米屋くんとは、わたし、史上最強の友達になりたい。

 クラスのホームルームが早く終わったので、B組の教室へ行って前の廊下で待つことにした。入り口と向かいの壁に寄りかかり、同じく下校する同学年の人たちが何人も前を通っていくのを、腕を組んで、リノリウムの床に目線を落とし極力視界に映さないようにする。人の目が怖いのではなく、もっぱら思考に耽りたいときのポーズだ。
 昨日、ボーダーのラウンジで二人でおしゃべりしながら、明日もよろしくお願いしますと言ったのはわたしだ。出向かないわけがない。でも実のところ、ノープランで、頭にはこのあとの予定は何も浮かんでいない。せっかく米屋くんが付き合ってくれるのにもったいないなと思いつつ、いくら自分の胸に問いかけても、あれがしたい!というパッションが返ってこない。朝からこんな感じだから、そういう日もある、ということにしたい。きっと連日の防衛任務で疲れてるんだ。
 ふっと、影がかかる。気付くとわたしの真正面に立つ足元が見える。


「今日は何すんの?」


 米屋くん来た。見上げて目が合う。すぐに、肩にかけたスクールバッグ、学ランの一番上の留まってないボタンに目が行く。それから、また本人に戻る。
 米屋くんのこと、こうなるまでは特別寛容な人だと思ったことはなかったけれど、きっと間違いなく彼の長所なんだろう。毎度めんどくさそうにしないでくれて、おかげでわたしの心は良好に保たれているよ。そんないい人をこんなことに付き合わせていることに、最近、無性に申し訳なく思うようになってきた。だからといって、罪悪感を理由に米屋くんとの関係を切るつもりもないから、自分勝手だ。誰にも言えない。
 床を見下ろす。自分の肩にかけたスクールバッグの持ち手を握る。ぱちぱちと瞬きをして、でもやっぱり、今日はいいやと思う。アクセサリーを見たり、おいしいパフェを食べに行ったり、可愛いことをしたいという願望は持っているけれど、今日はそういう気分になれないから、お休みにしよう。直感だけど、そのほうがいい気がする。昨日お願いしておいて、米屋くんには大変申し訳ない。この人は嫌って表情を滅多にしないからわからないけれど、本心は嫌だと思ってるかもしれないから、バランスのことは常に程よく考えるべきだ。なにせ米屋くんと過ごす時間は、米屋くんの、そう、寛容で成り立っているのだから。
 俯いていた視線を上げる。はっきりと、男子と対峙しているという身長差がある。特に米屋くんはちょっと人との距離感が近いから、角度も急勾配だ。出水くんや若村くんにはこうは思わない。栞ちゃんに話したら、ああ、たしかにそうかも、と同意してもらえたから、勘違いでもない。
 見上げた先の米屋くんは、口角を上げ、気のいい友達みたいな表情でわたしを見ていた。わたしの返事を予想しておちょくったりせず、待ってくれている。本当にこの人、いい人なんだな。そりゃあ、いい人に決まってるか。


「やっぱ今日はいいや。ごめん」
「あ、そ?」
「だから、米屋くんのすきにしていいよ」


 言ってから、恥ずかしい言い方をしたと背筋が冷えた。なんてことを、まるで自惚れてる発言だ。わたしめ、米屋くんがお願いを律儀に叶えてくれることに、夢を見させてくれていることに、図に乗っているに違いない。こういうのはよくない。米屋くんは善意だけで動いているわけじゃないし、わたしをどう思っているか、一度も聞いたことがないのに、気持ちを決めつけるのはよくない。
「ごめん」発言を取り消したい。咄嗟に口を手で隠す。これは、わかる、さすがに申し訳ない。手玉にとってるつもりみたいで気持ち悪い。ちがう、米屋くんはちゃんと、わたしに見返りを求めてくれてる。今日をその日に充てるというだけで、当初の取り決め通りで、何も特別なことじゃない。
 米屋くんが動いたのを、影の動きで察する。気配がさらに近づく。えっと、反射で顔を上げてしまう。
 至近距離で、首を傾けわたしを覗き込む、米屋くんと目が合う。


「………」
「………」


 お互い、ときどき瞬きするだけで、動かない。沈黙したまま、相手の眼球に映る自分を探しているようだった。
 ねえ、米屋くん。こういうことすると、また変な噂が立っちゃう。前も同じようなことをして、君のクラスで密かに話題になってたじゃない。あのときは、わたしのせいで起きたことだったから、謝ったでしょう。同じこと、人通りもある教室の前の廊下で、こんなこと、よくないよ。
 なにより、今度こそ知られたくない人の耳に入ってしまう。あの人は友達も多いから、時間の問題だ。聞かれたら、何て言い訳をしようって、ずっと考えてる。だってわたしと米屋くん、付き合ってるわけじゃないし、お互いに唯一無二の好意を抱いているわけでもないんだから。


「んじゃ、ランク戦しよーぜ」


 ふっと、米屋くんの曲げていた背筋が伸び、顔が離れる。そのことに安堵する自分の心を確認する。安堵したことに、また安堵する。いつもと同じ彼の提案に対して、いつもと同じように頷く。


「うん」


 よかった、米屋くんは今日も見返りを求めてくれる。もし求めてくれなくなって、もうやめたって言われたら困るから、よかった。
 わたしも米屋くんも何食わぬ顔で階段へ歩き出す。隣に並ぶ彼は、すきなランク戦ができるからか心なしか嬉しそうだ。わたしの誘いで出かけるときとは違う面持ちに、ぜひこれからもこのままでいようねと伝えたい。


「米屋くん」
「んー?」
「なるべく迷惑かけないから、またお願い聞いて、ね」


 てんでばかばかしいお願い。応える義理は、本来米屋くんにはない。それでも、彼が頷いてくれるだろうという確信が、今はまだある。
「いーぜ。でも今日はオレの番な」気ままな返事に自然と笑みが浮かぶ。米屋くんは、わたしのお願いに付き合ってくれる。見返りに、わたしが米屋くんの希望に応える。こうやって、お互いに対して他意を持たず、粉のような友情をきらきら振りまいて、永遠に友達でいようね。