嵐山くんは嘘をつくのが下手だ。人がいいというのだろう、わたしは彼ほど嘘が下手くそで、誠実な人間を知らない。ダイニングテーブルから見えるテレビではチームメイトで年下の女の子と並んで映る彼がハキハキとインタビューに答えていた。がじっとトーストをかじる。左上のデジタル時計は家を出る三十分前を示していた。今日はめずらしく早起きをしたのだ、まだゆっくりできるぞ。嵐山くんの出てるニュースも最後まで見れそうだ。
 時計から再び映像に目を戻すと、今度は隣の女の子がコメントをするみたいだった。淡々と述べる彼女は木虎藍ちゃんという。かわいい名前だよなあ。それで名前に負けないかわいい顔立ちだ。あれでまだ十五歳ならこれからが楽しみじゃないかなあ。直接は会ったことないけど、嵐山くんからたびたび聞いてるのでわたしの中で木虎藍ちゃん像が勝手にできているのだ。これでいつか本人に会うことがあったら、本物とのギャップに戸惑ってしまいそうだ。

 それから時枝充くんと佐鳥賢くんのコメントが一言ずつ入り、最後にもう一度嵐山くんがしゃべってそのニュースは終わった。ボーダーって何やってるのか具体的にはよくわからないけど、この三門市には必要不可欠で、所属している人たちが大変なのはわたしでも察せるよ。こないだも何か、隊員総動員で小さいロボットみたいな近界民探してたみたいだし。わたしがその一斉駆除の存在と全貌を認識したのも、このリビングでニュースを見てからだったけど。外で木虎藍ちゃんが白い小型の近界民のしっぽを掴んでみせていた。その日はわりとごたごたしてたらしい。全然知らなかったのだ。すいませんね、それまでずっと家にいて、一歩も家から出なかったもので。

 嵐山くんの指示で。



◎◎◎



「嘘が下手?」


 食堂で向かい合う嵐山くんが目を丸くする。まるでそう言われたことに驚いたようで、「うん?」わたしもなぜか驚いてしまった。
 大学でたまたま会ってそのまま一緒にお昼ご飯を食べていた。嵐山くんが親子丼にしていたので、おそばの気分だったけどわたしも親子丼の列に並ぶことにした。彼はなんか、こんなことで言うのもアレだけど、影響力があると思う。だからわたしのおそばの気分をサラッと親子丼にしてしまう。半分残っている彼のどんぶりに一瞬目を落とし、すぐに元に戻す。今度は嵐山くんの方が目を逸らした。……ほんとにわかりやすい人だなあ。わたしはいよいよ感心してしまう。


「自覚ない?」
「いや、んー……後輩にも言われるな」
「あらま」
「だからなるべく嘘はつかないようにしてるよ」


 それは賢明な判断だ。頷いて言うと嵐山くんはふっと息を吐いて笑った。


「けど、に対しては嘘ついてないだろう」
「え、ついたよ」


 即答すると、嵐山くんの目が、すっと細まった、気がした。気のせいかもしれない。とにかくわたしは一瞬意識が飛んだみたいに時間を切り取られてしまって、わたしの言葉に対して嵐山くんが何と答えたのかわからなかった。その事に動揺したわたしは視線を泳がせるしかなかった。だって今嵐山くんが何て返したかわかんないのに、わたしから何が言えるだろう?嵐山くんも嵐山くんだ。どうして今、笑ったの。「?」嵐山くんの口が動く。


「……あ…前、わたしに家にいろって言ったことあったよね。…危ないからって」
「ああ」
「あれ、嘘だった」
「……うそではないぞ?」
「え、それも嘘」


 嵐山くんのわかりやすすぎる反応にわたしの調子も元どおりだ。例の小型近界民を一斉駆除した件で、嵐山くんはわたしに危ないから家から出ないでくれと電話をしてきた。大学はちょうど全休の日だったし朝から家でゴロゴロしていたわたしは、彼の声に内包される緊張に違和感を覚えながらも、うんわかったと素知らぬふりで了承したのだった。結果、夕方のニュースに映っていた木虎藍ちゃんたち嵐山隊が安全の証明をしてみせていたのを見て、肩透かしをくらうことになった。さらに友達に聞いてみれば、街中であれを見つけたらボーダーに知らせるようにと市民に協力が求められたそうじゃないか。じゃあどこら辺が危険なのか。ソファの上で体育座りをする。それから口を尖らせまでしたけれど、彼への憤りには繋がらなかった。長いお昼寝から起きたばっかりだったからかもしれない。
 いいやでも、やっぱり嵐山くんという人間がわたしにそうさせたんだろう。彼は人をむやみに怒らせるような人じゃないって、もうわかっていたので。

 でも結局あれがどういう意図の電話だったのか、そういえばまだ聞いてなかったなあ。


「嘘だろうなって、一発でわかったよ。でも騙されといた」
「どうして?」
「だって嵐山くんだし」


 深い意味じゃなかったのに嵐山くんの表情がこわばった。なにか勘違いさせてしまったかも。「嵐山くんはとても誠実な人だから」ちゃんと言い直すと、嵐山くんはじわりと口角をあげて、何かをこらえてるみたいだった。


「……にそこまで言われるような人間じゃないけどな」


 でも、ありがとう。本当に感謝してるみたいな言い方で述べるものだからわたしはなんだか申し訳なくなってしまう。ううん、と口だけで返す。
 それから、妙な既視感を覚えた。デジャビュというらしい。なんだろう…?もやもやしたのを振り払いたくてぱくりと親子丼を頬張ってみる。ダシが効いていておいしい。うちの大学もまだまだ捨てたもんじゃないなあ。ちらりと目だけで嵐山くんを見てみると、彼はゆっくりと瞬きをしていた。

