堀川先輩の耳にピアス穴が開いてることは最近知った。


 弓道部の彼は二年生でありながら圧倒的的中率で副主将に指名された実力者だ。一年の頃から頭角を現しており、次第に精度を増していく腕前は他校の弓道部にも知れ渡り、大会の出場選手に堀川国広の名前を見つけた他校生は恐れ慄くともっぱらの噂だ。一年のわたしはまだ大会自体に馴染みがないためその現場を目撃したことはないものの、三年生や同級生にからかわれる堀川先輩はよく見てきたので事実なんだろうと思う。
 そう、見てきたのだ。わたしはおそらく、人並み以上に堀川先輩を見てきた。完成された行射、力強い会、そしてまっすぐ的を射抜く視線が、他の誰よりも綺麗だった。体験入部で一目惚れした彼の存在は、迷っていた茶道部という選択肢を諦める決め手としては充分だった。浮き足立った心地のまま入部し、堀川先輩をもっと見ていたくて、堀川先輩みたいな弓引きになりたくて、毎日部活を頑張った。練習で気にかけてもらえたら嬉しかったし、家の方向が同じだから途中まで一緒に帰ったこともある。
 そうこうしてるうちにもう秋の季節に入った。文化祭が話題に挙がるようになった今頃になって、そんな新事実を知るとは思ってもみなかったのだ。


「そうなんだ、知らなかったわ」


 土曜の部活の休憩中、弓道場の裏手で友達と雑談に興じていた。今は三年生の練習時間なので、一、二年は各々学校内のどこかしらで休んでいるのだ。少ない女子部員の中でも唯一の一年女子であるわたしと友達は、今の季節だとちょうどいい日陰で時間を潰していた。
 つい先週、文化祭のミスターコンテストに堀川先輩が弓道部代表で出場することが決まった。本人は断っていたけれど、最終的に押し切られたらしい。弓道部の一発芸は毎年行射で決まっているため無茶をさせられることはないとはいえ、あまり人前に出るキャラじゃない堀川先輩の負担はかなりのものだろう。しかも堀川先輩のピアス穴に気付いた衣装担当の先輩が「チャラい見た目で弓引いたら勝ち確」と大盛り上がりをし、堀川先輩チャラ男計画が密かに進行しているのだ。前髪がっつりあげてワックスで固めてやると意気込む彼女たちに苦笑いの堀川先輩の後ろで、わたしは心の中でサムズアップしていた。

 あの日で弓道部員のほとんどが堀川先輩のピアス穴の存在を知ったと思っていたけれど、あいにく友達の耳には届かなかったらしい。弓道場の壁に寄りかかり空を見上げていた彼女は、呆れたように横目でわたしを見た。


「耳まで見てるなんて、ほんと堀川先輩のことよく見てるよね」
「見るよー。だって堀川先輩、顔小さいのにパーツ整っててかっこいいし、自然と見ちゃうものだよ」


 スポーツドリンクの入った水筒を片手に何度目かのベタ褒めをする。高身長がタイプの友達にとって堀川先輩は興味の外らしく、へえーと間延びした相槌を打たれるばかりだった。今さら同意されても困ることは困るのだけど、少しも琴線に触れてもらえないのも癪だ。悔しくて、堀川先輩のすごいところは他にもあるんだぞと言わんばかりに詰め寄る。


「知ってる?堀川先輩、弓道場で移動するとき足音完全に消せるんだよ?それ以外の所作も無駄がなくて綺麗で静かで、きっと背後に立たれても気付けない――」

「ほんとだ」


「わっ?!」突如背後から聞こえた声に振り向く。ほとんど真後ろに、堀川先輩が立っていた。笑顔を浮かべた憧れの人の登場と、今の密談の内容にカッと顔が赤くなる。まさか聞かれてた…?!助けを求めようと友達に振り返るも、なんと彼女は忽然と姿を消していた。あ、あの女……裏切り者め…!思わず水筒を握りしめる。


