたポアロで働いていた安室さんが経験者であることが判明し、練習を見てもらうため貸しスタジオに来たのだという。突然飛び出した初耳の情報に開いた口が塞がらない。手で隠し、彼へ向く。


「安室さん、ギター弾けるんですか…?!」
「嗜む程度だよ」
「超うまかったんだよ!ジャジャーンって!ねえ蘭!」
「うん。だからぜひ教えてもらおうって」
「弾いてもらったの?!いいなあ…!」


 ものすごく聞きたかった…!そんなレアイベントを逃してしまったことにとてつもない悔しさが襲う。思わずカウンターに手をつきわなわなと身体を震わせる。ギターを弾く安室さん、想像だけでかっこいいよ。生で見たくてたまらない。
 ポアロで弾いたというけど、ギターは誰が持ってたんだろう。今、安室さんを含め全員の荷物にギターは見当たらない。ありさえすれば弾いてもらえるのかな、ここの借りて弾いてもらえないかな……。


「そうだ、さんは楽器できる?わたしたちとバンドやろうよ!」
「ご、ごめん何もできない……けど、安室さんのギターは聞きたい!」
「君は仕事中だろう」


 そうだけども!いやそうとわかっているからこそ悔やまれる。自由の身であれば安室さんのミュージシャンな姿が見られたかもしれないというのに!
 ひどくもったいないという気持ちで安室さんを見上げる。決して前に出ず、蘭ちゃんたちの後ろで腕を組んでいる安室さんは、この話に積極的に混ざろうという意思が感じられなかった。それどころか、彼の表情が、どこか神妙そうに翳っていることに気がつく。わたしと合った眼差しが、まるでやんわり遠ざけようとしているようにすら見え、思わず戸惑ってしまう。き、気のせいかな……。


「どこかで見たことがあると思ったら、この人がさんなのか?」


 今まで一言もしゃべらずわたしたちのやりとりを見ていた黒髪の女の子は、鈴がカラカラと鳴るような心地よい声で園子ちゃんに問うた。うん、と肯定する園子ちゃんから目線を移し、わたしと合わせる。キリッとした大きな目、かっこいい顔立ちだ。思いつつ、初めましてとあいさつする。
 あれ、でも今、どこかで見たことがって?


「世良真純です。ずっと謝りたいと思ってたんだ」
「え?」


 せらますみ、という名前に既視感を覚えてすぐ、告げられた言葉に首をかしげる。初対面だと思うのだけど、まるでわたしのことを知っていたかのような口ぶりだ。もちろん心当たりはない。


「前にコナンくんとあなたが誘拐されたことがあっただろ?ボクがバイクで犯人の女を吹っ飛ばしたら、あなたに当たって気絶させちゃって…」
「……ああ!あのときの!」


 思い出した!樫塚圭さん、いや偽名だったのだけれど、あの事件で、銀行強盗犯に人質として捕まったコナンくんを助けようと車を出たら、犯人が飛んできて、ぶつかった勢いで後ろにあった車のドアに頭を打って軽い脳震盪を起こしたのだ。そういえば蘭ちゃんの友達がバイクで殴ったって言ってたっけ。バイクと聞いて勝手に男の子を想像してたけど、女の子だったんだ。


「あのときはすいませんでした!ついカッとなっちゃって」
「いえ全然!何ともなかったので」


 申し訳なさそうに頭を下げる真純ちゃんに気にしないでくれと言わんばかりに手を振る。そういう事情ならば、真純ちゃんとは実質初対面だ。
 でも、せらますみという名前は、やっぱりどこかで聞いたことがある。どこだっけ?既知を確信しているのに今しがた知った本人の印象が強くて、名前だけを知っていた頃の感覚が薄れてしまう。なんかむずむずするな、喉の奥がかゆいみたいな……。
さんは安室さんの助手やってんだよー」園子ちゃんの紹介に気を取り直して大きく頷くと、「へえ、この人の……」真純ちゃんは後ろに立つ安室さんを意味深に見遣った。安室さんは安室さんで、肯定も否定もせず彼女を一瞥したと思ったら、あっさり園子ちゃんに笑顔を向ける。


