小さな箱庭で息をするわたしはきっと間違っているんでしょう。またバカなこと考えてる、と昔の友人に呆れられそうだ。彼女とはもう何年も会ってないし、会う予定もないのだけれど。アジトの硬いベッドと重い布団にはだんだん慣れてきた。ここでの生活も、ああでも、どうせもうすぐ移動してしまうんだろう。ひんやり冷たいむき出しの壁板には木目が見える。もう少し植物としての暖かさがあってもいいものなのに、外と隔てるそれなんてあってないものみたいにここは寒かった。
目は覚めていたけれど起きる気にはなれず、重い布団を頭から被りながらダンゴムシのように丸まる。脇腹が痛かった。堪え難いほどではない。でも生活に支障をきたす程度の痛みだ、と思う。こんなことになって、ああバカめ、役立たずだもの。

怒られるのはすきだった。あの呆れた目で「何もできねえな」と、片方だけ吊り上げた口角で「使えねえ」と、罵られるのはよかった。ただ背中を向けられなければいい。じんじんと疼く傷は、きっと今日の任務で開くだろう。そもそも今日は何か任務があるのかな。昨日はそんなこと伺う余裕もなかった。わたしを連れ帰ってきた上司も何も言わなかった。じわりと涙が浮かぶ。ここ最近一人になるたび泣いてるものだから涙腺が緩みっぱなしだ。昨日なんて脇腹を切られた痛みのあまり目の前で泣いてしまった。面倒臭いと顔が言っていたのを滲む視界で覚えてる。
ドアの蝶番がギイッと軋んだ音を立てて開く。布擦れの音を耳が拾う。部屋に誰かが入ってきた。間もなく、お昼になることは何となくわかっていた。こんな時間まで布団から出てこない部下を怒りに来たのだろう、サソリさんは。


「敵に情けなんかかけるからそうなる。いい加減学習しろ」
「はい……」


布団越しに低い声が聞こえる。わたしの鼻声の返事に対して深い溜め息をつく。ごめんなさい、謝ると、布団を引っ張られた。勢いよくめくられ、寝間着のままダンゴムシになるわたしが露わになる。ひんやりと冷たい空気に当てられ思わずぶるるっと身震いし、急いで背筋を伸ばしベッドの上で正座の姿勢になる。肌寒くて、両腕で自分を抱き締めるように身を縮ませる。顔はあげられない。だって絶対サソリさん怒ってる。
怒られるのは、わたしのこと見捨ててないってことだからすきだ。けど、怒られること自体は、どきどきするから苦手だ。いつまで経っても慣れる気配はなかった。寒さに震えながら彼のお言葉を待っていると、サソリさんはまたもや溜め息をついて、そばのイスに掛かっていた上着を手に取った、と思ったらそのままわたしの頭の上に落とした。驚いて顔を上げるけれど、上着の背中部分の布が覆い被さっていて彼の表情はわからなかった。「あ、ありがとうございます…」ともかくお礼を言ってそれを取り、いそいそと腕を通す。部屋着として着ていたパーカーは毎年この季節に重宝してるから、サソリさんも見慣れてることだろう。優しさと暖かさに包まれホッと息をつく。胸をなでおろすと同時に、「相変わらず軟弱だな」と鼻で笑われる。そこでようやく彼の顔が見れた。わたしを見下ろすその表情は、嘲笑を浮かべていた。


「これだから人間は嫌だ。不便極まりない」


サソリさんはよくわたしを見下しては心ない言葉を突き刺す。褒められた記憶は暁に引き入れられたとき以来、ない。中忍になるまで真面目に修業に励んでいたつもりだけど、サソリさんからしたら米粒程度の力しかないのだろう。この程度の忍を部下としてそばに置くことに、彼はメリットを感じているんだろうか。疑念は長らくあった。あったけれど、聞いたら一蹴されそうで、果ては見捨てられてしまいそうで聞けなかった。わたしあなたのために今生きてるのに、捨てられたら、どうしよう。だからせめてもの役に立てる道筋を探して、ついに唯一の方法に辿り着き夢見ている。脇腹を手で押さえながら俯く。暁の外套からサソリさんの両足が覗いている。いつ見ても変わらない。何年後もきっと変わらないんだろう。