「あはは、驚かせてごめん」
「ど、どこから聞いてました…?!」
「顔小さいのにパーツ整っててあたりかな」
「ぎゃーすみません!!」


 とっさに謝罪するも堀川先輩はまるで気にしてないように「どうして?褒めてくれたんでしょ?」と笑う。副主将は心も広い。先輩が副主将へ指名された理由には、実力とは別に人柄と人望も含まれてるに違いない。
 袴姿のまま弓道場の壁に寄りかかった彼に内心動揺する。もしかして友達の代わりに話し相手になってくれるのかな…。足元を見下ろすと、部室から弓道場まで移動するときに履いてるスニーカーが見えた。堀川先輩の登下校の靴は黒いローファーなのだ。知ってる。

 ちらっと堀川先輩を盗み見る。左に流した厚い前髪の影から、よく見ると左耳にピアス穴が見える。それを知ったのは、この間、たまたま帰りの時間が重なった下校のときだった。
 あのときの衝撃は今でも思い出せる。左耳のピアス穴がふと目についた。最初は目を疑ったけれど、何度見てもある。そんなまさか、堀川先輩に。あんまり驚いたものだから頭が真っ白になって、あの日どんな会話をしたのか思い出せない。翌日、右耳にも空いてることを知ってさらに驚いて、今日に至るまで触れることができていなかった。だって堀川先輩とピアスだよ。全然想像つかない。

 ピアスや染髪は校則で禁止されてるので、先生に見つかったら指導ものだ。それでも自由な生徒が多いここでは染めてる人は染めてるし、つけてる人はつけてる。ただ弓道では装飾品はご法度だし、実際危ないので誰もつけていない。部員でピアス穴を開けてるのは、堀川先輩とごく数人だけだ。というのを調べたのは、堀川先輩の耳に開いてることを知ってからなのだけど。確かに興味がない人の耳って普通見ないかもしれない。


「こら、ピアスは校則違反だそ」


 どこからか聞こえた声にビクッと肩を揺らす。先生だろう、顔を上げて辺りを見回すと、部室棟の近くで、何回か見たことのある男の先生が男子生徒を注意していた。……なんだ、勘違いか。一瞬堀川先輩のことを言われたのかと思ってしまった。
 つい彼の反応が気になり隣を見やると、存外にも表情に喜怒哀楽はなく、興味本位で先生と生徒を眺めているだけだった。まるで自分に関係するとは微塵も思ってないようだ。その視線が、わたしに移される。何か言わないと。


「ぴ、ピアス!」
「え?」
「堀川先輩、ピアス穴開いてますよね!」
「ああ、うん」


 あっけらかんと返される。そりゃあ隠してないんだからこんなリアクションだ。自分の指で右耳たぶを触るけれど、やっぱりなんとも思ってないようだ。確かにピアス穴自体は校則違反じゃない。でも、やっぱりどう考えても、堀川先輩とピアスは親和性が極端に低いと思う。顎を引き、彼を見上げる。


「意外だったので…」
「あはは、先輩にも言われたな。学校以外ではしてるんだけど、見せられないからね」
「そ、そうなんですね…」


 相槌を打ってから、ふと、言葉選びに違和感を覚える。学校以外ではしてる、って、外だけの話だよね。まさか四六時中してるわけない。でも、堀川先輩は学生で部活もしてるし、学校以外の外へ出かける時間なんてほとんどないのでは。…ということは、家でもしてる?
 不躾と思いながらも右耳をじっと見つめてしまう。小さいけれど、塞がる気配もない、普段からピアスをしてる人のピアス穴に見えた。


「ピアスすきなんですね……たくさん持ってるんですか?」
「持ってるのは赤いピアス一組だけだよ。貰い物だから、間違っても落としたり没収されたら困るからここにはつけてきてないんだ」
「へえー…」


 一個だけを学校以外の時間ずっと身につけてるってことか。よほど大切なものなんだろう、大きさも形も知らない赤いそれを彼の耳たぶに想像するけれど、もちろんまるで見えてこない。なくす危険性があるってことは小さいのかな。すごく気になるけど、わたしには堀川先輩がピアスをつけてる姿を見る機会はないんだろうな。なんだかさみしい気持ちになり、俯く。

