ああ、なんか、やだなあ……。


ちょっと暗い気分になっていたわたしはつい髪を梳いてしまう。長くもなく短くもない中途半端なわたしのそれは毛先が痛んであちこちに跳ねてしまっていた。一生懸命直したのに朝の苦労も水の泡だ。寝相が悪いのだろうか、起きてもそんな気はしないのだけれど毎朝のように寝癖が酷いのでそろそろ認めざるを得ないだろうと思う。
そんなことを考えながら廊下に一人立っていた。触ると余計酷くなるのがわかっていながらいじってしまうのは最早癖だった。沈んだ気分はなかなか浮き上がらない。ポジティブになんて到底なれないし、でもべつにネガティブでもないわたしはただ現実を受け止めているだけだ。間違ってないんだよ。

目の前を通り過ぎる女の子たちがわたしを一瞥して去って行く。そんな彼女たちをある程度の予測を交えながら目で追うと、一人の子が片方の子に耳打ちしているのがわかった。それを確認して、もう目を伏せる。ほらだからね、と、思うわけだ。あの子たちも現実を受け止めてるだけだからね、間違ってない。
壁にトンと寄り掛かったところで駆けてくる足音が聞こえだす。顔を上げ音の方を向くと、沈んだ気分がじわじわと浮上していくのがわかった。


!」


その声に、うん、と意味もない返事をする。すぐ近くに来たところで立ち止まった彼を見上げ、壁から離れた。「ごめんね待たせちゃって」申し訳なさそうに謝る黄瀬くんにゆっくり目を閉じて、ううん、と首を振ってみせる。ああ、ちょっとあからさまだったかな。黄瀬くんきょとんって顔しちゃったよ。


?テンション低くないっスか?」
「そんなことないよ。うえーい」
「あ、元気だ」


にこりと笑顔を見せた黄瀬くんにつられてわたしもちょっと笑う。両手の拳を上げて、リア充みたいにうえーいって言っただけ。こんなんでいいのか、と思うけど、悪くない。現にわたしはちょっとだけ元気になったのだ。


「それじゃあ帰ろ」
「そうだね」


頷いて、足を踏み出す。それだけで隣を歩く。黄瀬くんは、面倒くさくないのかな。わたしみたいな女、君はすきくないと思うんだけど。こんな一人で悲しい子ぶってるの、面倒くさいと思いそうなのに。見せつけるみたいに悲しそうな態度とる女なんてねえ。
わたしだってべつに、悲しいことなんて何もないはずなんだけどなあ。わたしを見てあの子黄瀬くんの彼女なんだってって言われるのなんて、それ、ただの事実じゃんね。わたしでも知ってることだよ。嫌なことでもないでしょうにね。
隣を歩く黄瀬くんの背はわたしより随分高くて、それでいて距離がやたら近いものだからいつも見上げてしまう。今もバレないようにちらっと見てみたけれど、やっぱり顔を動かさないで目だけでは限界があった。
ねえねえ、聞いたら君は、そうだねって言っちゃう?認められちゃうかな。面倒くさいよって思ってるのかな。


「黄瀬くん」
「なんスか?」
「……あ、やっぱりやめた」


わたし面倒くさい?、とか、聞くのなんて余計面倒くさいね。想像しただけでアウトだよ、「アウトー」右手を挙げグッと振って審判のマネをしてみる。黄瀬くんは思った通り頭にハテナマークを浮かべて、どうしたんスか?って聞いてくる。そうだね、どうかしたんだと思うよわたし。手をぶらんと下ろして、でも足は止めないで進む。駅までもうすぐだ。「どうもしないよ」こういうところがアワレだと思わせる。首を傾げた黄瀬くんに何て言えばいいんだろうね。べつに、本当にどうもしてないんだけど。どうもしてないくせに悲しい子ぶってるのがいけない。ああどうしようか、何も言えない。


「ん〜…」


腕を組んでしまった黄瀬くんから顔を逸らす。悩ませてしまった。悩ませることでもないのに。「俺関係?」地面を見ながら頷く。「黄瀬くんと付き合ってるって言われ過ぎて疲れたかも」黙っててもきっと君は正解できなさそうだから、もう言ってしまう。でも言葉は選ばないと、黄瀬くんを傷つけてしまうから、よく考えた。嫌だとか言っちゃったら悲しいだろうなあ。わたしじゃなくて黄瀬くんが、悲しいと思うだろう。
やだなあと思ったのは本当だけれど、全然大丈夫なら黙っておけばよかっただろうか。余計なこと言ったかな。大体わたし、このくらいのこと、最初からちゃんと予想できていたというのに。それでも選んだのはどうしてだろうと、今さらちょっと考える。黄瀬くんにすきだって言われて、頷いたときにだって、わかってたのにね。こんな風に噂の中心人物になるの。目立つのはわかってたけれど、本当に。なんでだろうなあ。


「なんスかそれ。事実じゃん」


黄瀬くんは、やっぱりきょとんとした顔で言いのけてしまう。ほらねほらね、事実だよね。黄瀬くんのそういうとこ、嫌いじゃない。ちょっと笑ってしまう。見上げた先の黄瀬くんがニッと笑いながら、そんなのに負けないでねって言った、と思う。


「堂々としてればいいんスよー」


黄瀬くんがわたしの頭を撫でた。心地よくてちょっと目を閉じてしまった。ああ、すっかり元気でたなあ。


「わたし、黄瀬くんはとんだ馬鹿野郎だと思ってたんだけど、」
「ひど!」
「ううん、すきだよ」


そんな黄瀬くんにどきどきしてしまうわけだ、わたしは。