「わたし早く人傀儡になりたいです」


サソリさんに使われたい。一度でいいからよくやったって言われたい。きっとサソリさんならわたしというろくでなしの人間を素材にしたって、上手に武器を仕込んで、そこそこ使えるように造り上げてくれると思う。彼がコレクションしてるという、いくつもの傀儡の一つに入れてほしかった。それがわたしにとって彼に応える最後の手段だった。当のサソリさんは、ハッと肩で笑っただけだったけれど。


「おまえじゃあなったところで指一本動かせねえだろうな」


見上げて、わたしも力なく笑う。つまり役に立たないってことかなあ。ああ、自分に何か、あなたが目を瞠る素敵な能力でもあれば話は早かったのに。残念ながらそこら辺に転がってる忍と変わらないから、ねえ。


「傀儡の身体を自在に動かすにはそれなりの修練がいる。何も知らないでただ人傀儡になっても死んでるようなもんだ」


「こうして俺が人と同じように動いているのも、俺の研究の成果と言っていい」そう言ってサソリさんは一歩歩み寄り、右手でわたしの頭を撫でた。寝起きの髪を梳き、それから頬へ添える。つ、と輪郭を冷たい指でなぞられ背筋が粟立つ。どきどきと心臓が高鳴る。サソリさんに触ってもらったときはいつもこうだった。怒られるのとは違う、急き立てられるような鼓動はとても心地よかった。人差し指が顎まで下がってきたと思ったら、一本の指だけでぐいっと上を向かされた。挙げ句の果てに顎裏に爪を立てられピリッと痛みが走る。その爪痕を指の腹でひと撫でし、手は離れていった。深緑に染められた五枚のそれを視界に入れ、わたしはいつの間にか反っていた背筋を元に戻した。自分の指で爪痕をなぞる。真横につけられたそれはもう痛くなくて、まるで幸せの形をしてるようだった。嬉しくて笑ってしまいそうになったけれど正解の反応じゃない気がして口を閉じ堪える。すると、サソリさんはフッと、まるでわかってるかのように薄く笑った。


「おまえにはまだ早えってことだ」
「はい…」
「そもそもの前に傀儡の術を使えるようになるんだな。やる気があるなら教えてやってもいい」
「ほ、ほんとですか?」
「ああ。それにおまえが俺の芸術作品になるのも悪くない…と思ってな」


自分の唇のすぐ下に親指を当てて考えるそぶりを見せるサソリさん。なんだか、機嫌がいいみたいだ。わたしが人傀儡になりたいって言ったからかな、もしそうだとしたら、嬉しいことだ。怒られるのもすきだけど、機嫌がいい方がすきに決まってる。こんなに乗り気になってもらえるならもっと早く言えばよかった。
わたしがサソリさんの芸術作品になる。素敵だ。想像しただけで幸せだ。人傀儡になったわたしに触れるサソリさんを思い浮かべて口元が綻ぶ。そのときわたしは生きていなくてもサソリさんの手によって永久になる。死の間際からその先もサソリさんと一緒にいられるなんて、なんて贅沢な命だろう。


「ありがとうございます、わたし、早くサソリさんに使ってもらえるよう頑張ります」
「……は?俺に?」


「はい」大きく頷く。すると、サソリさんが少し呆気にとられたような顔をした。目を見開き、それから横へ視線を逸らしたと思ったら口まで外套で隠してしまう。「……ああ、そっちか」何か小さな声で呟いた気がしたけれど、わたしは彼の動揺を慮ることなく、ただ有頂天みたいににこにこと笑みを浮かべるばかりだった。視線を戻し向き直ったサソリさんがいつも通りの眼差しだったから余計、何も気にならなかったのだ。


「…まあどちらにせよ、ここに来た時点でおまえの命は俺の胸三寸にあるしな」


「すきにさせてもらう」そう言って、サソリさんは楽しそうに目を細めて笑った。ほらわたし、サソリさんが笑ってるのだいすきだからねえ、こうしてあなたのそばで息をして、あなたの手で止めてもらえたらどんなに幸せなことか。間違ってたって結構なのよ。