etc3(9-10).

 ふわっと顔を上げる。向かいに座る柚宇ちゃんと目が合うと彼女はきょとんと首をかしげたので、肩をすくめてかぶりを振る。何でもないよ。

 お昼休みも半ばに差し掛かり、お弁当を食べ終わった机をすっかり綺麗にした頃だった。柚宇ちゃんのお弁当箱は脇に提げたスクールバッグにしまわれ、わたしのは席を借りてる人の机に置いてある。今日は今ちゃんがボーダーの仕事でいないから、柚宇ちゃんの机を挟んで二人で食べたのだ。昨日は柚宇ちゃんがいなくて今ちゃんがいたから、今ちゃんと食べた。ボーダーの人たちは防衛任務というお仕事があるから、学校を公欠することが結構ある。今ちゃんは鈴鳴支部の所属だから考慮されることもあるらしいけど、新年になってからは結構忙しいみたいで今日も午後から学校に来るそうだ。さっきそんな話をした柚宇ちゃんにボーダー大変?って聞いたら、そんなことないよ、楽しいよって笑ってた。身近にボーダーの友達が三人もいるのにそこの事情はよくわからず、でもなんとなく根掘り葉掘りは聞けなくて、さっきも、そっかあって笑い返しただけだった。知りたいけど知れない。

 そう最近当真くんとご飯食べれてない。


「おはよう」


 ハッと振り返る。今ちゃんが、入り口からこちらの席に歩いてきていた。外を歩いてきたからかPコートを着た彼女の頬が赤かった。教室は暖房が入ってるから、早く暖まるといいな。


「おはよ〜。おつかれ〜」
「お疲れさま今ちゃん」
「ありがと」
「ご飯食べた?ここ来なよ」
「そうするわ」


 柚宇ちゃんが右隣の空席のイスへ手を伸ばす。今ちゃんは荷物を自分の席に置きに行くようで、柚宇ちゃんの席を通り過ぎた。わたしはぼんやりそれを眺めてから、ふと何も置いてない柚宇ちゃんの机に目を落とした。カーディガンのポケットから携帯を取り出す。着信はない。


「お、当真おはよー」


 今度こそガバッと顔を上げる。教室の後ろの入り口から、当真くんが入ってきていた。彼は男友達に「はよー」と返しながら真ん中の方にある自分の席へ歩いていく。クラスメイトの半分くらいが余所に行っているから、机と机の間の狭い通路も歩きやすいみたいでスイスイと足を進めていた。
 当真くんだあ…。目をキラキラさせていたかもしれない。今ちゃんと同じ任務だったのかな、一緒に来たのかな、いいなあ。お疲れさまって言いたいけど、呼ばれてもないのに近寄っていいのか未だに自信ないからできない。三年生になってから知り合った当真くんとは、一緒にお昼ご飯を食べたり、一緒に帰ったり、お互いのお家にお邪魔したり、こないだなんかお泊りもしたけれど、わたしはいつまで経っても受け身の人間だし、気の利いた話もできないままだった。だから、自分から当真くんに何かすることは、とても勇気がいるのだった。
 席に辿り着いたあとも目で追っていると、当真くんはスクールバッグを置いて、コートを脱ぐのかと思ったらふっと、こちらを向いた。どきっと心臓が跳ねる。まさか目が合うとは思ってなかったのだ。


、購買行こーぜ」


「、うん」お誘いの言葉を理解するなり立ち上がる。突然のことに慌ててたので、机に置いてたお弁当袋を忘れるとこだった。柚宇ちゃんに指摘されて気付いた。「いってらっしゃい」柔らかい笑顔で送り出してくれた彼女にうんと頷いて、自分の席へ戻る。わたしの席は後ろの方だから柚宇ちゃんの席から戻る途中で当真くんの近くを通る。当真くんはわたしを目で追いながら踵を返して、そのまま教室の入り口へ向かうようだった。当真くんと購買に行くのは初めてじゃない。いつもみたいにお菓子を買って教室で食べるのだろう。そう思い、お弁当袋は机に置いてカバンからお財布だけを取る。


「寒いからコート持ってこいよ」
「えっ、うん」


 言われた通りイスに掛けていたダッフルコートを羽織って駆け寄る。購買は屋内なのに何でだろうと思ったけど、そういえば当真くんも着たままだったと気付いた。廊下は寒いからそのせいかな。
 入り口で追いつき並んで廊下に出る。背の高い当真くんを見上げる。


