一人でB級ランク戦の観戦をしても、どきどきはらはらするばかりで気付いたら終わっているので、あまりよくない。解説席の隊員の人たちが戦況や戦術の話をしてくれているのに、そのときはなるほど、なるほどと頷いていたに違いないけれど、試合が終わって御三方に拍手を送る頃には満足感でいっぱいになっていて、すごいなとか面白かったなとか、映画を一本見終えたような気分で観覧ブースを出る。自分が戦闘員ということを忘れてギャラリーと化す。これは、よくない傾向だ。
 危機感を覚えたので、学校が同じオペレーターの友達に相談したら、誰かと一緒に見るのがいいんじゃないかと提案してもらった。戦略に造詣の深い人と一緒に観戦したら、一番近いところで解説してもらえるし、ちゃんのペースで聞くことができるよ、と彼女は言った。なるほど、なるほどと頷き、それから、今度はちゃんと心に留める。わたしもボーダーに二年ほど所属している身なので、知り合いもそこそこに多いと自負している。声を掛けたいと思う人の顔も思い浮かんだ。彼女に問う。「たとえば誰に頼めばいいと思う?」




「古寺くんにぜひお願いしたいんです」


 ぺこっとお辞儀をすると、彼は慌てたように両手を振って、顔をあげてくださいと言った。たった今訓練を終えてお疲れだろうに、そんな様子を微塵も見せず、いきなり現れた人間に対して正面を向いて応対してくれる。なんてよくできた後輩だろう。感動してしまうよ。


「おれもこれから行こうと思っていたので、大丈夫ですよ」
「ほんと?ありがとうございます」


 遠慮の一言もなく、ぜひお願いします、と両手を合わせて拝む。身構えていたより百倍すんなり了承を得られた。古寺くん、年上にも年下にも、何なら同い年にも親切だから気を遣わせてるんじゃないかと勘ぐってしまうけど、今はそんな心配をしている立場じゃないので、彼の気遣いを親切と同一視して、ありがたくお隣に座らせていただく。
 狙撃手の友達と別れを告げた古寺くんと、水曜も行った観覧ブースへ向かう。古寺くんとは決して近しいといえる関係ではなく、しいて言えば同じ学校の先輩後輩というだけではあるものの、まじめとか知的とか実直とか、見えている側面がことごとく尊敬できるので、一方的に好感を持っている。友達におすすめされる前に頭に浮かんでいた人でもある。なるほど、こういう理由で正当にお近づきになれるのかあ。果たしてこれが正当といえるのかはわからないけれど。でもなんとなく、わたしの独断と偏見で古寺くんを選んだのではなく、友人にご指名されてという理由があると、背中を押してもらった気分になるものだ。もちろん、彼女はそんなつもりなかっただろうけど。


「栞ちゃんが、章平くんがいいと思うよって言ってたんだよ」


 おとといの栞ちゃんのセリフを思い出す。解説者としての手腕と誘いやすさを鑑みて自信を持っておすすめしてくれた人は全部で三人ほど挙がったけれど、一番手が古寺くんだった。思わず、ビンゴ!と指さしそうになったよ。縦一列揃ってもないのに。


「そ、そうですか」


 ふと、隣を歩く古寺くんを見る。彼の横顔が、大福を食べたみたいに緩んでるように見えた。所在ない手で眼鏡のブリッジを押し上げる姿に、おや、と思う。なんだか、いつもと違うような。
 正面を向いて、考えてみる。もしかして、気軽に名前で呼んでしまったせいかな、と想像する。いつも古寺くんって呼んでるから。違う今のは栞ちゃんのセリフを再現しただけなの。気にさせたら申し訳ない。でもわざわざ訂正したら、わたしが意識してるって思うかなあ。


「……あ、わ、わたしも章平くんって呼んでいい?」
「え?あ、はい。おすきに……」


 丸く収まりそうな伺いを立てると、古寺くん、いいや章平くんは、口だけで了承した。まるで古寺くんでも章平くんでもよさそうな雰囲気に、さっきの密かなどぎまぎも忘れて、あら?と首を傾げそうになる。確かに君のことは、栞ちゃんとか米屋くんとか、結構名前で呼ぶ人が多いものね。
 だから、まあ、そのうちの一人ってことだ。なんだ。ちょっと、章平くんがわたしに名前を呼ばれて、嬉しいとか気恥ずかしいとか、そういうむずむずした気持ちになったのかと思っていた。恥ずかしいのはわたしのほうだった。

 じゃあなんで章平くんはさっき、あんな顔をしたんだろう。彼から目を逸らし、通路の床を見下ろす。まさか本当に甘いものを頬張ったんじゃあるまい。じゃあなんで。章平くんあなた、口が緩んでいたよ。嬉しいとか気恥ずかしいとか、そういう顔をしていたね。もう一度、横目で見てみる。「……」


「章平くんは地形戦に強いから、きっと勉強になるよって、栞ちゃんが言ってたの」
「そ、それは、光栄です」


 前を向いて歩く章平くんが、顎を引く。今度こそはっきりと、口角を上げて笑う。あ、嬉しそう。
 うん、と頷いて、わたしも正面に向き直す。さっきまで、何が見えていたんだっけ。一瞬前まで見ていた光景が、まったく違うものに塗り替わる感覚だ。浮かれていた気分が、ゆるゆると低空飛行になる。もう少しで着陸する。地に足がついて、きっと現実が見える。わたしには何も見えていなかったそれが、一番よくない形で現れるだろう。
 誰かにばかと言ってほしい。気付くの遅くない?その程度だったの?何も見えてないじゃない。誰が言ってくれるだろう。章平くんはいつから想っていたんだろう。わざとらしく、「まあ」なんて驚いてみせて、取り繕ったら、章平くんとわたし、これからどんな関係になれるだろう。