私立なだけあって生徒数が多いから、おのずとクラス数も多いわけで、二年の九月になった今も自分と関わりのない人はとことんわからない。特に必要性も感じていないので気にせず生きているが、吹奏楽部に入っている友達なんか見てるとA組のくせに一番端のクラスの子と仲良くしていたりするのでああ自分やばいのかもしれないと焦ったりする。少人数の美術部にはあり得ない光景だった。
サッカー部の集団が目の前を走り抜けていく。そんなんだから、知っている人を一人探すだけでも一苦労だった。今の全員二年生だろうか。もう三年はいない時期だし、結構速いスピードだったから先頭集団だろう。一年も何人か混ざってそうだけど、主体は二年なはずだ。顔が広いと同じ学年は全員わかったりするのだろうか。


「すいません、そこにいると水かかりますよ」


ふいに聞こえた声の方へパッと向くとそこには大人っぽい雰囲気の男子生徒がいて、自分の今の状態を省みてハッとした。昇降口の隣にある花壇の前に突っ立っていたのだ。彼はノズル付きのホースを持っていて間違いなくそれに水遣りをしようとしているのだろう。申し訳ない。すいません、と謝ってすぐさま退いた。ありがとうございますとお礼が返ってきて、いい人だなあとぼんやり思う。花の水遣りなんて、偉いなあ、美化委員だよね。大変だなあ。
このまま立ち退きたい気持ちが占めるけどここを待ち合わせ場所に選んでしまったばかりにそうするわけにはいかなかった。友人はあとどれくらいで来るのだろうか。携帯を取り出して時計を確認するけれどさっき見てから三分しか経っていない。手持無沙汰なので水遣りをしているその人の背中を何気なく見る、と、途端に思わず声を出しそうになった。

この人幸村くんだ。

さすがに知っている。うちの学年の有名人の一人だ。この夏からテニス部の部長になったらしい幸村くん。クラスまでは知らないけれどよくガールズトークに登場するから、まるで面識ないのに大体人物像が捉えられてしまっていた。女子からはかっこよくて優しいと絶大な人気を誇っているらしい。確かに、今日初めてまともに正面顏見たけどすごく綺麗だった。いきなりだったから曖昧だけども。ぼんやり見ていると手を止めた幸村くんが振り向いた。


「もう大丈夫ですよ」
「あ、はい、すいません」


どうやらわたしがそこにいれるように手早く水を撒いてくれたらしい。確かに優しい人でもある。お言葉に甘えてさっきと同じ位置に立った。「……」隣に移動した幸村くんはしかし次の水遣りを始めようとしなかった、ようだ。わたしは携帯を見ているから直接確認してはいないけれど、シャワーの音が聞こえないので間違いないだろう。そして横から視線を感じる気がして恐る恐るそちらを見た。


「もしかして二年生ですか?」
「…え、はい」
「やっぱり。見たことあると思ったんだ」
「そうですか…」


まあ、どこかでなら見たことあるんじゃないかな。もう一年同じ学校に通っているんだし。そんなにわたし特徴ないから印象に残らないだろうけど、人違いの可能性も否めないけど、この場でわたしがわざわざそんなこと言う必要もないだろう。でもそれで話は終わらず、うーんと考え始めた幸村くんには失礼かもしれないが先程の大人っぽい独特の雰囲気は感じられなかった。


「真田と同じクラスだよね」
「は、はい。そうです」
「あいつこないだバレーで相手チームの顔面にスパイク決めたんだろ?」
「あ、それ目撃しました」
「えーいいな、俺も見たかったな」
「相手鼻血出てたよ」
「そりゃあね、真田のを受けたんなら鼻血の一つや二つ出なきゃおかしいさ」


「ていうか直撃なのに無傷で済むスパイクだったら逆に怒るよ。手を抜くなんてあいつらしくない」そのとき丁度サッカー部の集団がまた花壇の前を走り抜けたので、幸村くんの台詞は足音でよく聞き取れなかった。「え?」聞き返すと何でもないよと微笑まれたので次に言うことがなくなってしまった。ていうか明日友達に話すネタは十分できたのでもう会話は終了でいいのだけど、依然手を動かす様子の見られない幸村くんに何か話さなくては、と何故か焦りを駆り立てられた。結果、わかり切った質問をしてしまった。


「幸村くんて美化委員なの?」
「ああ。…俺の名前知ってるの?」
「え、うん」
「こっちだけ知らないの嫌だな…ちょっと待って、名前も聞いたことある気がするんだ」


考えて思い出せるのか。そこは幸村くんのみぞ知るほにゃららである。べつにわたしの名前なんて知ってる人の方が少ないのだからそんな真剣に考えなくていいのに。君みたいな高い知名度の人だからわたしだって知っていたくらいなんだし、もしそこらへんの陸上部とかだったら百パー知らなかっただろう。幸村くんをこんなに悩ませるならわたしも知らない振りすればよかった。


「んー…やっぱ思い出せないや。答え何?」
です」
「あ、そうだそうだ。知ってたよ」
「まじですか」


ここでやっと気付いたのだけど、幸村くんがわたしの名前を聞いたことがあったのは、以前わたしが真田くんの隣だったからなんじゃないかと思う。何かがどうにかなって知ったのだろう。「ふふっ、まじだよ」そんな経緯はどうでもよく、微笑みをたたえる幸村くんは至って綺麗だった。


さんでしょ?」


それにしても、わたしの名前がこんな素敵に聞こえるなんて、幸村くんは魔法を使ったに違いない。