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 まず故障を疑いテレビやレコーダーを調べるも、取り立てておかしな部分は見つからない。それに、どうも異常は一つの部屋の映像だけで、全個室を一覧に表示させようが、その部屋だけを全画面に映そうが、決まって右半分が黒く塗りつぶされたみたいに映らないのだ。だから多分、録画機器のせいじゃなくて、この部屋のカメラがおかしくなってしまったんだろう。
 店長に報告したほうがいいかな。逡巡したけれど、その前にカメラを見に行ってみようと思った。できれば連絡せずに解決させたい。なぜかというと、わたしが正式なスタッフでもなんでもない、ただの部外者だからだ。

 部外者が受付に立つことに、店長はいい顔をしていない気がする。それでも自分含め他のスタッフが入れないから、一時的に認めているにすぎない。というのが、友人越しになんとなく伝わってくる。そりゃあ、受付では金銭や高価なレンタル楽器を扱うのだから、慎重になって当然だ。にも関わらず何だかんだ良しとされているのは、何もわたしという人間への全幅の信頼などではなく、身分証や友人、何より入り口からフロントまでを映す防犯カメラへの信頼があるからだろう。かくいうわたしも、友人の助けになればと思ってのピンチヒッターなので、務めさえ果たせれば他の人が何に信頼を置いていようと構わない。

 という個人的な事情から、できれば店長となるべく接しないまま今日を終えたい気持ちが強い。もちろんバンドの人たちの練習を中断する罪悪感だってある。それにこの部屋は、特に入りづらい。


「山路さんたちの部屋だよなあ…」


 カメラに映る女性たちの姿をじっと見つめる。先ほど入ったばかりの、女性だけの4ピースバンドだ。ただでさえスムーズにご案内できなかった負い目があるのに、加えてボーカルの人が亡くなっているという事情まで知ってしまったら、気の毒で他の利用者と同じ応対ができる気がしなかった。
 ぐうと顎を引いてしまう。躊躇は果てしないけれど、何かあってからじゃ遅いし、このまま放置するわけにもいかない。一人で受付を任された責任に後押しされるように、わたしはなんとかカウンターを出たのだった。

 一枚目のドアをノックし、反応はなかったけれど開ける。二枚目のそれも閉じ切っていたけれど、中に人がいることはわかっていたので再度ノックしようと手を伸ばす。小窓越しに人の存在を確認し、同時に、手前に置かれたあるものに目がいく。


「はい」


 ドアを開けてくれたのは一番近くにいた小柄な女性だった。さっき喧嘩を止めてくれた人だ。演奏が止まったスタジオに立ち入り、すみません、失礼しますと断りを入れながら、入り口の近くにたちそびえる棒状のそれを見上げる。


「この部屋の防犯カメラが映らなくなっていまして……あの、これは…?」
「ああ、携帯のカメラで演奏を録ってるんだよ」


 最初は何かと思ったけれど、説明を聞いてよくよく見てみると、限界まで延ばしたスタンドマイクに自撮り棒をくっつけ、上からのアングルで録画できるよう作られた手作りの装置だった。それがちょうどドーム型の防犯カメラの前に置かれているものだから、多分携帯が、防犯カメラの画角の右半分に映り込んでしまっているのだろう。
 故障じゃなくてよかった。内心ほっと安堵する。これなら、スタンドの位置を少しずらしてもらえば済む話だ。


「申し訳ございませんが、防犯カメラを遮らない位置に動かしていただけますか?」
「えっ…」
「すみません、できたらこのままがいいんですけど、駄目ですか?」


 そう言って、眼鏡をかけた一つ結びの女の人が歩み寄ってくる。防犯カメラの左半分に映っていた、キーボードの人だ。あっさり解決と思いきや渋られてしまったことに動揺していると、今度はギターの黒髪の人が、立っている場所から声をかける。


