13

昨日は結局小太郎に家まで送ってもらい、頭痛に死にそうになりながらお風呂に入ってすぐにベッドに潜り込んだ。考えたいことは色々あったけど全部後回しにし、多分わたしはすぐに寝てしまったと思う。目を覚ましたあと、ぼんやり思い出しながら起き上がる。ぐっすり眠れたからか、頭痛も気持ち悪さも残っていなかった。人体の不思議に感動しながら時計を見遣ると午前十時を指していて、よく寝たなと人知れず息を吐いた。
とりあえず一階に降りよう。思いながら足を床に下ろすと、丁度そこにあったバッグを踏んでしまい慌てて避けた。そういえば放り投げた気がする。足をすぐ隣に着き、教科書などを最小限に押さえた薄いバッグを眺める。すると昨日考えていたことがいろいろ思い起こされて、わたしはベッドに腰掛けた態勢のまま固まってしまった。

正直会いたくなかった。わたしの知らない女の子と一緒にいた小太郎の顔なんて、見たくもなかった。小太郎は悪くない。ヤケ酒なんてした自分がみっともなくて、自分勝手で、そんな姿を見られたくなかったのだ。小太郎が誰といようが小太郎の自由だというのに、どうしてわたしが口出しできるだろうか。

やたら優しかった小太郎を言い訳にして、真相を問い詰めることから逃げた。でも、ずっとそうしているわけにもいかないだろう。いつか聞かないと、わたしここからずっと動けない。答えによってはもう、いい加減にしないと……。
じわりと視界が滲む。と思ったら、下からインターホンの音が聞こえた。一階には親がいるはずだから放っておいていいだろう。今下に行くのはよした方がいいかな。ええと、そしたらとりあえず、何をしよう。手ぐしで髪を梳かし、ぐしゃぐしゃになった布団を整えてみる。今日は用事もないから着替えなくてもいいかなあ。朝ごはんもお昼と一緒でいいや。下からくぐもった話し声が聞こえてくるけれど布団を直す音のせいで言葉として聞き取れない。ぽんぽんと叩き終わったところで足音が聞こえ、それが階段を上る音だったと気付いたときにはドアが叩かれていた。お母さんかとロクに考えず、はいと言いながらドアを開ける。


「あ、、起きてた?」


驚いた。小さめのお盆を持って、小太郎が立っていたのだ。


「え、ど、したの」
「具合見に行くって言ったろー。あ、あと朝ごはん頼まれた」


それを聞いてやっと、昨日の別れ際そんな感じのことを言ってたのを思い出した。真っ暗な外の朦朧とした記憶だったから、夢かと思ってた。とりあえず部屋に促すと、小太郎は机にお盆を置いた。そこにはおにぎりとお茶が二つずつ乗っている。


「どう?二日酔いとかなってない?」
「うん、ありがとう。…ごめん、迷惑かけて」
「全然。あ、あとでレオ姉に連絡してあげてよ。心配してたから」
「うん」


頷くと小太郎はへらりと笑いイスに座ったので、わたしもベッドに腰掛けた。キャスター付きの回転イスに小太郎が反対向きに座るのは昔から変わらず、それでも随分久しぶりのように感じられて懐かしい気持ちになった。小太郎は一度こちらを見たあと視線をスッと逸らし、背もたれに肘を置きながら首裏に手をやった。「あー…」


「サークルの飲み会だったんだっけ」
「うん。久しぶりだったからちょっと羽目外しちゃった」
「そっか」


適当な嘘をついてごまかすと小太郎は苦笑いを零した。その様子がいつもと違う気がしたわたしは少し思案する。なんか変だ。何か、言いたいことがありそうだ。瞬時に、昨日のあの子のことが思い当たった。どうしよう、何か言われるんだろうか。「…、嫌なことがあったって、レオ姉から聞いたんだけど」「え、」予想と違った発言に、けれど無関係でもない話題に目を見開いた。


「もう大丈夫なの?」
「……だいじょうぶ…」


じゃない。大丈夫なんかじゃないけど、あの子誰なのなんて、聞けない。「そっか、ならいいんだけど」空元気みたいな笑顔を作り、それから目を伏せてしまった小太郎が何故だか悲しそうで、わたしはいよいよ何を言えばいいのかわからなくなった。
聞きたいことはある。高一の頃からずっと、小太郎に聞きたいことがあるのだ。そしてわたしはそれについて、今まで一度も触れられずにいる。聞きたくても傷つきたくなくて、黙っていた。いい加減駄目だって頭ではわかっているのに、未だに行動に移せない。
(あのときの言葉は、まだ有効?)声にできない。

目を伏せたままの小太郎とわたしの間に沈黙が流れる。無意識に視線が落ち、足元のバッグに再び辿り着いた。…どうしよう。弱いな自分。膝の上で握りこぶしを作る。そうやって自己嫌悪に陥りかけていたから、「…あのさ、」彼の声に反応できなかった。


「俺はさ……、うん、すきだよ。のこと」


ハッとする。今、小太郎は何て。「だからレオ姉の方が頼られるとか、嫌だよ。…ずっと覚えてるけど、ごめんね、約束やぶって」下を向いてる彼の表情がどのようなのかわからない、けど真摯な声音から、嘘を言ってるなんて少しも疑わなかった。目を見開いたまま、息を吸う。底から湧き上がってくる感情のせいで心臓が苦しくなった。

わたしは今まで、肝心なことばかりを黙っていたし、問い質すこともしなかった気がする。一言口にすればはっきりすることをずっと飲み込んで、自分の想像だけで結論を出していた。受け身な考えが駄目だとわかっていながら……


「小太郎、すき」


もう遅いと思ってた。


「今までずっと、ごめんねえ…」


もう小太郎はわたしをすきじゃなくなってしまったと思ってた。小太郎はもう、わたしなんか見てないんだと。でも違かった。小太郎は今この瞬間、すきだと、言ったのだ。
あんなひどいことを言ったあともすきでい続けてくれた彼の心情は計り知れない。鼻の奥がつんとなり、涙が滲んできた。「……えっ、え、マジで?!」慌てたように立ち上がりこちらに駆け寄ってきた小太郎がひどく驚いた顔をしてるような気がしたけど、視界はもうぼやけてしまって本当のところはわからない。手を取られた衝動で一粒零れると、視界が少し鮮明になった。「ほんと?嘘じゃないよね?」その言葉に頷く。途端、抱きすくめられた。


「よかったあ〜…!」


心の底からの安堵に、彼の葛藤がうかがえた。その声を聞き、小太郎の背中に腕を回す。
全部小太郎に任せてしまった。わたしが、わたしこそが小太郎を楽にしてあげられたはずなのに、最初から最後まで小太郎に頼り切ってしまった。「ずっとすきだったの、黙っててほんとにごめんね…」声を震わせながらもう一度謝ると、「いい」一層ぎゅうと力を込められた。


「ゆるすに決まってる」


そう言った小太郎は笑いながら、きっと少しだけ泣いているんじゃないかと思った。


おわり