精市にいとこができたらしい。そのお祝いに花束を買っていこうと、部活帰りに花屋に寄ったのだそうだ。すでに退院したおばさんの家は彼の自宅から十分といったところで割と近く、平日の放課後という中途半端な時間からでも尋ねられる距離だった。イメージでしかない赤ちゃんを思い描いて、それはおめでたいねと言うと精市はうん、と目を細めて笑った。
家に帰ってもただ時間を持て余していたわたしは母に買い出しを頼まれ近くのスーパーへ行った帰りだった。道路に出たところでばったり遭遇した精市の表情がどこか幸せそうだったのと、紙袋から顔を覗かせている花たちに気付いて聞いてみたらそのような返事を貰ったというわけだ。


「男の子?女の子?」
「男の子だって。俺もまだ見たことないから楽しみなんだ」
「へえ、いいなあ」
も来るかい?」
「いいのっ?」


見たい!とピンと背筋を伸ばした。
が、すぐにいやいやと丸めてしまった。精市とは小さい頃から親しくいているしおばさんとも何度か会ったことはあるけれど、血縁関係もない人間がそんな気兼ねなく赤ちゃんを見に行っていいものだろうか。しかも今のわたしは思いっきり買い物のエコバッグを手にぶら提げた状態である。なんというか……そう、場違いにもほどがあるのではなかろうか。やっぱり遠慮しよう、と残念に思いながら顔を上げると精市はさっきと同じように嬉しそうな笑みを浮かべて口を開いた。


「じゃあ一回家帰ろうか」
「え、いやでも…」
「大丈夫。俺もバッグ置きたかったし」
「…ていうか、わたし場違い感すごくない?」
「そう?そんなことないと思うけど」


精市がキョトンと首を傾げたので、ああ、いいのか、と思った。精市がいいって言うんならいいんだろう。生きてきた十五年の経験から、彼の言うことは大体一般常識に沿っていると知っている。じゃあ行く、と返しまた帰りの道のりに向いた。家にはあと五分ほどで着くだろう。それからこの食材たちを置いて、すぐにおばさんの家へ向かう。着くのは五時ぐらいだろうか。


「あ、ていうか精市、今日は早かったんだね、部活」
「ああ。一緒に顔出してた蓮二も用があったらしくてね。俺もこれがあったから同時に早く切り上げて来たんだ」


テニス部を今の三年が引退して三ヶ月ほど経つけれど、精市たちはときどき後輩の指導に顔を出しているらしい。エスカレーターで高校も立海の内部進学だし、毎日部活動に打ち込んでいた彼らは途端に余裕の出来た時間をわたしみたく怠惰に過ごすことはないようだ。しっかりしているなあ。
住宅街に入り次の角を曲がれば家に着く、というところで、不意に足元にふわりと感覚が伝わった。感触こそ柔らかかったものの突然のことに驚いて立ち止まりバッと下を向くと、そこには白い猫が振り向いてわたしを見ていた。


?」
「びっくりした…今すり抜けたよこの猫」
「へえ。人懐っこいんだね」
「あ、首輪してる。ご近所さんの飼い猫かな」
「だろうね。ときどき見かけるよ」
「…確かに」


言われてみれば確かに初めて見る猫ではなかった。毛並みも綺麗に整えられて、その小さな顔はとても愛らしい。コンクリート塀の上を歩いているところを見たことがあるようなないような。そんなことを思いながら、少し歩いてまたこちらを向いた彼女(勝手に雌ということにした)に、思わず「見返り美人…」と零した。すると隣の精市が肩をすくめたのがわかった。


「ふふっなんだそれ」
「なんとなく」
「でも確かに美人さんだね」
「あ、知ってる。美猫っていうんでしょそういうの」
「そうなの?じゃあ見返り美猫だ」
「見返り美猫。可愛い」
「可愛いな」


くすくすと二人で笑い合っている隙に、見返り美猫さんはどこかへいなくなってしまった。残念。
再度歩を進めながら、どこの子なのかなと呟くと、どこだろうね、と返す、精市。夕日が辺りを綺麗に照らしていた。


「俺猫飼ったことないからわからないんだけどさ、放し飼いって不安じゃないのかな」
「思う。いなくなっちゃうんだもんね」
「それでもちゃんと家に帰ってくるのって偉いよな。帰り道がわかるんだ」


精市は猫を飼いたいのだろうか。でも大切な花を育てている君の庭が危ないんじゃないかな。言わないけれど、精市もそれ以上言わなかったので飼いたいとかではないみたいだ。見返り美猫の認定を受けた彼女がどこの子なのか、犬と違って特定は難しいだろうけれど機会があれば知りたいと思う。


「あ、そうだ。赤ちゃんの名前なに?」
「ああ、ええと……」


人差し指と親指を顎に当てて考える精市。横顔が綺麗だ。返事を待ちながら、彼といられる穏やかな帰り道が幸せだと思った。