花緒ちゃんはもう気がついている。彼女はわたしが蓮ちゃんの行き先を尋ねるたび、いつも、ちょっと困った顔をするから。それを知りながら、にこにこ笑って、作戦室かな、ラウンジかな、と聞くわたしはたぶん怖い年上の女だ。花緒ちゃんにはできたら一生、お姉さんのいいお友達という認識でいてほしかった。知り合った当初は思っていてくれたかな。蓮ちゃんに向ける笑顔に限りなく近づけたつもりのそれで、彼女に微笑んだものだから、すっかり、安心してほしかった。でも聡い花緒ちゃんは、今となっては、ああ、なんだか申し訳ない。

 今日も困った顔をさせながら正しい回答をいただく。ときどき、そんな彼女に袖の下を渡したくなる。わたしは蓮ちゃんとしたいことがたくさんあるので、花緒ちゃんがどのくらい看過してくれるかで、結構話が変わってくると思う。もしも花緒ちゃんが蓮ちゃんに、わたしとは友達をやめろと言っていたなら、きっとこうはいってない。「こう」とか言って、べつに蓮ちゃんとわたしは、指切りをするような関係ではないのだけれど。

 蓮ちゃんのいる作戦室を訪ねる。三輪くんたちもいるかもと思っていたけれど、どういうわけか戦闘員の皆々様は一人もいなかった。もうすぐ防衛任務なんだと勝手に推測していた。蓮ちゃんはボーダーにいるときはほとんど、明確な用事を持って行動しているから、今日もそうに違いないと思っていた。


「あら、ちゃん」
「お邪魔していい?」
「もちろん」


 美しい口角の角度。今日も彼女の背筋が伸びているから、わたしもすんと伸びた気持ちになる。わたしは蓮ちゃんと同化したいわけではないのだけれど、自分の背筋が伸びていく感覚は、すきだった。


「蓮ちゃんだけでよかった。一緒にどら焼き食べよー」
「あら。じゃあ、いただこうかしら」


 大学でいつも使っているカバンとは違う、すきなキャラクターがプリントされたトートバッグを肩から下ろす。子どもっぽいかもしれないけれど、家からそう遠くもない、何年も通っている場所へ気合いを入れて行くのも、なんだか逆に、どうなんだろうと思ってしまって、今や近所のコンビニに来る感覚だ。さすがに、家着とかすっぴんのままでは来ないようにしてるけれど。
 トートバッグにしまった和菓子屋さんの紙袋を出して、席を立った蓮ちゃんのあとに続く。どら焼きは、ボーダーに来る前に寄って、三つ買った。一つはもう、花緒ちゃんの袖の下だ。花緒ちゃんは、やっぱり困った顔をして、ありがとうございますとお礼を言っていた。どら焼きに罪はないので、おいしく食べてほしい。
 ならばわたしには罪があるのだろうか?なんて傲慢なことを考える。ないよ。

 蓮ちゃんが和室の手前の給湯室でお茶の準備をしてくれる。それをさらに手前の広間で突っ立ったまま眺めていると、「先に座っていていいのよ」と促されたけれど、わたしはふふ、と肩を上げて、「運ぶの手伝うよ」と答える。蓮ちゃんは、そう、と美しい笑みを浮かべたまま、電気ケトルに目を落とした。
 わたしが物語の黒子として生涯を終えるならば、蓮ちゃんの背景にお花を添え続ける役目をまっとうしたい。花吹雪ではなく、生け花がいい。せっせとお花を運んで、誰の視界にも蓮ちゃんとお花が一緒に映るように働きたい。そんなことをしなくても、と誰かが言うかもしれない。そんなことをしなくても、蓮ちゃんの背景には常にお花が見えるだろう。


「二つしかないから、三輪くんたちがいてもなかったんだあ」
「なら、みんなには内緒ね」
「うん」


 もし他の誰かがいたら、帰り際に置いていこうと思っていた。でも二つぽっちあっても困るか。考えてなかったな、こういうのが、考えが足りないというんだ。
 蓮ちゃんとしたいことしか考えてない。これからすることをまさに想像していた。他にも蓮ちゃんとしたいことはたくさんある。蓮ちゃんが、何もかも美しい蓮ちゃんが、わたしといてどんな顔をするんだろうと考えるだけで、羽が生えたような心地だよ。


「蓮ちゃん」
「なあに?」
「へへ、呼んだだけ」


 蓮ちゃんは、ぽかんとするかと思ったけれど、まるでわかっていたように、そう、と、それはそれは上品に微笑んだ。だんだんとわたしのことがわかってきたみたい。電気ケトルの注ぎ口から、水蒸気がはみ出して、浮かぶ。なんでもない日常の光景にも、蓮ちゃんはお花をバックに美しく佇んでいる。
 蓮ちゃんは気付いてない。花緒ちゃんが気付いてることを、本人である蓮ちゃんは気付いてない。わたしはまだ、そのことにほっとしている段階だ。蓮ちゃんもわたしといろんなことをしたいと思ってくれていたらいいのになあと考えて、幸せでいる。


「昨日、新しいお茶を開けたのよ」


 棚の上の茶筒へ手を伸ばす。そんな所作だけでいい。美しいという言葉は蓮ちゃんのために生まれたのだから、辞書にも早く彼女の名前が載るといいな。