「当真くん、お仕事、お疲れさま」
「おーさんきゅ」
「やっぱり、ずっと外にいると寒い…?」
「寒い寒い。あ、任務中はそうでもねーけど」
「?」


 一瞬目を逸らした当真くんはそれからまたわたしを見下ろして、なんでもない風に言うのだ。


「購買のあと屋上行こーぜ」







 当真くんもお昼ご飯は食べ終わっていたらしく、購買では肉まんを買っていた。わたしは季節限定のお菓子を買った。当真くんに連れられるように屋上への階段を昇り、鉄製の扉を開く。「お、誰もいねー」一番にそこへ踏み入れた当真くんが嬉しげな声で言うのを後ろで聞いていた。当真くん、何度かここに来たことがあるのだろうか。屋上は立ち入り禁止なんだと思って三年間近寄ったことすらなかったけど、彼の言い方はまるで生徒が利用する場所として定番であるかのようだった。当真くんは教室で自分の席に行くよりスイスイ歩いていき、給水塔のそばで腰を下ろした。追いかけるようにコンクリートの地面に足を下ろす。廊下より幾分寒い気温に改めて冬を感じた。けれど息は白くならない。一月半ばにしては暖かい方なのだろうか。もちろんいくら寒かろうが、当真くんがいるのに戻りたいだなんて思わない。むしろ連れてきてもらえて嬉しいほどだ。わたしは喜びに満ち足りた気分で彼のあとを追った。
 きっと当真くんに連れられなければ三年間縁のない場所だったに違いない。屋上なんて青春みたいな場所、今まで近寄らなかったのはもったいなかったかもしれない。ああでも、そもそも当真くんがいなければここだって価値はないんだろう。


「そういやと屋上来んの初めてだな」
「うん、初めて来たよ」
「マジか。もっと早く連れてきてやりゃよかったな。あと二ヶ月しかねえし」


 ううん、と首を振りながら隣に腰を下ろす。距離感に迷って30センチくらい空けて地面に座ると、「さみーんだからもっとくっつけって」とフードを引っ張られてしまった。硬くなりながらおずおずと近寄る。それでも足りないみたいで、最後は当真くんに肩を抱き寄せられてぴったりくっついてしまった。寒いはずなのにドッと体温が上がる。首辺りが暑い。恥ずかしくて当真くんを見られず、体育座りをした自分の膝を見ていた。購買のビニール袋をお腹に置いて俯く。身体の左半分で当真くんの体温を感じる。恥ずかしいのに幸せでどうにかなりそうだった。


「さみーけど、今日風ねえから丁度いいと思ったんだよな」


 うん、と訳もわからず頷く。当真くんが隣でビニール袋から肉まんを出しているのを視界の隅で捉えて、自分も箱に入ったいちご味のチョコを出した。CMで見てからずっと食べてみたいと思ってたのだ。ペリペリと紙の箱のフタを開けるとピンク色の四角いチョコが並んで敷き詰められている。当真くんがわたしの手元を覗き込んだのがわかった。


「かわいーな」


 どきっと一層熱くなる。なんだか自分が言われた気がしてしまった。恥ずかしい。頬や耳はとっくのとうに赤くて、わたしはもはや寒いのか暑いのかよくわからなくなってくる。紙に包まれたままの肉まんが当真くんの手にある。


「あ、当真くんも食べる…?」
「お、いるいる」


 当真くんはさんきゅーと笑って、差し出した箱から一粒つまんで口に入れた。当真くんの頬が動く。見つめていたことに気付いてハッと俯く。誤魔化すように自分も一粒食べると、見た目通りのいちご味が口内でとろけた。甘くてすきな味だ、正解だった。じわりと口元が緩む。





 呼ばれて見上げる。当真くんと一瞬目が、合った気がした。すぐにわからなくなったけれど。

 ぼやける視界と頭の中、くちびるとくちびるがくっつく。はなれる。


「青春みてーだろ」


 至近距離で楽しげに笑った当真くんに、ちゃんと理解しないままぎこちなく頷く。当真くんとのこれは何度したって恥ずかしくて、わたしは口の中に残るチョコの甘さだってすっかり忘れてしまう。どきどきする心臓が痛い。頬が火照って熱い。ぎゅうと目をつむる。
 隣で何事もなかったように肉まんを食べる当真くんに、寒いか?って聞かれた。違うよ、と声には出さず首を振る。むしろこんなに外であついって思ってるの、わたしだけなんじゃないか。きっと昼休みが終わるまでこのままだ。