だってわたしたち、いつ死ぬかわからないでしょう。


「あ」


 ふわっと漂う香りにつられてそちらを向けば、店頭で焼かれた温泉まんじゅうが目に入った。ほかほかの湯気が立ち上っていて、おいしそう。目を奪われ、思わず指を差していた。同時に、反対の手で隣を進む赤い雲模様の外套に手を添える。外套の下はゴツゴツと硬いので、ノックをしたほうがいいのかもしれない、と常々密かに思っている。あいにくと、手を添えるだけで相手は気付いてくれるので、実行に移したことはない。


「なんだ」


 低く這うような声。今日この声を聞いたのは二度目だ。布で口を隠したお顔のうち、三白眼の双眸だけがわたしを向く。首までは動かしてくれないのはいつものことだ。


「サソリさん見てください、温泉まんじゅう。おいしそう。買ってきていいですか?」
「観光しに来たんじゃねえぞ。よそ見してねえでさっさと歩け」
「…そうですよね」


 間髪入れずの諫言に両の手は引っ込む。タイミングが最悪だった。任務中だ、ゆっくりしている暇は、そりゃー、ない。なんなら温泉まんじゅうよりも注意しなければならないことが周囲には蔓延している。どこにいてもお尋ね者のわたしたちは、三百六十度どこから刺されてもおかしくないのだ。わかってはいるものの、四六時中気を張るということがどうにも自分には難しい。


「たいして食いたくもねえくせに、あれこれ目移りしやがって」
「えっ?なんでそう思うんですか?」


 思わず目を丸くする。サソリさんからそんな言葉が飛び出すなんて予想だにしていなかったのでつい聞き返してしまった。サソリさん、今はヒルコに入っている彼は、進行方向を見据えながら、彼自身の声とは違うくぐもったそれで、溜め息のようなものをついた。サソリさんには呼吸も不要なのに、生前の名残だろうか。気付けば、口をぽかんと開いてしまっていた。
 サソリさんが、人形に不要な、人間の挙動をするたび不思議な気持ちになる。嬉しいとも可笑しいとも違う。ほんとうに、不思議な気持ちになる。


「何に対してもこれといったこだわりもなく見境がねえ。どうせ何でもいいんだろ、てめえは」
「そんなあ、こだわりがない人なんていないですよ」


 流暢に返してみせたのが余計気に障ってしまったのか、サソリさんからのリアクションは無だった。ぱちぱちと瞬きをし、努めて口を噤む。果たして何と答えるのが正解だったのか。
 わたしは、サソリさんが今このときも、全身を傀儡にしてもなお自らの意思のみで自由自在に動いていることに感謝をしたくなる。胸の核以外、ノックしたらいい音がしてしまう身体なのに、瞳が動く。声を発する。笑う。わたしが傀儡師だったら少しは感じ方も違ったのかもしれない。サソリさんという人傀儡の崇高さ、貴重さ、人間への冒涜。そういうのがわかって、より一層、サソリさんがこの世でもっとも素晴らしい傀儡師であると、身に沁みることができたのかもしれない。サソリさんもよく、「おまえもこうなるか?」と聞いてくれる。念のため、それは脅しにならないですよと伝えたら、ものすごくつまらなさそうな顔をされたけれど。

 だから、つまり、まとめると、ほら。


「わたしサソリさんにこだわってるじゃないですか!」
「余計なお世話だ」


 拒絶。視線も声音も一切変えずピシャリと遮断したサソリさんを見下ろす。外套越しのヒルコの甲羅が、「いらない」と言外に言っている、などということはない。サソリさんは何も言っていない。
 傀儡のヒルコの中で座ってチャクラ糸を操っているサソリさんを想像して、しかしながらそこにいるのは人形なのだ、と思う。自分といえば、口を手で覆って、いやだ、ヒルコの真似じゃあない。そうでなく、自分が今しがた考えていた、使った言葉を省みていた。