「ウチらいつもこうしてるよ。他の店員さんには大目に見てもらってたけど?」
「えっ」


 思わず顔が引きつる。げーっ、そうなのか!途端に劣勢に立たされ、一歩後ずさる。余計なことしてしまった…。「そ、そうでしたか、申し訳ありません」頭を下げ、また上げるけれど、視界に入るマイクスタンドを気にせずにいられない。こんなに細くて軽いマイクスタンドなのに、不思議と梃子でも動かなさそうなのだ。本当に他のスタッフが黙認していたのか、彼女たちの言い分を疑いたい気持ちはあったけれど、ここで強く出る気概はなく、失礼しましたと引き下がるしかなかった。「ほら、続きやるよ!」山路さんの苛立ったような声と、廊下に繋がるドアを閉めるより先に始まった演奏に、恥ずかしいような悔しいような複雑な胸中になりながらも、逃げるように無人の受付へ駆けて行くのだった。

 半ばヤケになりながら過去の受付票を漁ると、確かに山路萩江さんの名前がいくつも見つかった。まごうことなき常連さんだ。カメラの装置も慣れた風だったし、彼女たちの言った通りいつもあれをやっているのだろう。申し訳ない、恥ずかしいことをした。見て見ぬふりしとけばよかったなあ……。
 受付票にある山路さんのグループの利用人数は、長い間五人だったのが、最近になって四人に変わっていた。ボーカルの人が、亡くなったのだろう。それでも懸命にバンドを続ける彼女たちに水を差してしまった気持ちになる。
 モニターに映る全室のカメラ映像の中、山路さんたちの部屋は相変わらず右半分が隠れている。かろうじてキーボードとギターの人だけが映り、ドラムの山路さんは完全に見えない。そういえば、さっきは気にする余裕がなくて見なかったけれど、今は誰がボーカルをやっているんだろう。見える範囲にはマイクがないから、ドラムかベースの人が担っているんだろう。とまで考えて、やっぱり重石を飲み込んでしまったみたいに、胸がずしりと重くなった。



◇◇



 会計をしたり部屋の清掃をしているとあっという間に時間が過ぎ、気付けば一時間が経っていた。そろそろ予約のお客さんが帰って、空室ができる頃だ。最初に空く部屋番号を確認し、あと一時間くらいだと時計を見る。
 ふと、奥の個室のドアが開いたのを視界の隅で捉える。横目で盗み見ると、山路さんのグループが出てきていた。彼女たちは入店時より身軽になっており、飲み物のペットボトル以外に、サブバッグを持っているのはベースの人だけだった。気まずいと思いつつも知らんぷりのほうが感じが悪いし、店員としてもよくない。どんな顔をすべきか、少し困りながら会釈する。ろくにリアクションはなく、そもそも彼女たちの間に漂う空気があまりよくないように見て取れた。


(あれ?)


 フロントの前を通り、地下の休憩所に行く三人を見送ったところで、一人いないことに気付く。黒髪のギターの人がいない。まだ個室にいるのかな、とそちらを向くと、ちょうど遅れて彼女が出てきていた。
 彼女はわたしに気付くと、はっきりと目を合わせた。今度は反応がもらえるかも、と淡い期待が湧く。


「ねえ店員さん」
「あっ、はい」


会釈する前に話しかけられたのは予想外だった。何を言われるんだろう、ととっさに身構えてしまう。


「借りたギターの弦、切れたんだけど」
「えっ!も、申し訳ございません!」


 それは大変!「すぐに代わりのものを……」「いいよ。張り替えるから」別のギターを用意しようと踵を返すと引き止められてしまう。……張り替える?


「あとで弦ちょうだい。休憩終わったらもらいに来るからさ」
「は、はい……」


 そう言い残し、同じくペットボトルだけを持った彼女が休憩所への階段を降りて行く。タンタンと一段一段踏みしめる足音を耳に、ちょっと、呆けてしまう。

 ――弦ってどこにあるんだ?!


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