サソリさんの周りには音がない。いつも静まり返っていて、冷たい。だからか、サソリさんが暖かい空間にいる想像がつかない。砂隠れの里生まれというのだって本当は信じがたい。いいやでも、真夜中、里周辺に広がる一面の砂漠に立っている姿なら、容易に想像できる。サソリさんは背を向け、風の吹く先を見つめている。そのときだって、風は吹いているのに音は聞こえない。夢には音がないと聞いたことがあるから、もしかしたらわたしはずっと夢の中にいるのかもしれない。 そうだったらいい、と思う。そんなわけがないのだけれど。

 サソリさんが作業台の上に千本を置いた。カランと気持ちのいい音がする。サソリさんの周りには彼の立てる音しかしない。耳を澄ませ、一つも取りこぼしたくないと思わせる。それができる環境に感謝したくなる。なにせわたし、人の命と引き換えにしてここにいるのだ。たとえば、と、サソリさんの部下になるために踏み躙ってきた人や物事を思い出そうとして、浮かぶ顔が年々減ってきていることに気付いた。まるで感謝の気持ちも薄れているみたいでいけない。でもサソリさんへのありとあらゆる気持ちは年々増していっているから、何も無駄ではないだろう。おかげさまでわたし、毎日しあわせです。

 手を止めたサソリさんが、おもむろにこちらを振り返った。赤髪の隙間から覗き込む瞳と合う。


「必要があれば呼ぶ。戻ってろ」
「呼ぶのはお手間でしょう、ここにいますよ」
「殊勝な言い方すんじゃねえ。気が散るっつってんだ」


 サソリさんが睨んでいる。わたしの返答がお気に召さなかったようだ。そうは言われても、「わたしの帰る場所といったら、サソリさんの元でしょう」おどけたように笑って返すと、今度は表情を歪めてこれみよがしに溜め息をつかれた。次に言われる言葉を待って、彼の口元をじっと見つめる。


「時間の無駄だな」


 その言葉に、反射的に口角をあげて肩をすくめたけれど、そのまま固まってしまう。やんわりと心臓を握られるように、身体の自由が奪われるのだ。わたしは、サソリさんになら簡単に殺されるだろうと、よく想像する。サソリさんの一言で少し傷ついて、少し動きが鈍り、その隙に致命傷を負うだろう。
 いいや、そんなことをしなくたって、わたしはいつだって残り三日の命なのだけど。そう思いながら生きているのに、サソリさんがわたしに毒を与えたことは存外、一度もない。

 サソリさんがまた作業台に向き直る。棚からビンを取り出し、禍々しい色の液体を皿に移す。そこに千本を浸し、一本ずつ傀儡の腕に仕込んでいく。
 一つ一つの音を聞きながら、この時間が一生続けばいいのに、と思う。あなたのいう無駄な時間をわたしは一生過ごしていたい。サソリさんが生きて、そう、生きて、自らの意思で動いて、物を見て、判断し、言葉を紡ぎ、感動する。そういうところを見ていたい。このうちいくつが「違う」と否定されるだろうか。サソリさんは人形然としていたがるから、たぶんわたしの希望は叶わない。殊勝でありたいならば、美しい後ろ姿を見ていられるだけで満足だと口にするべきなのだけれど。

 そういえば最近、故郷の風影様が代替わりした。我愛羅くんという若い男の子で、一尾の人柱力だ。彼の中身は暁としては無視できないけれど、そんなことより彼の髪、真っ赤で綺麗だった。サソリさんの髪色とはまた違った濃くて深い赤髪。暁にもいろんな色の人がいるけれど、わたしには赤色がいちばん綺麗に見える。これはサソリさんの部下だからそう思ってしまうだけなんだろうか。

 我愛羅くんを間近で見る機会があったら、はたして目を奪われるだろうか。そんなことになったら、サソリさんはどう思うだろう。考えて、何も思わないな、と確信できた。サソリさん、少しもわたしを得難く思ってくださらない。わたしも、この場所を誰かに奪われないかばかり不安で、ほんとうは少しも安心できない。サソリさんの部下はみなさん優秀で、それこそ記憶を封じて砂隠れの里に潜入している人や、暁を抜けた大蛇丸さんの部下になりすましている人もいる。そういうのって、多分よっぽど優秀じゃないと務まらないし、サソリさんに任せてもらえない。でもわたしは難しい任務を任されたいわけじゃないから、いい。でも真に使えなかったらきっとすぐに捨てられてしまうから、この塩梅がとても難しい。


