「終わった?」


 軽やかとも穏和ともいえる、耳に届いた声に手を止め顔を上げると、弓親が鍛錬場のほうから歩いてきていた。対峙するように立ち上がり、「まだ」と短く返すと、彼はわたしの足元に散らばった雑草たちに一度目を落としたあと、にこりと笑顔で、大変そうだね、と労いの言葉を掛けた。それが仮に心からの台詞だったとしても、嘲笑の意も少なからず含まれているのだろう。もう慣れっこなので、ちっとも傷ついてなどいませんと芝居掛かったように顎を引いてみせる。


「手伝ってくれてもいいんだよ」
「絶対にやだ。無駄に汚れたくないし」


 やっぱりな。苦笑いしながら視線を地面に落とす。弓親の拒否は当然予想できていた。先ほどの全体稽古の最中突如始まった一本勝負で見事全敗を記録したわたしは、罰として隊舎内の草むしりを命じられていた。隊士に似たのかここの草はなかなかしぶといものが多く、力任せに引っこ抜いていたものだから、いつの間にか両手は真っ赤になっていて、爪には土が詰まっていた。見てみると、十枚の爪全てが黒くなっているのがわかって少しだけ不快な気分になる。弓親じゃあないけれど、わたしだって汚いのは人並みに嫌いだ。
 弓親がここに来たということは全体の剣術稽古はもう終わったのだろうか。問うと肯定され、「隊舎に戻るついでにに伝えとけって言われてね」と成り行きを説明してくれた。草むしりはまだ鍛錬場周りのほんの一部しか終わっていないことを申告すればそれも織り込み済みのようで、「他の奴らにもやらせるんだからいいんだよ」と諭された。
 なるほど、それならば。納得したわたしはおとなしく引き上げる準備に入る。一角の次の順位についた弓親は一緒に戻ろうと言っておきながら、わたしが草の山を一輪車に積む間何もせず腕組みをして突っ立っているだけだった。文句を言える立場でもないため黙々とこなし、一輪車の持ち手に手を掛ける。結局何時間草むしりをやっていたのだろう。まだ日は高いけれど、今に夕焼けがやってくるに違いない。鍛錬だけでも疲れたのに草との激闘を繰り広げて全身疲労困ぱいだった。はあ、と大きな溜め息をついてしまうのも無理ないでしょう。
 また明日も一本勝負するのかな。明日はさすがに逃げたいな、駄目だろうけど。でもビリ回避できる気もしない。草むしりに夢中で忘れられていた気分が、再び降下していくようだった。


「四番隊が、人手不足だってよ」


 唐突な発言に、思わずたじろぐ。動揺はひた隠し、後ろに突っ立ったままの男に身体ごと向く。目と口は綺麗な弧を描いていたけれど、彼にしては随分ずさんな微笑みだった。それの意味するところを知っているので、バレないように、心臓を落ち着けようと深呼吸をする。敵前でこんな、と思う。いや弓親は敵じゃない。でも多分、向こうは責めようとしているんだな。
 戦闘部隊である十一番隊に入隊してから時折、弓親はこういうことを言う。暗におまえはこの隊に向いてないと言うのだ。その自覚は日々周りとの実力差を目の当たりにする自分にもあったし、事実向いていないのだろうとも思う。でも、たとえ不向きだとしても、わたしはここにいたいから、いくら弓親に、遠回しにわざとらしく異動を勧められようとも、頷く気はなかった。


「行かないよ」
「……そ?」


 今度こそ本物の形で笑った彼は、至って嬉しそうではあった。いつもそうだ。自分からこんなことを言っておきながら、わたしが断ると嬉しそうにする。弓親のことは大体わかるのに、この真意だけは未だに掴めない。
 いいや多分、都合よく捉えていいのだったら、わかるのだけれど。でも彼はそれ以上何も言ってこないから、わたしも、弓親のそばにいたいなどという不純な動機を大事に抱えこんで、ここに居座り続けるのだ。