深夜四時。砂の里の警備がこの時間帯、最も手薄になることを俺は知っていた。聞いた話でもあったし、実際その仕事を任されたこともあったから人員配置のパターンや交代の時間も、あくまで俺が里を抜けるまでの話だが完璧に把握していた。あれから一年経っているから、もしかしたら色々変わったかもしれない。まあ例えそうだろうと、俺なら誰にも気付かれずに侵入出来るが。
あらかじめ目星をつけていた、一番弱そうな男の隙を狙い里に入った。もしものために煙幕や眠り薬を持ってきたが必要なかったようだ。あんまりあっさり侵入できたので少し拍子抜けする。俺が砂を抜けたことは一大事件として至るところに波紋を及ぼしたのは確かだが、それに対して里の警戒はほとんど前と変わっていないように見受けられた。俺がここの寝首を掻かねえとでも思ってんのか?残念ながらばっちり、風影の命を頂戴する予定が入っているんだがな。向こう三年くらいは厳重警戒体制敷いとけよ。


「まあ、こっちとしては好都合だが」


一応他里で見たパッとしない顔に変化しておいて、砂の里の装束を身に纏い久しぶりの故郷を遊歩する。真夜中のため人は一人も見当たらない。一年じゃあまり変わらないのか、辺りには記憶と大体同じ風景が広がっていた。この道も変わんねえな。草が伸びただけだ。
感慨などは何も湧き上がらなかった。憎悪すら。

用があるからわざわざ危険を冒してまで里に来て歩いているわけだが、目的地は自分の家では決してない。興味も特に湧かなかった。そんなもんだろ、抜けて追われる身になるくらいだから、もうここには、心残りも後ろ髪を引かれることもあっちゃいけねえって、そういうもんだろ。心残りも何も。……だから、こうやって里に来るのはきっと、これが最後だ。
目的の家に着き、慣れたようにあらゆる足場を用いて二階の窓に手を掛けた。もちろん不法侵入だ。里に入った時点で合法なんかあっちゃいねえんだから今さら何をって感じだな、笑える。それにこれに関しては俺は常習犯だ。変化の術を解いて、ガラスに映る自分の顔を確認する。さて、問題はこの時間であいつは起きてるかっていうな。

窓を二回叩く。一年前まで、同じ手段を使ってよくこうしていた。忘れられてるとは思っちゃいねえが…四時はさすがに初めてだし、寝てるだろうな、確実に。べつに寝てたら寝てたでこの窓すら開ける術を持っているわけなんだが。試しにもう一度叩こうとした瞬間、カーテンが揺れた。向こう側に人の存在。思わず拳の裏でコン、と窓を一回叩いてしまった。カーテンが開かれる。


「……!」


そこにいた相手が息を飲んだのがわかった。まん丸に見開かれた目が、俺がいるのを信じられないと言っている。だろうな、何にも言わずに消えて、何にも言わずに現れたんだから。あぐあぐと口を開閉させるこいつにわかりやすくガラス越しに鍵を指差す。


「あ、け、ろ」


ゆっくり口を動かして伝えるとハッとした彼女は慌てて解錠し、勢いよく窓を開け放った。今週になって急に冷え込みだした空気が室内に入ってしまっただろう。その証拠にがぶるりと震えた。スッと入り後ろ手で閉めるとやはり室内は暖かかった。


「よお」
「あ……さ、サソリ、だよね…?」
「人違いだったらおまえ今頃大変なことになってたな」
「サソリだ。その憎まれ口、本物だ」


途端に腕を回され、きつく抱き締められる。の顔は見えず、つむじだけが見えた。じんわりと相手の体温が伝わってきて、さっきまで外にいた俺はさぞかし冷たいんだろうなと思った。こいつはこんなに引っ付いて寒くないのだろうか。未だに離れないの頭を軽く押す。


「おい、座らせろ」
「…帰ってきたの?」
「違う。おまえの顔を見に来た」
「……そっか」


名残惜しそうに離れ、クッションを一つ俺に差し出した。それを受け取り、適当な場所に置いて座る。も布団にくるまりながら絨毯に座った。


「警備の人とかに見つからなかった?」
「全然。誰かに言っとけ、もっと厳しくしろって」
「はは、誰に言えばいいんだよ」
「あんなんで警備できてると思ったら大間違いだ。抜け忍の俺が言うんだから間違いない」
「……抜け忍かあ…」


そのの吐息が聞こえるようだった。伏せた彼女の長い睫毛を、暗がりに慣れた目が捉える。肩に掛かっていた髪の毛が一房滑らかにそこから垂れた。瞬きをする。の口が閉じる。俺はそれらをしっかり、目に焼き付けていた。忘れてしまわないように。
里に残してきたが気掛かりだということは否定出来なかった。抜けるとき何も伝えなかった上、大した忍でもないからこいつの噂を他所で聞くことはなく、この一年どうしているか全くわからないでいたのだ。ただ、俺が真っ当な砂の忍だった頃に向けられていた恋慕の情は理屈ではなく信用に値するもので、柄じゃないが俺も同じようなものをこいつに与えていたという、疑いようもない事実を頼りにこれまで過ごしてきた。
そして確かに、今だって、お互いそうなんだろう。
伏せた目が開かれ俺を見る。月明かりがそれを照らすから、涙で潤んでいるのがよくわかった。


「…一年経ってもね、実感なかったんだけど、…むしろサソリがこうして来てくれた今の方が実感湧いてる」
「……」
「ね、ぎゅってしていいでしょ」
「…ああ」


すぐに立ち去らなければいけない。名残惜しいのは俺もだった。どうして里を抜けたのか聞いてこないが何を考えているのか、大体わかるから何も言わない。そんな話は時間の無駄だし、きっとこいつは理由なんてわかっているんだろう。さっきとは違い俺も背中に腕を回すと、わずかにの体に力が入ったのがわかった。また彼女の体温が伝わってくる。心臓が締め付けられる感覚が伝染して泣きそうになった。


「来てくれてありがとう。大好き」


はもう泣いていただろう。その言葉に、俺だってそうだ、なんて言えたらいいんだろうが、結局腕に力を込めることしかできなかった。これから先、おまえに何も言わないで、おまえが悲しむようなことをたくさんする俺が、これ以上縛り付けるようなことは言っちゃいけねえんだ。わかっている。


「ねえ、サソリもそうなら、それだけでいいからね。わたしはずっとここにいるけど、サソリが何したって味方でいるから」


鼻声の彼女の言葉に、ああ、と思う。長く一緒にいたからか、俺の考えていることはわかってしまうのだろう。その上でこいつは俺から離れないでいるんだ。俺は、里を愛するを連れ出すことはできないし、こいつもそれは望んでいなかった。決して近くにいれない距離で、こいつは俺のそばにいる。寄り掛かりはしないが、それがどんなに俺の心を軽くするか。


「……ああ、ありがとう」


こんなありきたりな感謝の言葉で、全部が伝わればいいと思った。