おばけを見たのと言ったら菊地原くんは眉間に力を入れたらしかった。正直な彼の織りなす表情筋は感情をダイレクトに表現する。至極うっとうしそうな顔だ。うんざりともいう。とにかくあんまりいい意味じゃないのは確かだけれど、なんといいますか、君のそういうのにダメージを受けてた昔のわたしはもういないんだよね。わるいね。「なんでニヤニヤしてるの」かくいうわたしもなかなかの正直者なので感情をダイレクトに以下略。上がる両方の口角は菊地原くんより優位に立った気がしてよくなった気分の表れである。


「菊地原くんが嫌な顔しても傷つかなくなった自分が誇らしい」
「前は傷ついてたの」
「……」
「ほら見ろ。おまえは最初から図太い奴だった」


 うわー菊地原くん、わたしのことそんな風に思ってたんだ。「ショックだ」感想を述べてみたけどあんまり傷ついたわけじゃないから嘘みたいに軽い声になった。だから菊地原くんもわたしに罪悪感なんてなさそうに依然うんざりした顔で見やってくる。もう少し君と好意的なコミュニケーションを取ってみたいとこだけれど、彼が人とそんな会話をしてるとこは想像できなかった。そもそも見たことがない。おかしいな、わたし学校にいるときの菊地原くんのことはよく知ってるつもりなのに。いいやおかしいのは菊地原くんの方だ。


「もっと楽しそうに話してよ」
「おばけの話で?」
「…あ、うん、そうそう。おばけを見たの」
「忘れてただろ」


 そんなことは、ない。声で嘘がバレる気がして今度は首を横に振るだけにしたけど彼は信じてくれなかったらしい。疑いの目すら向けずいっそわたしが嘘をついてると信じている菊地原くんにおまえこそ僕と話す気あるのと聞かれたのでそれには大きく頷いた。当たり前だ、わたしは菊地原くんとお話がしたいのだ。じゃなかったらわざわざ昼休みに菊地原くんの前の席になんて来ない。


「きのう夜の二時くらい?にね、ふと窓の外を見たら」
「そんな時間まで起きてたんだ」
「目が覚めちゃったの。サイレンの音が一段と大きかった気がして」
「……」
「べつにボーダーの人たちが悪いわけじゃないってば」


 申し訳ないと思ったんだろうか。ちょっと俯いた菊地原くんの表情が長い髪の毛で見えなくなってちょっと焦る。でもすぐ「悪いとか思ってないけど」とあっけらかんとした声が返ってきてなんだこのやろうと思い直すのであった。


「それでね窓を見たら」
「……」
「女の人がこっち覗いてた!!」
「大声出すなようるさいな」
「素敵なオチをご用意したんだけど」
「台無し」


 そんなにか。ストンとイスの背もたれに寄りかかると「オチてもないし」菊地原くんはハアと溜め息をついた。呆れたとかじゃなくて、単純にわたしにうんざりしてるのだ。菊地原くんにはもっと最初の方で呆れられてるのだろう。でもわたしがこうやって昼休みのたび菊地原くんの席に遊びに来てもなんだかんだ最後まで相手をしてくれるから嫌われてないのは確かだ。そうそう、そこが確かだからわたしは菊地原くんに何を言われても傷つかないのだ。前に丸い猫背を撫でたら影武者を思わせる鋭い目つきで睨まれたことがあってあれはちょっと冷やっとしたなあ。あの菊地原くん本当に菊地原くんだったのかってくらい目つきすごかったもんなあ。
 とか何とか回想にふけってる間に携帯をいじりだした彼に目をやる。本当に、きのうのあれは何だったんだろう。見間違い?夢?おばけが丑の刻参りをしていたんだろうか。うちの庭、大きな木があるしなあ。まあ、朝起きたときには菊地原くんと話すネタにしよう!としか思ってなかったから、実際何でもいいのかも。


「わたしは怖くて布団をかぶって寝直したよ」
「へえ」
「目が合ったと思う」
「へえ」
「怖い?」
「怖くない」
「……そういうの何て言うんだっけ」


 今の君にぴったりな言葉があった気がするんだけど思い出せない。「強がりとかじゃないから。面倒くさいな」菊地原くんの心ない一言にもわたしは傷つかない。そもそもその言葉は本音なのだろうか?面倒くさいって本当に思ってるの?
 とわたしがにわかに疑問を抱いていると突如菊地原くんの右手が発光した。いや、違う、菊地原くんの持ってた携帯のライトが点いたのだ。「きく、」誤操作かなと指摘しようとするとそれをもろに顔面に向けられた。視界が一瞬真っ白になって思わず顔を背ける。


「まぶしい」
「これで撃退できるよ。おばけもおまえも」
「わたし撃退したいの」
「わりと」


 うっとうしいから。菊地原くんの声で顔を背けたままつむっていた目を開ける。………菊地原くんは、おバカさんだ。それならもっと、効果的な方法は山ほどあるでしょう。わたしは光が嫌いな闇の住人じゃないよ。おばけだったら撃退できるかもだけど、多分わたし、それじゃ追い返されないよ。菊地原くんが武器のように携帯のライトをわたしに向けてわたしがうぎゃーと声をあげて逃げていく姿を想像してみたけれど、わたしがドラキュラになるか菊地原くんが水戸黄門になるかじゃないとそんなことは起こらないと思う。試しに今ムスカ大佐になって「目があ〜目があ〜」と言ってみたけど、「は?」菊地原くんには冷たい眼差しを向けられて終了した。ラピュタネタは前にバルスを誘ったときも断られている。差し出した手に目を落とした菊地原くんのなんとうんざりした表情よ。今でも思い出せる。多分菊地原くんは人に触られるのが嫌いなんだと思うよ。
 でもきっと必要だったらわたしが君の手を引っ付かんでどこかに連れてくのを許してくれそう。試しに今購買に行くために手を引っ張ろうか。雪見だいふく食べたい。太ももの上に置かれた両手をなんとなくいじってみる。


「菊地原くん、雪見だいふく食べたくない?」
「なに。食べたくないけど」


 ノリは大体よくない。でも返事してくれるだけいいんだって歌川くんや時枝くんが言ってた。信用できる言葉だ。もしかしたら自分に都合がいいから信じてるだけかもしれない。携帯のライトはもう消されていた。まだ指は動いてるけど、何してるんだろ。誰か友達呼んでるのかな、わたしと菊地原くんの憩いの時間が邪魔される!とかいう妄想は随分前にしたし偶然以外でこの憩いの時間に第三者が入ることはなかった。菊地原くんも呼ぼうとしてない。ほら君、だからわたしを調子乗らせてしまうんだよ。


「菊地原くん、わりとわたしのことすきだよね」
「すきじゃない」


 早すぎる返答の意味はよくわかった。ニヤッと笑った口を両手で覆い隠す。「おばけの話はもういいの」逸らすように続けた菊地原くんの声が気持ちいい。


「そういうの、はぐらかしたって言うんだよ」


 ねえ菊地原くんさ、もしわたしが白いライトなんかで追い返されちゃったら、悲しいんじゃないかな。そんなのじゃへこたれないわたしだからいいんでしょう、知ってるよ。






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