憂鬱な月曜日を助けてくれる人がいる。六限までの容赦ない時間割をなんとかやり過ごし、へろへろになってまで直帰しないで寄り道するのはあの人に会うためだった。彼はシルクのようなサラサラの髪を惜しみなくなびかせ、誰かの願望みたいに整った顔でビーズクッションのように柔らかく笑うのだ。初めて見たときのわたしはもう、感動してしまって、冗談抜きで天使さまかと思った。とっさに声が出なくなったくらいだから、彼には神秘的な力があるんじゃないかと、密かに思ってたりする。

通学路を大きく逸れ、商店街の一本隣の道を南へ歩いて行く。親戚の叔母夫婦が営む和菓子のお店は物心ついた頃から通いつめているので慣れたものだ。家から近いわけじゃあないけれど、ここの周りのことならそれなりに知ってるつもりだ。

ああでも、未だにあの人の通ってる学校はわからないなあ。

見えてきたガラスの自動ドアがわたしに反応して左右に開く。止まることなく歩き進み、店内に踏み入れる。外より若干暖かい。お店の中はそこまで広くないから、ぐるっと首を回せばすぐに全体が見渡せた。
そして見つけたわたしの目的の人。


「ノアくん」


小走りで駆け寄り、隣に立ってから小声で呼びかける。彼は陳列棚の前で立ち止まって和菓子を見ているようだった。声に気付いた彼はパッと顔を上げわたしに振り返る。その拍子に、肩にかかっていた髪がさらりと宙に流れた。


「ハロー。久しぶりだね」
「うん!」


ノアくんはいつものように口元を緩め柔らかく微笑んだ。彼は多分、その高級な笑顔を何となしにやっているんだろうけど、ノアくんみたいな綺麗な男の子が周りにいたことのないわたしには少々刺激が強すぎて、今でもじっと見ることができずにいる。さっと彼の手元に視線を落とすことで事なきを得る。彼の白くて薄い手には紙包装された直方体の箱が握られていた。また水ようかんかあ、ノアくんもすきだなあ。思わずふふっと零す。


「一週間ぶりだね。おとといも来たんだけど会えなかったな」
「おとといは来なかったなあ。金曜は来たんだけど」
「…もしかして休日は来てない?」
「そんなことないよ!ノアくんこそ平日って月曜しか来ない?」


「いや、オレもまちまちだよ」少し考えるように陳列棚へ目を逸らすノアくん。彼とは約束なんてしてないから、会えるかは毎回ギャンブルだった。時間と体力に余裕があるときはお店を覗くようにしてるけど、時間帯が合わなかったりでなかなか会うことは叶ってない。それでも初めて会話をしたのが月曜だったから、月曜だけは絶対に来ようと思って、現に彼と会えるのは決まってこの日だった。
自分の両手の指先を絡ませる。天使さまと見紛うノアくんとの邂逅が月曜日だけっていうのは、それはそれで神秘的で悪くないけど、でもたくさん会えるのに越したことはないと思う。


「それにこの先月曜も必ず来れるとは限らないしね」
「えっ……あ、そ、そうか…」


思わぬ彼からの宣告に俯く。純粋に、嫌だと思った。だってわたしこの一ヶ月、ノアくんに会えることを糧に月曜日を頑張ってきたのだ。それだけじゃなくて、一週間頑張る元気をもらってきた。なのにもしほんとに月曜会えなくなっちゃって、他の曜日と同じように会えるか会えないかわからないとなると……そ、想像だけで悲しい。ごくんと生唾を飲み込む。
ノアくんはお店近くの高校に通ってる高校生だ。今日も白いブレザーとスラックスに、黒のワイシャツと黄色と黒と白のストライプのネクタイを身に着けている。こんなオシャレな制服、わたしは初めて見た。前に、女の子の制服も可愛いんだろうなあと羨望を隠さず言ったら、そうだねって答えてくれた。(それにしてはちょっと含みのある笑顔だったけれど)でも、どこの高校なのか聞いたら、「内緒」とはぐらかされてしまった。きっと教えたくない理由があるんだろうと思って、それ以来詮索したことはない。会うのは月曜の放課後のこの時間、四回目だけど、わたしがノアくんについて知ってることはほとんどなかった。
暗くなった顔を隠すように固まっていると、ノアくんがふっと笑った、ように思う。彼の表情は見えないけれど。


「がっかりしないで、
「が、がっかりなんて!」


思わず顔を上げて否定する。同い年の男の子相手に言われるのはさすがに恥ずかしかった。ノアくんは大人びてるけど、天使さまみたいだけど、会いたいのは甘えたいからじゃないのだ。