 カッと、脳裏で、フラッシュバックした気がした。目の前にいる嵐山くんが笑っていた。


「……こんなやりとり前もした?」
「? に礼ならよくしてるつもりだが」
「そうだよね」


 わたしに限った話じゃない、嵐山くんはよくお礼を言う人だ。いちいち覚えてはないから、いちいち前もしたか聞くようなことじゃなかった。おはようってかわすたび「これ前もした?」って聞くようなものだ。していて当然だろう。それなのになんだこの既視感は。


「あ、やばい、三限だ」


 ハッと気付き腕時計を確認してパクパクと親子丼を口に入れる。嵐山くんはこのあと空きコマだから食堂で課題を片付けるんだそうだ。「じゃあね」「ああ、またな」カバンを肩にかけ軽く手を振ってあとにした。嵐山くんとはこんな軽い付き合いをしている。いちいち別れを惜しむ仲でもない。

 ボーダーの顔と言われるほど、大学生ながら三門市の有名人である嵐山くんと知り合えたのは、わたしのうっかりと彼の親切心から生まれた偶然だった。授業に向かって歩いているとき後ろから肩を叩かれて、落としましたよって定期ケースを渡してくれた。彼の顔はテレビでよく見かけていたから知っていて、わたしは思わず嵐山准だ!と声を上げてしまったものだ。
 そんな恥知らずなわたしに嵐山くんの方は慣れたように笑って、はい、と頷いた。彼との付き合いはそんな始まりで、なんやかんや今でも続いている。まだそんな長い期間経ってはいないけど、嵐山くんは忙しいボーダーのお仕事の合間を縫ってわたしと会ってくれているようだった。前に弟妹に会わせたいと言われご自宅まで招待されたこともあった。
 こんなに親しくしてると、なんか、付き合ってるのかな?と思ってしまう。大学生なら普通のことなのかもしれないけど、なにぶん男の子とここまで仲良くなったことがないので距離感がわからないのだ。でも間違いなく嵐山くんとそんな約束はしてないし、わたしも告白をする予定はなかった。

 それに、嵐山くんといるとときどき、変な気分になるのだ。なんか、知り合う前から知ってたような、どっかでもう会ってたような、そういう気分になる。
 そう思うのは前世的なものが……さすがに夢見すぎかな。

 そういう運命的な感覚もあって嵐山くんは今気になってる男の子ナンバーワンだ。人としてもすきだし、多分男の子としてもすぐすきになると思う。それくらい嵐山くんは理想的な男の子なのだ。


「あ、迅くん」
「やあ、こんにちはー」


 向かいから歩いてきていた迅くんに手を振る。彼は嵐山くんつながりで知り合った人で、同じボーダーらしい。立ち話するほどの仲じゃないのでそのまますれ違う。
 その間、迅くんから視線を受け取っていた気がする。意味深な視線をだ。ほとんどいつもそういう謎な目で見られるから、彼のクセとか元々の目つきなんだろうと思ってる。ああでも、他の人にもそういう風に見られたことがあるな。彼の眼差しは小南桐絵ちゃんと似てるのだ。嵐山くんのいとこでボーダーの彼女は、嵐山くんの家にお邪魔したときたまたま会った。何か言いたそうにわたしを見ていて、目を合わせる前に二階に上がってしまった。嵐山くんの妹さんを呼びに行ったのだ。

 ……ふむ、まあいいや。人の考えてることなんてそうそうわかるものじゃないんだから、推測したってどうしようもないよ。それに比べて嵐山くんのわかりやすさといったら!ぐふふと女の子らしくない笑い声を漏らして、わたしは三限の教室の扉を開くのだった。



???



「嵐山」
「おお、迅」


 わたしとすれ違ったあと食堂に向かった迅くんは、課題に使う資料を読む嵐山くんの姿を捉えるなり声をかけた。


「またあの子と会ったのか」
「ああ」


 わたしのいた席に座る迅くんに嵐山くんは流暢に頷く。それからパタンと本を閉じたのは、迅くんの話が単なる世間話じゃないと察したからなのか、それとも自分も聞きたいことがあったからなのか。じっと彼を見据える嵐山くんに、迅くんの方はスッとまぶたを少し下ろした。わたしにも向ける意味深な視線だ。


「自分との記憶を消された子といるのはつらくない?」


 その台詞に、嵐山くんは答えを返さなかった。ただ表情を隠して、静かな眼差しで迅くんを見返した。


「何か視えたのか?」
「いいや。おまえの隠し事がバレる未来は、視える気配もないよ」


 さすがだな。仰々しく手を叩く迅くん。それを素直に受け取った嵐山くんは、よかったとほっとしたように笑って再び本を広げた。迅くんは依然、わたしに向ける視線で嵐山くんを見遣る。その人の奥の奥まで見ているような、それでいて憐れんでいるような。


「おまえがいいならそれでいいけどさ」


 呟くようにして吐かれた迅くんの台詞には、本へと目を向けたまま、大丈夫だと静かに返す。嵐山くんの表情に動揺は一切見られなかった。
 嘘が下手くそな嵐山くんが本当に知られたくない隠し事は、わたしが知ることは一生ないのかもしれない。そうして君だけを苦しめる、誠実な君の見事な嘘。