隊服姿の双葉ちゃんに気付くのと同時に彼女はわたしと迅くんからちょうど三メートルを空けた距離でピタリと立ち止まった。
 高校の授業が終わってすぐ、任務もないのになんとなくでボーダーに来てなんとなくでラウンジに向かったわたしは、たまたま迅くんを見かけたので彼とおしゃべりしていた。窓に沿って並んだソファー席の一角を占領してまったりと過ごしていた時間は突然の双葉ちゃんの登場でも崩れることはなく、むしろ慣れ親しんだ彼女に対して喜んで手を振った。どうせなら混ざってもらおうと思ったのだ。「双葉ちゃんー」「こんにちは」相変わらずクールに返されたあいさつに、暇なら一緒に話そう、すきな飲み物おごるから!と物で釣る意気込みで口を開いた。声に出す前に、彼女の冷めた眼差しに空気を読んだのだけれど。


「駿があなたとランク戦をしたいそうです」


 眼差しと違わぬ温度で言い放った双葉ちゃんの矛先は迅くんだった。内容は至極平和なものだったけれど、ただならぬ雰囲気を感じ取ったのはわたしだけじゃないはず。駿くんの身に何かあったのだろうか、とおそるおそる迅くんの反応をうかがう。


「お、そう。ならちょっと相手してくるかな」


 こちらも至極平和な切り返しだった。しかも迅くんに至ってはのほほんと花が飛んでそうな顔をしてて、まるで不機嫌な双葉ちゃんに気付いてなさそうだ。まさか迅くんに限ってそんなことが……、訝るわたしにはお構いなしに、彼はじゃあねと短い挨拶で席を立った。無意識に目で追っていると、「ありがとね」双葉ちゃんの横を通り過ぎる際、彼女の頭をポンポンと撫でたのを見て少しホッとした。


「……」
「……双葉ちゃん、このあと何かある?」


 迅くんの背中を横目で追っていた双葉ちゃんへ投げかけるときゅっと視線が合う。まっすぐにわたしを見つめる強い眼差しに射抜かれると落ち着かないのはいつものことだ。苦手とかじゃなくて、なんだか照れてしまうのだ。慣れる気配ないなあ。自分に呆れながら目を逸らしてしまう。逃げたのだ、年上のくせに。


「ありません。今日はもう何も」
「おーじゃあおしゃべりしよう」
「はい」


(あ。)その瞬間、双葉ちゃんの表情が和らいだ気がした。実際のところは、クールな双葉ちゃんの表情筋はそれほど動いていなかったのだけれど。双葉ちゃんはスタスタとソファーまで距離を詰めたと思ったら、「……」一度立ち止まって座席部分へ目を伏せたようだった。何かを思い出してるみたいで、でもそれを問う前にストンと腰を下ろしたので追及はしなかった。それにしても、ほんの数分の間に大人びた年上の青年から優秀な幼い少女へと移り変わった話し相手に、わたしの交友関係も広くなったものだとしみじみ思う。

 ふと、二人の話し相手はそっくりそのまま、座った位置まで一緒だと気付いた。真ん中より外側の位置はど真ん中に座るわたしからは気持ち右側に斜めって見える。それに気付いてから、さっきの双葉ちゃんを思い出して、もしかしたら双葉ちゃんはわざわざ迅くんと同じ位置に座ったのかもしれない、と考えた。けれどそうすることのメリットが思い付かないので、やっぱり偶然だろうと結論づけるのであった。

 加古隊の隊服を着た双葉ちゃんがちょこんと座ってる姿はとても可愛い。完全なお揃いじゃなくて、一人一人デザインが違うのがまたいいよなあと、加古隊が揃ってるのを見るといつも思う。年相応な双葉ちゃんの隊服はキュートな彼女にぴったりだ。高校卒業間近にもなってこんな可愛い子と知り合えるなんて、わたしってラッキーだなーと思うよ。

 さて、おしゃべりの態勢に入ったのはいいけれど肝心の双葉ちゃんが手持ち無沙汰な気がしたので、(トリオン体だからアレかなと思いつつ)何かお菓子とか買ってくるよ!と提案すると、「いえ」簡潔に遠慮されてしまった。いらないのか、もしかしたらすぐいなくなるから必要ないって意味なのかもしれない。このあと何にもないって、言ってたけども。ううん、と腕を組んで考える。と、姿勢のいい双葉ちゃんがポツリと、零れるように呟いたのだった。「駿が」


「あなたが迅さんにばかり構ってるって言ってました」


 唐突な話題に一瞬思考が停止した。パチパチとわざとらしく瞬きしてしまうほどだ。…ええと、双葉ちゃんは何て?今聞いた言葉を頭で何度か反芻する。動揺していたので、四度目くらいでようやく飲み込めた。構ってる……どちらかというと、構ってもらってるのはわたしのほうだと、思うのだけど。駿くんにはそう見えたのだろうか。駿くん、迅くんのこと大好きだもんなあ、嫉妬させてしまったのかもしれない。


「でも迅くんのことは、全人類がすきだし…」


 言ってから、双葉ちゃんのセリフの答えになってないと気付いた。「あ。だから…」とっさに顔を上げる。と、怪訝な顔してわたしを見遣る彼女と目が合った。口を動かさなくてもわかる。何言ってるんだ、って顔してるのだ。「え、だって駿くんも…」予想外の反応にうろたえてしまう。言い訳みたいな言い草で手をうようよ動かすも、双葉ちゃんが納得する様子はなかった。ますます怪訝な顔をさせてしまってますます慌ててしまう。