「そう?はさみしくないの?」


わたしの否定が早すぎたのか、ノアくんは明るいブラウンの瞳を丸く見開き首を傾げた。うっと狼狽える。


「そういうわけじゃ、…えっと…」
「オレはさみしいな。に会えなかったら」


ふう、と肩を落とし息をつくノアくん。その姿に何か言ってあげたくならない人なんているのだろうか。わたしは人間の本能とでもいうかのように、たまらず一歩近寄って彼の二の腕へ手を伸ばした。白のブレザー越しに腕の感触が伝わる。


「わたしも、さ、さみしいよ…!ノアくんに会いたくて、一週間頑張ってるくらいだから!」


勢いに任せて言い切る。言い切ってから、カーッと身体中が熱くなった。うわあわたし何を…!距離を取ろうと慌てて手を離す。けれどすかさずノアくんに手首を掴まれてしまいそれは叶わなかった。ふわっとシトラス系のいい匂いがする。そのまま引き寄せられる。俯くわたしを覗き込むようにノアくんの顔が近くに寄る。


「そうなの?」
「うえっ……」
「オレに会いたくて一週間頑張ってるの?」


顔を見たら死んでしまう。ぐらぐらと茹る頭でそんなことを考え必死に俯いたまま床に目線を落とす。ノアくんの足やローファーが見える。他の男の子だったら絶対に持てないピンクのバッグ。わたしの手首を離さないノアくんの手やさらさらの髪の毛。顔が、


「そ、うです……」


ギブアップだ。もうくらくらだ。目を回す一歩手前でついに認めると、ノアくんは曲げていた背筋を伸ばし、「そう」と返した。表情はやっぱり見えないけれど、満足げな声だった。


「の……」
「嬉しいよ、ありがとう」


そう言って、心から嬉しそうに微笑むものだから本当に心臓に悪い。と、入り口の自動ドアが開く音が聞こえた。誰か来たんだ。反射的に二人して棚へ向く。
シンクロした動作に、わたしは照れていたのも一瞬忘れ、あれ?と思う。わたしは恥ずかしかったからだけど、ノアくんは何で隠れたんだろう。もしかしてノアくんも恥ずかしいことをしてる自覚があるのかな、思って見上げると、彼は陳列されたお菓子をじっと見つめて何かを考えているようだった。


「……ノアくん?」
「…ん?」
「あ、ううん…」
「……」


彼の横顔に影がかかっている。「そろそろお会計してくるよ」ノアくんは片手に持っていた箱入りの水ようかんを軽く上げ、踵を返した。追いかけるように振り返ると、さっき入店したのだろう男性のお客さんが店内を歩き回っていた。他のお客さんは奥の棚の向こうにカップルが一組見えるだけだ。何の変哲もない風景をぼんやり眺めながら、ゆっくり瞬きする。…ノアくん、何かごまかしたみたいだったな。


「ないしょ……」


無意識にぽつりと零していた。ノアくんは高校以外にも話したがらないことが多い気がする。彼はアメリカから日本に来た留学生だ。それだけで話題は尽きないから、違和感を覚えることは滅多にない。けれどこういうとき、ノアくんは確かにわたしとの壁を作るのだ。
なんだか人目を気にしてるみたい。でも人のこと言えない。わたしだってノアくんと、憚るようなことをしたんだ。さっきのことを思い出して恥ずかしくなる。レジで叔母さんとノアくんが世間話をしてるのが見え、彼らに混ざりに行ってもいいはずなのに今はダメな気がした。





棚に向いてようかんのコーナーを見ていると、ふと後ろから声をかけられた。潜めるように小さなそれを、けれどわたしが聞き逃すはずがない。振り返る。ノアくんがすぐ斜め後ろに立っていて驚く。思ったより近い。


「プレゼント」


身体ごと振り向く前に、彼から透明な袋に入った何かを渡された。と言っても、ノアくんが至近距離にいるせいで動けないわたしの手に無理やり持たされたようなものだ。いつも優雅なノアくんらしかぬ強引な行動に呆気にとられてる間に、彼は一歩後ろへ下がった。


「また来週」


笑顔はいつも通り、穏やかなものだった。彼の隠した感情を読み取るにはわたしたちの関係はまだまだ浅すぎる。颯爽と歩きお店を後にするノアくんが見えなくなったあと目を落とすと、それは袋詰めされたべっこう飴だった。それがまるで、来週の約束みたいで、わたしは心臓がきゅうと痛むのに、ただ幸福だった。