「それより園子さん、受け付けを早くしたほうがいいんじゃないですか?」
「あっヤバ……そうだった」


 思い出したように園子ちゃんがカウンターに手を置く。さっきから安室さんがほとんどリアクションをしてないことに釈然としないながらも、ここでようやく、彼女たちの目的と、自分の立場と、今の店の状況が一直線に繋がったのだった。あっと口を開ける。


「ということだからさん、一部屋借りたいんだけど!」
「ご、ごめん……今満室なんだ」
「えーっ、ウソ?!」


 園子ちゃんの残念そうに下がった眉に申し訳なくなる。なんて察しが悪いんだわたし。希望に沿えないことをもっと早く言ってあげるべきだった……。「ごめんね、あと一時間くらいで空くから、受け付けだけして待っててもらえると助かる…」予約簿を開き、待ち時間に相違ないことを確認する。すぐ借りられないことに今日の利用を躊躇する園子ちゃんたちだったけれど、先に楽器だけ借りて地下の休憩所で曲の雰囲気を教えるとの安室さんの提案により、待つことを決めたらしかった。


「へえー。アンタ、ベースもできるんだ?」
「ええ……君の兄の友人より上手いかどうかは保証できかねますけどね」


 代表の園子ちゃんに受付票を記入してもらっている間、ベースを用意しておく。今度は切れないやつを渡さなければ、と慎重に見定めようとするも、弦の消耗具合なんてわたしにわかりっこなく、結局勘に頼って選ぶほかなかった。
 それにしても、安室さんは多才だと知ってはいたけれど、まさか音楽方面にまで明るい人だとは想像してなかったなあ。新たな一面に対する余韻に浸りながら、どうぞとベースをカウンターの上から差し出すと、真純ちゃんがありがとうと言って受け取る。
 安室さんが依然、カウンターに並ぶ三人の女子高生とコナンくんの後ろで待っているのは視界に入っていたけれど、その瞬間、彼が眉をひそめた気がした。とっさに目を向けると、わたしに気がついた安室さんは、けれど取り繕うこともなく、何か言いたげな眼差しのままこちらを見ていた。
 思わずたじろいでしまう。な、なんだろう。安室さんの言いたいことを推測して、すぐ、一つ思い当たった。「えっ」口に手を当て、おずおずと彼をうかがう。


「ポアロって掛け持ちダメでしたっけ…?!」
「だとしたら僕もダメだな」


 違った。バイトを掛け持ちしてる風なのを咎められるのかと思ったけれど、言われたら確かに安室さんも探偵業の傍らポアロでバイトしてるんだし、同じだった。じゃあなんだろう、とあてもなく考えているうちに、園子ちゃんの記入が済み、彼女たちは休憩所に移動していってしまう。安室さんも「仕事頑張ってね」と優しい激励を残し、彼女たちと共に背を向ける。
 階段を降りていく御一行を見送りながら、余韻が、羨望の感情へと変化し、瞬く間に膨れ上がっていく。いいなあ……。今日、もし代打に入ってなくて、お昼からポアロに入り浸っていたら、安室さんのギターは聞けたし、練習にも同席できてたかもしれない、のかあ。クラスメイトの男の子に嫌な気分になったり、お客さんの前で赤っ恥をかくこともなかった。そう思うと、なんていうか、安室さん風にいうと、今日は「間が悪い」のかもしれない。
 でも友達の助けにはなりたかったしなあ。はあ、と溜め息をついたタイミングで、ポケットの携帯が振動する。もしかして安室さん?!とにわかに沸き立った心で画面を見ると、まさにその友人から弦のありかの返事が来ていた。そうだ忘れてた!


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