「今日休みなの」わたしが出せる目一杯低い声で言ってやると若人は寝転がっていた状態から起き上がってちょっと驚いたように目を瞬かせた。

若人弘は齢十五歳にして親衛隊を引き連れている俗に言うチャラ男である。わたしはこいつの幼なじみなので親衛隊とは一線引いているつもりなのだけど実際やってることはあまり変わらない。若人の練習試合には毎回ついて行くし学校でも比較的いつも若人の周りにいたりする。日替わりの若人と一緒に帰る女の子の一人になってもいる。それは必ずしもわたしの意図したものではないのだけれど世の中不思議なものである日知らない間に親衛隊名簿にわたしの名前が加えられていた。あれには驚いた。そんなに迷惑していないからそのままにしてあるのだけど。
若人の部屋は物が多い。多いけど部屋が広いからそのことを感じることがあんまりない。ドアを開けてすぐ足元にテニスボールが落ちている今みたいなことがあるとそれを感じる。拾って近くで倒れているボールケースを起こして入れてあげた。


「どうしたの?」
「何が」
が俺ん家訪問なんて珍しい」
「母がおまえにお菓子を届けろと」
「まじで?どーもー下に母さんいなかった?」
「いたけどすれ違いで買い物に出かけたよ」
「あら」
「わたしが帰ったらちゃんと鍵閉めなね」
「はいよ」


これで帰りたかったのだけどなんと若人が家にいることによりわたしが話すべき用件が増えてしまった。増えてなくてもお菓子を受け取りに来た若人に腕を引かれ「一緒に食べようよ」と床に座らされたこの状態じゃすぐには帰れなかっただろう。そしてこいつは話題が豊富なのでころころ話を持っていかれて言いたいことが言えないことが多いのでそれを経験済みのわたしはこいつが切り出す前に自分から話を切り出すという術を身につけた。


「今日テニス部ないの」
「あったらここにいないでしょ」
「カナちゃんが今日のデートドタキャンされたってメールで愚痴って来たからいきなり練習試合が入ったんじゃないって送っちゃった」
「あーただ忘れててそういう気分じゃなかったからだけなんだよね」
「てめえ」
「怒ってた?」
「怒ってはない。悲しんでた」
「悪いことしちゃったかなー喉渇いたからオレンジジュースでいい?」
「反省しろよ。いいです」


若人はにこにこ笑ってでもが来たから断って正解だったと言って部屋を出た。

よく見てみるとテニスボールがあちこちに転がっているので一人手持ち無沙汰になったわたしはそいつらを元のお家に帰してあげることにした。ボールを一個一個拾う作業は案外腰にくる。戻し終わって腰を叩くのと若人がオレンジジュースを持って部屋を開けたのはほとんど同時だった。


「ありがとう」
「どういたしまして。ボールありがとう」
「どうしたしまして」


よく考えたらカナちゃんのことを伝え終わったら帰ればよかった、と気付いたのはドナルドがプリントされたグラスを受け取ってからだった。昔から若人には思い通りにされっぱなしである。座ってオレンジジュースを飲む。若人家のオレンジジュースはいつもなっちゃんだ。「カナちゃんに謝りなよ」あんまりそう思ってない口がそう言ったら若人はうんとお菓子をいじりながら答えた。たぶん嘘ついたのばれてる。


「ていうかカナちゃんだったんだ。俺サラちゃんだと思ってた」
「馬鹿?」
「急いでるときに約束すると誰としたか忘れちゃうんだよね」
「じゃあすんなよ」
「一緒に帰った子とかすぐ忘れる」


「最低だな」言ってやると若人はわたしをちらりと見て小さく笑った。長年事あるごとに言ってきたこの台詞は擦り減りすぎてたぶんこいつに効力はない。でもこれ以外に的確な罵詈雑言は十五年しか生きてないわたしには到底持ち合わせてないので今度煮詰めて考えないといけない。広辞苑をめくらないと。「金曜の子も覚えてないの」ビニールの包装を破った若人はぱちりと瞬きをしてそれから「んー」とクッキーをかじりながら斜め右上を向いた。


「ミキちゃんだっけな」
「その前は」
「んー誰かなあ」
「その前は」
「うーん」
「その前は」
「さあ」
「その前は」
「ねえ
「なに」


「こんなんでもいいの?」うるさいばかしね。こんなんでもよくなかったらとっくのとうにおまえの試合ついてかないしおまえの取り巻きにもならないしおまえの親衛隊の名簿から全力でわたしの名前削除願い出してるわ。とっくのとうにおまえのことなんか見放して、

っていじっぱりだよね」そう言う若人の顔は見ない。オレンジジュースだけを視界に入れる。「ねえ」若人が俯いたわたしの頭を撫でてくる。それがいたたまれなくて顔を上げた。にこりと安っぽい笑顔が見えた。


「月曜日誰と帰ったか覚えてるって言ってあげる。だからも言っちゃいなよ」


馬鹿め。だれが言ってやるか。