額当ては腰の後ろのベルトにくくりつけて、上着で隠すようにして身につけている。出立ちはどう見ても忍だけれど、特徴的な装束でもない限りどこの出身かなんてみんないちいち気にしない。忍里お抱えの大国ならまだしも、身分を問われる場面以外で聞かれたことはない。
 城下町を練り歩きながら、ふと立ち止まった拍子に額当ての存在を意識する。今日は布の結ぶ位置が悪かったらしく、腰にぴったりとくっついておらず若干たわんでしまっていた。そのせいで歩くたびに身体にぶつかるのだ。
 前を向いたまま、何となしに上着の下に手を入れ、硬いそれに触れる。里のマークよりも深く刻まれた、ガタガタとみっともなくぶれた横一文字をなぞる。


「いらっしゃい」


 ハッと我に返り、手を離す。軒先に出てきた店員がポットに入った花を持ちながらわたしに笑いかけていた。屋根の上に掲げられた看板に目をやり、それから肩をすくめて会釈する。わざとらしかったかも。何を隠そう、わたし自身が花屋を見つけて立ち止まったのだ。

 よければどうぞ、との軽やかなお言葉に甘え、店内に入って物色させていただく。自分の立場上、責任を持って植物を育てることはできないから、切り花がよかった。それにアジトはどこに行っても暗くて仕方がない。花を飾れば多少はましになるのではないでしょうか、と拠点を変えるたびに言っている。毎回言っているから、サソリさんには毎回、「おまえも懲りねえな」と言われてしまう。

 毎回花屋に来ると呆れ顔のサソリさんを思い出すから、今日もサソリさんに似合う花にする。本人は目を引く容姿だけれど、彼に添える花は何でもいい気がした。何でも似合うし、何であっても関係ないと思う。だから本人も、他の誰も、わたしの買う花が毎回サソリさんのためであることを知らない。端から端まで吟味して出来上がった花束は、ただわたしのすきな花ばかりが詰まっていた。

 店を出て帰路に着く。浮かれて買ってしまったけれど、「抜け忍の自覚がない」とまた怒られるかもしれない。怒られるのは嫌だ。怒られたくなくて里を抜けたっていうのに、わたしは自ら、また自分を怒る人の部下になった。
 抜け忍って思っていたより自由じゃないし、心も安らがない。離れて時間が経ってしまうと、どうしてわざわざ危険を冒してまで里を抜けたのか忘れてしまう。あのときは本当に心の底から里が嫌いだったし、衝動的などではなくしっかり計画を練って抜けた。国境の警備の隙を縫って外に出たときは確かに開放感に包まれて夜の空気がおいしかったのに、今となってはあの頃とあんまり変わらない気がしてしまう。
 だから定期的な気分転換が必要だし、街で花を買ってしまう。サソリさんは対策も目的もなしに人目につくことを好まないから、これがアジトの共有スペースに置かれていたらすべてを察して嫌な顔をするだろう。その場にわたしがいれば咎める言葉を言うし、いなければ、知らない。わざわざ呼び立てられたことはない。
 考えなしの行動が、いつか身を滅ぼすのかもしれない。そのうえ上司のサソリさんにまで被害が及んだら申し訳ない。近いうち、サソリさんはわたしを見限るだろう、と毎日考えて、もう何日経っただろう。

 そういえば、抜け忍の証として額当てに傷を入れる風習があるなんて知らなかったな。おかげで偶然出会ったサソリさんに追い忍と勘違いされて殺されるところだった。証拠を見せろ、この場で額当てに傷をつけろ、と命令されて、死の恐怖に怯えながらクナイで彫ったものだから、わたしの傷は不格好極まりない。組織に帰ってもずっと隠しているのはそれが理由でもある。

 花束を抱えて、今の拠点へと帰る。出身の風の国とは異なる街並みで、でも変わり映えしない住人の顔つきを眺めながら、歩く。今日はいい天気だ。
 サソリさんが、わたしの運命の人だと思った。今も思っている。なんとか部下にしてもらえて、何人もの部下の入れ替わりを目の当たりにして、必要以上に手の内も心の内も明かさないその人の背中をずっと見ていた。サソリさんのお眼鏡にかなう忍になりたい。サソリさんのお手を煩わせない人間でありたい。そう思う気持ちは、嘘ではないと誓えるのに。残念ながら誓う先がない。信仰する神様もいないし、人間の誰に言ったって結局、わたしの善悪すべてを見抜くことはできないから、裁くことはできない。

 今のアジトは地下にある。誰が作ったのか知らないけれど、掘った形跡に年季を感じるため、たぶん暁のどなたかではないのだろう。ちょうど空いていたから使っているんだ、と思っていたけれど、このあいだ奥にまだ新しい血まみれの部屋を見つけてそっと扉を閉じた。
 その誰かが使っていた花瓶を見つけた日から、わたしの気まぐれで花が生けられるようになった。みんな見向きもしなかったけれど、一度だけ小南さんが目をやっていたのを目撃したことがある。表情はいつもどおりだったけれど。もし変わっていたとしても、わたしから話しかけていい立場の方ではない。
 共有スペースで、空っぽの花瓶に水を入れ、買ってきた花を生ける。色味良し、バランス良し。腰に両手を当てふんと満足げに笑う。それからすぐ、力が抜けて、だらんと腕を下ろす。こういうの、何て言うんだっけ……。


