三回目は我慢できなかった。我慢できなくて、ついに口を開けてしまった。ふあ、と大きなあくびをする。同時に身体の力が抜けて、さっきまでピンと伸ばしていた背筋も丸まった。
視界の隅でサソリさんがこちらを向いたのが見えたけれど、気付かないふりをして、すんと真顔になってみせる。だって絶対呆れるんだもの。あくびは二回も噛み殺したし、口も手でちゃんと隠したんだから、任務中とはいっても十分許されていいはずなのに。それに、世の中には三度目の正直って言葉があるんでしょう。
言い訳を頭の中で並べたものの、無視するのは部下としてどうなんだろうと自信がなくなったので、あっさり顔を向けた。思った通りサソリさんは馬鹿を見るような眼差しでわたしを見ていてすぐに後悔する。やっぱり気付かないふりするべきだった。


「誰かがわたしの噂話をしてるんです」
「そういうのはくしゃみでもしてから言え」


ハッと今度は小馬鹿にしたように笑う。サソリさんはよくこういう風に笑うのだ。機嫌を損ねられるよりいいけれど、「教養がないのも考えものだな」一言多いのが嫌だった。サソリさんはよく馬鹿者呼ばわりもする。そりゃあ、アカデミーを飛び級で卒業した天才傀儡師様に比べたらわたしなんて、コバエの様な知能でしょうよ。そこにきて教養の足りなさまで指摘されるとは、もはや死んだ方がいいと言われてるようなものだ。南無三。サソリさんが看取ってくれるならいい。


「サソリさんは、あくび出ないんですか?」
「当然。必要ないからな」


もう感覚すら覚えてないと続ける横顔はどこか誇らしげだった。わたしはよく、人間と傀儡の境目にある質問をするのだけれど、彼は決まって傀儡としての答えを得意げに返した。だから、「この人」という形容も本当はよくないのかもしれない。サソリさんはあくびもしないしくしゃみもしない。ご飯を食べてるところすら見たことない。
サソリさんは人間じゃない。前に、自分の身体を朽ちぬ身体だと言っていた。人間じゃないから。


「サソリさんは一生死なないんですか?」


サソリさんはわたしを見て、薄く笑った。


「死なない」


それから表情を変えず、「いくら見張りだからって、もう少し緊張感を持て」とたしなめた。口でそう言っておきながらサソリさん自身、さっきからちっとも緊張感がないので、人のことまるで言えない。見晴らしのいい建物の屋上で、他の人との交代時間まで街の様子を観察するだけの任務だ。さっきなんてサソリさん、ヒルコのメンテナンスしてた。真後ろに置いてあるそれを目だけで見遣ると、言いたいことがわかったらしいサソリさんは、しかし存外に気に障った様子はなかった。

サソリさんは今、嘘をついたのだ。サソリさんは人傀儡だ。人間だった自分の身体を改造して傀儡になった。でも、傀儡の術を使うためのチャクラの生成には生身の部分がいるから、胸にそれが残ってる。知ってる。機嫌がいいときのサソリさんに教えてもらった。
だから、つまり、サソリさんはまるで朽ちない身体なんてことはないのだ。生身の部分はゆるやかに衰えていくので、いつかは朽ち果てるのだ。きっとあなたは永久なんかじゃない。だからこそ、そうやってぜんぶが傀儡であるように見せかけるんでしょう。


「おい、何考えてやがる」
「サソリさんが死ぬのは悲しいです」
「話を聞いてたか。死なねえって言ってんだろ」


さすがに怒ったのだろうか。サソリさんの眉間に皺が寄った。
嘘ついたって仕方ない。死にたくないというのなら、心臓を突き刺しても生きてる飛段さんや、百歳近いのに現役の角頭さんに不死になる方法をご教示いただいた方が得策だ。にもかかわらず、そういう不穏な行動を取っているようにも見えない。サソリさん、あなたいつかは死ぬのよ。
もちろん、サソリさんが長生きしたいと思っているのなら、わたし、応援は惜しみませんよ。サソリさんの手足となり駒となり盾にだってなる。サソリさんが一秒でも長くこの世にとどまり、誰かを圧倒し、己の生き様を形に残すことを切に願っていますよ。


「おまえなんかに俺の死に際が見られると思ってるのか」
「まさか!わたしの方が早いです」
「だろうな。だから死なない」


「わかるか?」最初は言ってる意味がわからなくて、口を開けたまま首を傾げた。サソリさんはそれに満足したようで、フンと鼻で笑って正面を向いた。眼下の街並みよりもっと遠くの生い茂った森の方まで見ているようだ。わたしも納得がいかないまま、前に向き直る。

理解したのはそれから一分後だった。サソリさんが屁理屈こねるのなんて初めてだったから驚いてしまった。そうですね、自分が死んだあと他がどうなるかなんて、知る由もないですものね。じゃあわたし以外の人になら、「死ぬよ」って言うのかな。
誰になら言うんだろうと考えて、誰も思いつかなかった。三角座りをしている膝に口を尖らせた顎を乗せる。少し離れたところで片膝を立てて座り込むサソリさんが、クッと笑った。


「馬鹿の割に変なところ鋭い。知ってはいたが」


わたしを見ないまま、きっと感心したんだろう。褒めてもらったんだから喜んでもよかったのだけど、なんとなく、やめておいた。
前を向いたまま、すんと鼻で息を吸う。やっぱり自分が真に永久の身体じゃないって思ってるんだ。
でもそれでいいんだな。きっとサソリさん、死にたくないわけじゃないんだろうな。