ファンタグレープを差し出すとためらいなく受け取ったからこの人は越前くんだ。別に偽物を疑ってたわけじゃないけどこんなことで本人確認できてしまうところに愛らしさを感じるのはわたしだけだろうか。「ども」と短くお礼を言いプルタブに指を引っ掛けて起こす越前くんに、わたしもうんと短く頷くのみだ。もちろん怒ってるわけじゃない。彼に倣ってクールぶりたかったのだ。正確にはクールぶらないと口がにやけてだらしなく笑ってしまうから、仏頂面をキープしたのだ。座れと言わんばかりに空いた越前くんの隣に腰を下ろす。ただの硬いベンチなのでわたしの体重分沈むとかはない。それにしても、もっとど真ん中にドンと座ってると思ってたけど、もしかしてわたしの分空けててくれたのだろうか。うわあ、越前くん、やばいね。堪えらんなくて破顔してしまうよ。


「…やあっぱり越前くんはかわいいね〜」
「何その声」


隣でファンタを一口飲んだ越前くんに怪訝な目を向けられる。いい加減慣れてほしい。わたしのだらしなく笑った顔を見るなりうわーと言わんばかりに表情を歪められるのは地味に傷つくのだ。こっちは慣れないけど、そっちは慣れてくれよ。わたしが君にかわいいって言うの、これで何回めだと思っとるのかね。


「あんたの琴線って謎だよね」
「越前くんだったら割となんでもかわいい気がする」
「意味わかんない」


言葉そのままの意味だよー。言うと越前くんはふうんと返す。それは知ってるぞ、どうでもいいって思ったときの返事だな。ここで力説してもいいのだけど、相手が越前くん本人であるという引け目とファンタを嗜む越前くんを眺めていたいという欲望が合わさり黙ることを選んだ。
越前くんがこんなにかわいいことに理由はいらない気がする。人間が呼吸をしないといけないのと同じ感じだろう。わたしが息を吸う。越前くんがかわいい。神さまありがとう!姿かたちも見えない空想の存在を拝むと越前くんがファンタに口をつけながらやはり訝るようにわたしを見やっていた。


「かわいい奴がすきなの」


結構越前くんわたしに質問してくれるんだなあ。嬉しいなあ。まあその質疑内容ほとんど自分に関することだから、わたし自身に興味があるのかは微妙なとこだけど。


「越前くんがかわいいのがすきなの」
「俺かわいいって言われんのすきじゃないんだけど」
「し、知ってる……」


なのにしつこくしてごめんねとは、思ってないわけじゃないよ!でもかわいくて大好きだから口にせずにはいられないこの気持ち、越前くんもわかるでしょう。ファンタがすきで飲みたくなるのと一緒だ。「前から思ってたけどあんたのたとえ話ズレてる」辛口だあ……。
スッと背筋を正して反省の姿勢を見せてみる。視界に越前くんを映すことなく、眼前に広がるはテニスコートのみだ。金網の向こうのそこはあと十分もしないうちに空くだろう。今日は街のテニスコートで練習をするのだ。もちろん越前くんが。わたしは見る。
普段青学のテニス部員に囲まれてる越前くんはわたしの隣にいるときより小さく見える。でも態度はいつでもどこでも堂々としているらしいので身長だけで彼を測ることはできないのだろう。


「桃城くん遅いね」
「また川で溺れた犬でも助けてんじゃないの」
「そんなことがあったの」
「あったらしい」


それは、すごいなあ…。思わずポカンと口を開けてしまう。熱血漢の彼ならではだろう。わたしもし目の前で犬が溺れてたら、助けられるかなあ…。途方もないもしも話に気が遠くなる。できて周りの人に助けを求めるくらいだ。でもきっと、桃城くんはためらいなく川へ飛び込めてしまうのだろう。それからずぶ濡れになって、犬を抱えて笑うのだ。素敵なクラスメイト。


「桃先輩は、」
「うん」
「…なんでもない」


隣の越前くんはそうやって雑にごまかしてからファンタをあおった。ぼんやりと、越前くんの喉を通った炭酸を思う。しゅわしゅわと弾ける液体は越前くんの喉を刺激して胃に到達するだろう。炭酸というのはそれほどホネを溶かさないのだと、友達から聞いた。
ごまかす越前くんもかわいい、と言ってもよかったのだが、さっきの今でかわいいと言うのはさすがにはばかられた。のでわたしは堪えるように口を一文字に結ぶ。なんだろうなあ、わたしだってよくわかってないのだ。本当に越前くんならなんでも琴線に触れるよ。心臓がむずむずするのだ。桃城くんよ、今日は遅刻しても許す。

ふと、越前くんが軽くアルミ缶を振った。かすかだけれど液体がぶつかる音がしたからまだ少し入ってそうだ。しかも振らなくても重さでわかる量な気がして不思議に思っていると、今度は越前くん、すくっと立ち上がったではないか。それを目で追って見上げる。キャップのつばで影になった越前くんの顔がよく見えた。「先輩」越前くんがファンタを差し出す。受け取らせるためじゃない。くちびるに飲み口が当たった。脳が意図を理解するより先に口を開けたと思う。アルミ缶が傾けられ、そこから炭酸が流れ込む。一口分口に含むとアルミ缶は離され、越前くんの口元へ戻っていく。
ごくんと、嚥下する。見上げた先の越前くんも一口だけ飲んだあと、したり顔で口角を上げるのだった。


「これもかわいい?」


わたしは何を見ているのか。自分の心臓が急速に動いているのはわかる。状況に追いつけないながらも、やっとのことで返したのが、


「……かっこいいです…」


そんな降伏の言葉だった。

「かっこよくても大丈夫?」顔を覗き込むように首を傾げた越前くんにかろうじて頷くと、彼は満足げに笑ったあと、近くの屑かごにアルミ缶を投げ入れるのだった。