「そ、それに迅くんのサイドエフェクトすごいじゃん?未来予知なんて、かっこいいよねー!」


 空元気みたいに声を張り気味で同意を求めてみた。勢いで押すという年上として情けない行動に出たのは許してくれ、それほど双葉ちゃんにさせたくない表情をさせてたのだ。双葉ちゃんって基本的にクールだけど、クールだからこそ、不機嫌な顔はあんまり見たくないよ。そうさっきだって、迅くんに向けてた感情は、あんまりいいものじゃないように見えたんだ。

 あのとき迅くんはこんな、わたしが慌てふためく状況も視えてたんだろうか。


「人をすきになるのにサイドエフェクトの有無は関係ないと思います」


 えっ?
 ツンとした声音だった。少し伏せた目線はテーブルの上を見ていたと思う。姿勢は変わらない。表情はちょっと、つまらなさそうだ。
 ぽかんと呆気にとられたあと、心に湧いてきたのは感動だった。まさか、双葉ちゃんがそんなこと言うなんて…!わたしはとにかく嬉しくて、でも緩んだ頬を見せないように両手で口元を隠した。わー嬉しい、わたし双葉ちゃんと仲良しだと思ってたけど、コイバナはしたことなかったから新鮮だあ。(あれ、いつの間にコイバナになったのかな?まあいいや!)不満げにやや頬を膨らませてる双葉ちゃんがとっても可愛い。そうだね、双葉ちゃんの言う通りだよね、サイドエフェクトなんてなくたって、人のことはいくらでもすきになるよ。

 そこでようやく双葉ちゃんが言いたいことを悟ったわたしはハッと表情を引き締めた。……もしかして双葉ちゃん、駿くんのことがすきなのかな?!だから駿くんの大好きな迅くんに対してちょっとツンツンしてたのかも。もしそうだとして、双葉ちゃんが恋をするとこんなに可愛いくなるなんて、知らなかったなあ…!


「双葉ちゃん、前から可愛かったけど、今はもっと可愛いねー!」


 わたしは今まで勝手に、双葉ちゃんは将来加古さんみたいになると思っていた。背が伸びてクールビューティって持て囃される双葉ちゃんを想像していたのだ。でも考えを改めないといけないかもしれないなあ!にこにこと笑みを浮かべるわたしに、まだ不満げな様子の双葉ちゃんはふいっとそっぽを向いてしまう。ああちょっと、気に障ってしまった?


「そうだとしたら、あなたに似てきたんじゃないでしょうか」


 はっきりと聞こえた台詞に上がった口角もろとも固まる。……ん?脳内で噛み砕いて真意を得るための処理時間はさっきの台詞より大幅にかかった。いいや、都合よく考えていいなら、双葉ちゃんが今、とてつもない褒め言葉を言ってくれたんだと思う、のだけど。
 じわーっと顔に熱が集まる。まさかそんなこと言われると思ってなかったからとんだ不意打ちを食らってしまった。わーわー、しかもあの双葉ちゃんにだよ!もし本当に言葉通りの意味なら、照れるけど、すっごく嬉しいぞ。


さん。あなたにお願いがあります」
「えっ、なになに?」
「あなたが卒業したら、そのリボンください」


 すっと伸ばした人差し指はまっすぐわたしの胸元を指していた。…ああ!すぐに理解して俯く。今日はボーダーに来てからもずっと制服のままだった。高校指定のリボンもつけたまま。手で触れてみると、三年も使い古したそれはさすがに生地がくたびれていた。
 確かに唐突なお願いだったけれど断る理由もない。あと一ヶ月もしないうちにわたしは卒業して、三門市の市立大学に入学する。大学は私服だからこれはもう使わないし、制服を大事に取っておく習慣はないので、双葉ちゃんが欲しいというなら二つ返事で頷けた。


「いいよ。でも双葉ちゃん、使う?高校わたしのとこ狙ってるとか?」


 けれど聞いた通り、双葉ちゃんが欲しがる理由が思い当たらなかった。これまた勝手に双葉ちゃんは市内の高校に進学するものだと思ってたので余計に。わたしが通う高校は隣町とはいえ市外だし、ボーダーの精鋭である双葉ちゃんとしては色々と都合が悪いと思うのだけど。


「狙うかはまだわかりません。でもください」
「うん、いいよ」


 その声が納得してないように聞こえてしまったのだろう。双葉ちゃんは少し困ったように眉を寄せた。さらには視線も逸らされてしまいいよいよ慌てたわたしは「あげるよ!卒業したらすぐあげる!」と身を乗り出す。それが響いたのかわからないけれど、斜め下を見ていた彼女は、一度ゆっくりと瞬きをしたあと、再度わたしと目を合わせた。


「ありがとうございます」


 いつも通りの淡々とした声で伝えられたお礼だった。けれどこのときはなぜか妙に照れ臭くなって、誤魔化すように笑いながら、赤くなる頬をぱたぱたと手で扇ぐほどだった。まるで双葉ちゃんのまっすぐな眼差しで熱せられたみたいだ。やっぱり慣れる気配ないなあ、双葉ちゃんの、一途な少女みたいな視線には。