 わたしったら、「生前」だなんて、おこがましい。まるで、サソリさんは今、生きていないとでも言うのかしら。わたしの上司、わたしのすきな人、わたしの生きる意味。わたしのすべてと等しいこの人、が、だとするならば、なぜ自らの意思で動いているというのか。サソリさんは生きている。わたしと同じように、死ぬのだ。

 己の言動と思考に反省しながら斜め後ろを歩いていく。やがて集合地点に着く頃には、もう陽が傾いていた。村のはずれの大岩の裏に回り込み、無人であることを確認する。「デイダラはまだか」あとに続いて影に踏み入ったサソリさんに頷くと、やっぱり溜め息が聞こえる。
 それから、サソリさんはヒルコを開き自分の足で地に立った。空のヒルコは巻物にしまい、そばにあったちょうどいい高さの岩に腰掛ける。当たり前だけれど、疲労は見えない。男の人らしく脚を開いて座る。視線は足元の地面を見ているのだろうか。少なくともわたしのことなど、一片たりとも意識にないだろう。
 デイダラくんが来るまでわたしたちはここで待機になる。サソリさんは人を待つのも待たせるのも嫌いだから、デイダラくんも今ごろ慌ててこちらに向かっているんじゃないだろうか。でも彼は肝が据わっているから、サソリさんの機嫌には頓着しないかもしれない。わたしも大岩に寄りかかって空を見上げて、それから、あ、とサソリさんに視線を戻す。


「そういえば、聞きましたよ、この前の任務でデイダラくんと宿に泊まったって。どうしてわたしを連れて行ってくれなかったんですか?」
「邪魔だったからに決まってんだろ」
「人数の問題ですか?ならデイダラくんじゃなくてわたしにしてくださったらよかったのに」
「あ?……おい……まさかてめえとあいつのどっちが有用か、俺がわからないとでも思ってやがるのか」
「サソリさんさえいれば他は誰でも同じじゃないですか?」
「効率って言葉も知らねえのか、可哀想にな」


 自信家のサソリさんでも真正面から肯定はしてくれない。確かにサソリさん、選り好みするから、やりたくない行程は相方に丸投げすることもある。わたしなら嫌な顔一つせず従うのに、それを差し引いてもデイダラくんのほうが使い勝手がいいらしい。たしかに、彼はわたしのできないことを山ほどできる。


「……おまえの、思ったことを何でも口にする気質。それがこだわりか?」


 多少の呆れを含んだサソリさんの眼差し。そう言われて、とっさに思い出したのは温泉まんじゅうだった。今となっては食べたいと少しも思わない。


「ぁ……、そうです!」


 一瞬言葉が支えて、出てきた声は思いの外大きかった。サソリさんの眉がぴくりと上がったのがわかったけれど、構わずそのまま続けてしまう。だってサソリさんがわたしに関心を示してくれるなんて、滅多にないことだもの。


「わたしたち、いつ死ぬかわからないじゃないですか。いざ死ぬってなったとき、伝えそびれたことがあったら嫌なので、言いたいことは元気なうちに全部言っておいてるんです!」
「は。伝えられる側は迷惑極まりないな」


 サソリさんって、動揺することがない。何を言われてもどこ吹く風と返してくる。もしわたしが仮に「実は砂隠れのスパイなんです」って暴露したとしても、「へえ」って相槌と同時に殺してきそうだ。やだな、最後に聞くサソリさんの言葉が「へえ」なの。わたしが死ぬときは、サソリさんに愛の言葉を囁いてほしいのに。


「なので、サソリさん、すきです」
「話の通じねえ奴は御免だ」


 言ったあと、脱力するように深く溜め息をつく。今日で一番大きい溜め息。それ以上、わたしの気持ちに寄り添う言葉が紡がれることはない。

 ねえサソリさん。あなたの心はいつも言葉にならないから、きっと今際の際で、わたしへの想いを伝え足りなくて後悔してしまうんじゃないかしらって、心配です。生身の核を持つ人形のサソリさん。「わたしたち」って言葉を否定しないサソリさん。