舞台裏からこっそりイヴの独唱を聴いていた。ほんとの名前は知らないけどわたしだけじゃなくイヌカシや紫苑にもネズミと名乗ったらしいから彼の通り名はネズミということで間違いないだろう。まあここではイヴなんだけど。
支配人はわたしを一瞥してそれからまたどこかへ行ってしまった。ネズミがいつも特別にってここからただで見せてくれてるから支配人からしたら儲からないし邪魔だしでわたしは厄介者でしかないのだろう。でもわたしもここにいる人たちをすきじゃないからどうでもいい。
今日はドライフルーツを買おうと思った。ただ乾燥した果物だけど。紫苑がドライフルーツって言うんだと教えてくれた。



「あ、お疲れさま」
「どうも」
「ねえこれから市場行こう」
「は?べつにいいけど…まさか、また干からびた果物買う気か」
「あれ、なんでわかった?」
「紫苑にドライフルーツって言葉を教えてもらった日からほとんど毎日じゃないか。言っとくけど、紫苑がNO.6の中で食ってたそれとは掛け離れてるんだからな」
「わかってるし」
「わかってるなら名前がかっこいいからってそればっか買うな」


あればれてた。かっこいいじゃないドライフルーツ。乾燥した、とか、干からびた、とかよりずっと素敵な表現だ。同じ干からびたってことなら干し肉もドライフルーツって言うのかと聞いたらそれは違うって言われた。ネズミには爆笑された。
話を戻すけど、わたしはネズミにどうしてこんなに口を挟まれなくちゃいけないんだろう、と思う。紫苑みたく夕食を共にするわけじゃない。ただ一緒に買いに行こうってだけなのだ。何が悪い。わたしがドライフルーツばっかり食べてネズミに何の迷惑があるというのだ。


「どうしてネズミはそんな母親面するの」
「どこが。あんたの母親だけには死んでもなりたくないと常日頃思っているくらいだ。世間知らずで、一から十まで教えなくちゃならない」
「だって食べ物の口出しなんて、イヌカシにもされたことない」
「なに、イヌカシはおまえのママだったのか。初耳だ。今度ぜひ、話を伺いたいもんだな。どうやったらこんな駄目な娘に育つのか」
「もういいよ。一人で行く」


ネズミはどうしてこんな性格が悪いんだろう。皮肉を否定するのも面倒くさくなってきた。それよりもお腹が減っていけない。腹減りはいつもだけど。もう日が沈むから、早いとこ市場に行ってドライフルーツを買ってさっさと帰って食べて寝よう。飽きるほど同じ毎日だ、他にやることがないんだからしょうがない。こうしてなんとか食い繋いで、それで生き延びなきゃ。


「待てって」
「…なに」
「今日はイヌカシの犬いないんだろ」
「うん。全員洗ってるから」
「それであんたは一人で行くのか」
「しょうがないじゃん。頼りになると思ってたどっかのイヴさまは皮肉屋で憎まれ口ばっか叩いて話が進まないし。だからわたし早く行って暗くなる前に帰ろうと思ったんだよ」
「あんたもなかなかの憎まれ口だよな」
「お褒めに預かり光栄です、殿下」
「それおれの台詞」


ああ時間がもったいない。暗くなると物騒な通りが五割増しで物騒になるから嫌だ。支配人に呼び止められたネズミをほっといててくてくと舞台を出て市場に向かう道を行く。後ろからチャリンチャリンと銀貨の音を嫌味ったらしく鳴らして追いかけてくる足音がしてちょっと睨んで振り返るとおそらく支配人から今さっき渡された銀貨の入った袋を手に走って来ていた。そのなんと素早いこと。わたしは素直に尊敬した。でも顔には出さない。


「いくらだった」
「いや、おれの口からはとてもとても」
「うざ」
「こらこら、レディーがそんな言葉遣いするもんじゃありませんよ」


むかつく奴だなあ。ふんと鼻を鳴らして前を向く。日が沈みかけていた。早く行こう。


「今日は肉でも買ったら」
「そういう気分じゃないの」
「あんた結構金あるのに安い果物しか買わないよな」
「だっていざってときに使うんだもの」
「いざってとき?」


頷く。ちらりと隣のネズミを見ると、見当もつかないと言った様子でわたしを見ていた。ほとんどのことに対して鋭いくせにこれはわからないか。わかってほしかったなあ、だって自分から言うの少し恥ずかしいんだもの。でもそうだなあ言っとかなきゃ、もしかしたら口も利けなくなってるかもだしねえ。


「わたしが死にそうで苦しんでるときにネズミに歌を歌ってもらうため」


ぽかんと口を開けたネズミにいよいよ羞恥で一杯になったわたしは反対に口を目一杯結んだ。イヌカシが昔ぽつりと話した死についてと、ネズミの魂をさらう歌がわたしの中で深く根付いていて、わたしも苦しんで死ぬのはどうしても嫌だと思ったのだ。だからそのとき、法外な金額を吹っ掛けられたときのための貯金だ。場所はイヌカシが知ってるから、死んだあとにでも聞いて貰ってくれればそれでいい。


「意外だな。そんなにおれの歌を買ってくれていたとは」
「イヌカシがすごいって言ってたから」
「ふうん、そう」
「あ、ただで舞台見せてくれてありがとう」
「どういたしまして」
「イヌカシが言ってたとおり本当にすごく綺麗な声だった」


するりと口から出た言葉だった。自分でもちょっと驚いて、窺うようにネズミを見ると少し嬉しそうに「お褒めに預かり光栄です、陛下」とお辞儀をされた。わたしも少し嬉しかった。