「またくだらねえことを」


 振り返り、声の主を視界に捉える。サソリさんが入口に立っていた。眉をひそめて、呆れの様相だ。怒られる前に、咄嗟に「暗かったので、部屋が」と、言い訳を発する。こんなのでサソリさんを言いくるめられるはずがない。案の定、彼はわざとらしく深いため息をついて、「何度言っても学習しねえな」と呆れている。


「すみません…。でも、綺麗ですよ」
「あいにく花を愛でる趣味はないんでな」
「そう、ですよね…」


 サソリさんからも花からも目を離し、視線が俯く。せっかく飾った花を蔑ろにされたくらいではへこんだりしないけれど、サソリさんを説き伏せる反論も思いつかない。あっさり白旗を挙げたわたしは、情けなくも愛想笑いを浮かべて、逃げることにした。「えっと、じゃあ、失礼します」逡巡したけれど、花瓶はそのまま置いていくことにした。お辞儀をして、一つしかない入り口へ向かう。自動的に、サソリさんへ歩み寄ることになる。

 真横を通り過ぎた矢先、くいっと、上着を後ろから引っ張られた。声には出さず驚いて、振り返る。上着は裾を引っ張られてめくりあがり、背中が見えている。
 引っ張ったのはサソリさんだ。彼は右手の人差し指を私に向けている。彼の戦い方はよく存じ上げているので、チャクラ糸がそこから伸びているのもすぐにわかった。その先は、言わずもがなわたしの上着だ。


「……」


 驚いたまま、声はほとんど音にならなかった。わたしが凝視している間にも彼は空いた距離を一歩詰め、届く距離まで来ると、今度は自身の左手でわたしの肩を押した。後ろを向けと言わんばかりの力の込めようだったので、反抗の意思もなく言われたとおり背を向ける。そのまま、左手で上着の布を掴まれる。
 チャクラ糸を切った右手が、わたしの腰に伸びる。そこには両端をベルトにくくりつけた砂隠れの額当てが隠してあることを、他でもないわたしは知っている。
 人差し指が、カツンと爪を立てたと思ったら、左から右に横移動する。硬質な額当て越しに伝わる微かな感覚に全身がビリビリと痺れる。心臓の位置がよくわかるほど鼓動が響く。
 人差し指の軌道は、綺麗な一直線ではなく、がたがたと上下にぶれている。何をなぞっているかなど考えるまでもない。自分でやるのと、なぜこんなにも感じ方が違うのか。右端まで到達すると、それは離れていく。


「……はっ」


 背後でサソリさんが息を漏らした。それが、嘲るような笑みのように感じ取って、とっさに振り返ってしまった。
 振り返った先、サソリさんは見下げるような眼差しと、間違いなく口元に笑みをたたえていた。思わず大きく息を吸って、止めて、凝視する。心臓はまだばくばくとうるさい。顔は熱発したときのように火照っている。サソリさんに、今の行為にどんな意図があったのかわからない。今自分は頭が回っていないのだと、自覚している。


「……あの、わ、たし、」
「……」
「サソリさんのことが、ずっと、よくわからないんですけど、」
「わかられたくもないがな」


 表情は変わらず嘲っている。確かに上がった口角を認めた瞬間、弾かれたように目を逸らす。一度俯いて、それから、顔を上げる。
 相変わらずサソリさんはこちらを見ている。ずっと見定めるような視線のように感じる。サソリさんが、わたしに何を見出そうとしているのか、わからない。初めてお会いした日から、なんとか部下にしてもらえて、何人もの部下の入れ替わりを目の当たりにして、必要以上に手の内も心の内も明かさない背中をずっと見ていた。わたしがわかっているのは、ほんの少しだけだ。


「死んでも待ってます……」


 口をついて出た言葉に背筋が凍る。しまった、と後悔する。瞬時に怒られる想像をする、そんなわたしをよそに、サソリさんは驚いたように目を見開いたと思ったら、右下に目を逸らし、文句ありげに眉をひそめ、最後は呆れた眼差しをわたしに向けた。

 人を待つのも待たせるのも嫌いだと言ったあなたを知っている。そんなあなたが、死んだわたしを忘れられなかったらどんなにいいかと考えてやまない。自分があなたにとってどれほどの価値がある存在なのか。きっとわたしを裁くのはあなたしかいない。


「本当にずっと変わらねえな」


 思わぬ台詞に目を丸くする。馬鹿にするように呆れたように、でも確かに口は笑っている。その表情を見たのは、二度目だった。
 わたしが震えながら額当てに傷を入れた日。わたしとサソリさんが初めて出会った日。彼の目には、あの日の未熟なわたしが映っている。

 ふと思い至る。サソリさんはあの日のわたしを永久にしたいのかもしれない。