14.

 作戦室に戻ってもが目覚めた様子はなく、俺が出てったときと同じ仰向けの体勢のままぐっすりと眠っていた。せっかくの暖かいお茶が冷えるけどそれはローテーブルの上に置いておく。俺との私物だけで埋まりつつあるそこを見ながら、の太もも辺りの空いてるスペースに腰を下ろす。俺の体重の分沈むが、やっぱりこの程度では起きない。俺もよくなかなか起きないって言われっけど多分こいつも相当だよな。ほっとレモンの最後の一口を飲み、アルミ缶をお茶のペットボトルの隣にコンと置く。さて、どうすっか。そろそろ本格的に腹も減ったし我慢する必要もねえ。さっさと起こすかな。若干身体の向きを変え、の胸の横に右手をついて寝顔を覗き込む。しっかり閉じられたまぶたを左の親指でそっとなぞる。人の鍛えられない弱点っていうくらいだから柔らかい。気持ちいいんだよなー、つっても、こいつどこ触っても気持ちいいからなあ。

 さすがにの親には負けるか?でも子供の頃じゃなくていまのにだったら、俺が一番触ってると思う。国近とか今なんて目じゃない。

 試しに耳たぶに左手を移動させる。やわやわと触ると指から伝わる感覚で脳みそが麻痺していく気がした。気付くと上半身ごと覆いかぶさるように背骨を曲げていて、すぐ目の前にの顔があった。両手を顔の横へと移動させ、左の指で髪の毛を掻き上げる。くちびるをくっつける。

 離れると同時に、ゆっくりと両目が開いた。起きた。おいおい、白雪姫かっつーの。おまえそんな乙女な才能もあったのかよ。


「と」
「……おー」


 なんとなく至近距離のまんま動かないでいてみたら、「え、あ、あれ…」もその体勢のまんま固まって目を白黒させた。ちゅーしたことは気付いてねーな。その上でこの状況が読めてない。多分起き上がりたいって思ってるんだろーけど、は俺を押し退けるってことができないから動けない。相変わらず嫌がるみたいな拒絶をしようとしねーんだよなあ、俺がもし極悪人だったらおまえ、どうすんだよ。いいようにされちまうんだぞ。まあ、いまも割といいようにしてっけど。真っ赤になってくがだんだん可哀想になってきたので、の肩を押さえつけてた肘を伸ばし腕の長さだけ距離を取ることにした。


「ご、めん、寝ちゃってた…」
「いーよ。も講習お疲れさん」
「ありがと……もうすぐで正式にオペレーターになれるかも」


 労いの言葉をかけてやるとも頬を赤くさせたままへにゃりと笑った。そう、いまのは戦闘員でいう仮入隊の状態らしい。そっちのことは興味ねえからよく知らなかったけど、いまやってる座学の次の実践訓練で合格してようやくオペレーターとして入隊が認められるんだそうだ。今曰くそれからボーダー内部の機密事項がようやく解禁されるから、遠征のこともまだ知らないらしい。不適合者だったときすぐに記憶処理して追い出すための厳重な措置なんだそうだ。ボーダーも大変なこって。


「へえー…」


 けど正式な入隊も秒読みだろう。ただでさえ人員不足だったところに戦闘員希望者がどっと増える予定なのだ。その分後方支援の人数は必要になる。は俺と同じで頭は悪いけど、エンジニアでもない限り勉強ができるとかはボーダーじゃあんまりかんけーねえから、練習すれば問題ないと思う。意外と気が回るし、オペレーターとしては十分やってけるだろう。けど。

 左手での髪を掻き上げる。ソファに広がったそれを持ち上げるように指を通す。音子はいまオペレーターの制服だ。だから余計リアルに、こいつがどこかの作戦室で、知らねえ隊に指示を出してる光景が想像できてしまった。
 そう、鋼の言う通り俺はにオペレーターになってほしくない。全然嬉しくなかった。しょうがねーだろ、嫌なもんは嫌なんだよ。ハッと、自嘲気味に笑みをこぼす。


「いつかおまえがどっかのチームのオペレーターになったら、俺だけのおまえじゃなくなるんだろーなあ……」


 途端、の目が見開かれる。それからじわりと潤んで涙目になってきたみたいだ。その意味がわかってしまい、呆れて抱きすくめる。喜ばせたんじゃねーっての。
 前に言ったろ、おまえはそのまんまでいろって。クソやろうのまんまでいてくれりゃいーんだよ、俺のことしか考えてないクソやろうのまんまで。オペレーターになんかなってどうすんだよ。誰かに必要とされるおまえなんて見たくねえよ。その誰かの期待に応えようとするおまえも。俺以外に縛られてるが嫌だ。こいつは俺ので、俺だけがすきにしていい奴だ。そう思ってたのに、こんな風に取られることを考えてなかった。否が応でも奪われるって感覚。いや、つーか、こういうので取られるのすら嫌なんだってよ。やべーだろ。いつのまに。


「おまえ、ほんとにオペレーターなんの?」
「……なるよお…」
「俺が嫌だって言っても?」


 の身体がこわばる。自分がやってることが俺の意に反してるって気付いたんかな。あーあ、俺のわがままでボーダーの戦力落としたとかなったら、誰かに怒られんのかな。
 俺の服の裾が引っ張られる。が掴んでるらしい。おそるおそるって感じで手を伸ばしたのがわかるから、一層たまらなくなる。


「わたしがオペレーターになりたいのは、当真くんともっと一緒にいたくて、もっと共有したいからで、……そうするには、オペレーターになって、ボーダーの人間になるしか、ない」
「……」
「当真くん、一緒にいたいよお……いさせて、おねがい…」


 声はほとんど鼻声で泣きそうだった。こいつがこんな風に俺に懇願すんの初めてじゃねーか。いっつも俺が呼んだときしか来なくて、俺から話しかけないとロクに会話もしねえ。そういうとこが都合のいい奴っぽくなって、今や国近や鋼たちに、俺次第だって言われることになった。俺にとって丁度よかったのは本当だ。気を遣わないでいいから楽に付き合えた。飽きたら離れりゃそれで済むと思ってた。

 そのが俺と一緒にいたいと言う。そのためにオペレーターになったんだと。

 そうだこいつはずっとこうだった。俺が理由だった。こんなクソみたいな理由でボーダーに入っちまう奴だった。なんだよその理由、おまえ、そんなんで面接んとき何つったんだよ。いくら人手不足だからってそんな動機じゃ受かんねーだろ、バカだなあ。それに一緒にいるためにボーダー入るって、ぜってえハイリスクローリターンってやつだろ。見合ってねえぞ。「で、でも」依然震える声に、抱きすくめていた腕を解き、の顔を見る。


「もし当真くんが、わたしのこと嫌いだって、顔も見たくないって言うなら、やめる…」


「……ふっ」本気で泣き出すもんだから不謹慎ながら吹き出してしまう。右手で口を隠したまま肩を震わせる。やめるとか言って、やめたくないって思ってんのバレバレだぜ。ほんとおまえ、俺のことすきだよなあ。で、俺もこうやってに縋られんのを悪い気はしてねえ。「…はー…」笑いが収まる。……なんか、もういいや。負けたわ。


「すきだよ」






 多分ずっと飽きねーわ。とりあえず困らせるつもりでもう一回くちびるをくっつけてやる。潤んだ目をまん丸に見開くがこのあと昼飯を食うときどんな顔すんのか楽しみだ。想像するだけで気分は上がり、の腕を引いて起き上がらせる。今日はどこ行こうか。久しぶりのラーメンでもいいし、おまえのすきなとこでもいいよ。