 そして重大なことに気付く。貰い物のピアスしか持ってないということは、堀川先輩は、それをつけるためだけに穴を開けたってことだ。


「……そ、相当大事にしてるんですね…」
「うん」


 即答されて胸のダメージが蓄積される。知りたくなかった。好奇心の先にこんな地雷原が待ち受けてるなんて思ってなかった。最悪だ、もう何聞いても爆発する気がする。誰にもらったんですかとか、彼女ですかとか、想像するだけでもうダメだ。さっきまで寒いなんて少しも思ってなかったのに、今は指先が震えていた。……堀川先輩、彼女いるのかも。


「そうだ、さん。お願いがあるんだけど」
「は、はい」
「二つ目のピアス、一緒に選んでもらえないかな?」
「へっ?」


 キョトンと目を丸くする。二つ目のピアスを選ぶ?さっきの今でなんでそんな話に?堀川先輩、ピアス自体には興味ないんじゃないの?彼女からもらったピアスが大事だからつけてるだけなんじゃ…。


「ほら、文化祭のミスターコンテストのことで」
「はい…?」
「当日、持ってる中で一番派手なピアスをつけて来いって言われてるんだけど、さっき言った通り一つしか持ってないから。衣装にも合わなさそうだしどうしようと思ってたんだ」


 顎に手を当て目を伏せる堀川先輩に理解が追いつかない。いけしゃあしゃあとピアスをもう一つほしい理由を述べているけど、だとしたってわたしが指名される理由がわからない。女の人の目線が欲しいのかも?でもそれなら彼女さんに聞けばいい話だ。もしや堀川先輩の中でわたしはオシャレ番長かピアス奉行にでもなってるんだろうか?残念ながら堀川先輩の前でおしゃれについて語ったことは一度もないし、ましてや男の人のピアスなんて何にもわからない。じゃあなんで。だめだ混乱してきた。


「だからいっそ新しいのを買おうと思って、どうせならさんに選んでもらえたら嬉しいなって思ったんだけど……ダメかな」
「だっ…ど、……どうしてわたし…」
「どうしてって、」
「彼女さんは?!」
「彼女なんていないよ。やっぱり勘違いしてた」


 途端、あは、と苦笑いを浮かべた彼。一方わたしはぽかんと口を開けてしまう。か、勘違い…?「紛らわしい言い方してごめん。さっきのだよね。嘘は言ってないんだけど、ちょっと楽しくなっちゃって、わざと」申し訳なさそうに肩をすくめる堀川先輩。つられてわたしも苦笑いを浮かべるけれど、実際よくわかってない。


「兼さ……ピアスをくれた人は応援してくれてるから、心配しないで大丈夫だよ」
「応援…?」
「だから、お願い」


 顔の前で手を合わせ、はにかんだ表情にドキッと心臓が跳ねる。わたしの脳内はまだ事の次第を飲み込めてないのに、堀川先輩は最初からどこか楽しそうだった。しかも上目遣いで覗き込まれては直視できない。仕草は可愛いのにかっこよすぎてこの場から逃げ出したい。


「………わ、わたしでよければ…」
「ほんと?ありがとう!」


 パッと笑顔を見せた堀川先輩は本当に嬉しそうだ。わたしだってほんとに堀川先輩のピアスを選べるなら、すごく光栄だ。未だ堀川先輩とピアスの相性は不明だけれど、堀川先輩に似合うわたし好みのピアスを全力で選んでみせる。そのやる気だけは間違いない、けど、いいのかな、ピアス奉行でも何でもないのに。


「でも多分、わたしウケしかしませんけど…」
「あはは、いいよ。さんウケしたいから」


 そんなことを笑顔で言われてしまいますます顔が熱くなる。ホストみたいなこと言う!もしかして、既に堀川先輩チャラ男計画が始まっているのでは…?!密かに戦慄するわたしをよそに、目の前の堀川先輩は一層笑みを深めるのだった。