「サソリさん、次の賞金首はどちらの方ですか?」
「資料はデイダラに預けてある。見たけりゃ行ってこい」
「……わかりました」


 逡巡して頷く。ここを離れたくはなかったけれど、確認を怠って役立たずになってしまっては本末転倒だ。やるべきことをやらないといよいよ見限られてしまう。次に狙う賞金首。サソリさんに割り当てられた人柱力の情報収集をしつつ資金稼ぎをするのが暁でのもっぱらの仕事だ。部下のわたしは出来る限り同行して、サソリさんの力になり、一番そばで彼の生き様を見ていたい。
 そのためにやるべきことを。重い腰を上げて立ち上がって、部屋を出る。「失礼しました」サソリさんからの反応はない。

 パタンと、扉を閉じた途端、あちこちから音が響いてくる。錯覚だとわかってもなお、聞こえてくる。誰かの足音、話す声、アジトの外の木々のざわめき、そういうのが全部聞こえてくる。反対に、今しがた退室した部屋からは何も聞こえてこない。サソリさんは変わらず暗器の仕込みをしているはずなのに。心配になるほどだけれど、まさか成果もなく出戻りしたら呆れられてしまう。ぐっと堪えて目的の部屋へと足を向ける。

 一人、歌を口ずさむ。賑やかなのがすきで、忍具の手入れをするときも、資料を読み込んでいるときも、誰かと話しているときだって、音がほしくなる。最近よく聞くのは大好きなあなたを想う歌。あなたのためならなんだってする、命も惜しくない、わたしを見てほしい。そういう歌。自分に重ねて共感して、反対の、ありえない空想に浸る。わたしサソリさんの「あなた」になりたい。

 訪ねた先、デイダラくんとの最低限の応酬は風に吹かれて誰の心にも残らない。だから、ほらよと差し出された資料を受け取ったその足でサソリさんの元へ戻る。言ったとおりだ。
 ノックをする。返事はない。いつだったか、本当に駄目だったときに拒絶されたことがあるから、無反応は「入っていい」という意味なんだと理解している。


「失礼します」


 やっぱり反応はない。退室していた数分の間に仕込みの作業は終わったようで、次は作業台から離れヒルコのメンテナンスを始めたらしい。床にあぐらをかいて腕を分解している。
 サソリさんは目線だけを上げわたしを見とめたあと、腕に抱えた資料に落とし、ハッと嘲るように笑った。


「おまえも懲りねえな」
「懲りるとは?」
「ここにいたって何もないってわかってんだろ」
「サソリさんがいるじゃないですか」
「俺がいるからだろ」


 はたしてどういう意味だろうか。サソリさんの手の中にあるヒルコの腕に視線を落とし、考える。あたりはいつの間にかしんと静まり返っている。扉一枚隔てただけで、ここは真空のように無音だ。


「落ち着かねえくせに」


 馬鹿者を笑うように吐かれた言葉に、彼を見る。もうわたしを見てはおらず、ガチャリと腕の装甲を外す。ただただ、サソリさんの立てる音だけ。それ以外何もない。資料を抱え直し、息を吸う。しづらい、落ち着かない、自分のことだもの、わかっている、そんなこと。


「でも、サソリさんがいるから、いいんです」


 口にしたら、はあ、と溜め息が一つ聞こえる。いよいよ頭のおかしい部下に認定されてしまったかもしれない。
 気にしないふりをして、先ほどと同じ場所に腰を下ろす。……でも、全部を説明したらさすがに気持ちが悪いと切り捨てられてしまいそう。音がないと落ち着かないわたしが、極端に静かなここにいたがる理由。サソリさんの音だけを享受できる環境に感謝していること。資料の一枚目をめくる。文字の羅列を頭に叩き込んでいく。その間にも、サソリさんの立てる物音を一音一音聞いている。これが永遠に続いたらいいと、切に願っていること。

 ふっと、唐突に、サソリさんを理解できた気がして、胸から込み上げる歓喜に思わず息を飲んだ。
 サソリさん、永久っていいものですね。サソリさんも、ずっとこのままがいいって気持ちを、人傀儡という永久の美に閉じ込めたんですね。
 ならばわたしのこの、ずっとサソリさんのそばにいたい気持ちも、形にして永久にできたらいいのに。それを目視したサソリさんは、きっと驚きに目を瞠ったあと、呆れたように微笑む。そんな都合のいい妄想に音などなく、わたしは一人力なく笑みをこぼした。