幼なじみの鳳長太郎の中ではわたしという存在より大事なものがあることを知っていた。生まれてからずっと一緒だったのに、気付けば奴はわたしの何百歩先を駆けている状態で、前の一点を射抜くその視線の先にはいつだってテニスがあった。後方のわたしのことなんかこれっぽっちも見ていないのだ。それが嫌だと思うけど追いつく努力もしていないのに長太郎を責めることはお門違いだから、わたしは立ち止まっていじけることしかしない。
わたしの一番は長太郎なのに、長太郎の一番はわたしじゃないのだ。


?」


そのときわたしは家の近くをぶらぶら歩いていた。もう時刻はとっくのとうに七時を回っていて辺りは等間隔に設置されている街頭だけが頼りだった。べつに放浪癖があるわけでもなくちょっと夜風に当たりたくて歩いていただけだったから我に返って今の状況を顧みると少し怖かった。もう帰ろうか、この突き当たりまで行ったら引き返そう、と思った矢先に後ろから声を掛けられたのだ。変声期を迎えたのに透き通った声音、振り返らなくてもわかるけど振り返らない意味はないので振り返る。思ったとおり長太郎がいた。怪訝な顔をして、しっかり肩にラケットバッグを背負って。


「……今帰り?」
「うん。何やってんの?」
「散歩」
「こんな時間に?」
「部活お疲れ長太郎」


嫌みのつもりで言ったのがちゃんと伝わったらしく長太郎はほんの少し眉をひそめてそれに対する返事をしなかった。こいつは馬鹿じゃない、けれどわたしの言わんとしていることを最深まで読み取れないまでには鈍い。そんなに深くないのに。


「帰らないの」
「もう少し歩いてからね」
「すぐ帰った方がいいよ」
「長太郎こそ。おばさん心配するよ」
「……」


もう少し歩いてからなんて言っといて、突き当たりはもう目の前だ。でもおとなしく帰ると言って従うのはわたしのプライドが許さないし、わざわざこんな時間に外出てまで考え事をしているのが馬鹿馬鹿しくなるのでこいつには反抗するしか手段がない。
踵を返して歩き出す。突き当たったら左に曲がろう。団地だから明かりがあって怖くない。そこでなんとなく時間を潰して、長太郎が家に着く頃に帰ろう。
頑張ってそんな作戦を立てているのに後ろから近づいてくる足音はしっかり聞こえる。「!」さっきより近いのにさっきより大きな声で呼び止められた。腕も掴まれてしまった。


「なに」
「悩み事でもあるの?」
「長太郎には関係ないじゃん」
「関係ないなら、話聞くよ」


イラッときた。何も知らないでよくもまあそんなことを。無駄に背が高くてこいつの顔を見るにはわたしは否応なく見上げる体制となる。キッと睨みつけるけど見下ろされてるこの状況じゃ迫力はない。いつもそうだ。


「わたしのことなんかどうでもいいくせに」


傷つけてやろうと思って言ったのに勢いがあったのは最初だけだった。どうでもいいくせに辺りは普段の声より小さかった。声に出したのは初めてで、言葉にすると現実味を帯びて泣きそうになった。どうでもいいんだ、から、ほっといてほしい、と思う。でもきっと、今日みたくわたしが一人で歩いてるのに長太郎がそれをほっといて見て見ぬ振りして帰ってしまったら、それこそ泣いてしまうと思う。道路の真ん中でも声を出して泣くだろう。傷つけてやろうと思って言ったのにカウンターされた気分だ。
掴まれた腕が痛くなってきた。長太郎が力を込めてるのだ。


「どうでもいいわけないだろ」


ほんの少し見え隠れする怒気に肩をすくめる。長太郎はみんなが認める優しい人だから、幼なじみを簡単に切り捨てられるような奴じゃないらしい。切り捨ててもそれを堂々と宣言できる奴じゃない。はっきり言ってわたしはそれに甘えている。長太郎が誰かを無闇に傷つけたりしないから安心してる。
わたしとテニスどっちが大事なの、なんて面白い質問したらどう答えるんだろう、とか言って、わかりきったことを。どっちも大事だって言ってくれるんだよこいつなら。知ってる。


「…俺じゃ相談役になれないのかよ」


どうでもいいから早くわたしの気持ちに気付くぐらい鋭くなってほしい。おまえに求めてるのはもう優しさじゃないんだよ。