生まれて初めての告白はとても美しかった。

だから、聞き返してしまった。今のどういう意味?って。見開かれた瞳が驚きそのものを表していて少し後悔した。それでも一度口にした言葉はもう取り返せない。バイト先に向かうバスが早く来るようにと願う一方で同じくらいに答えを知りたい気持ちもあった。数分見つめ合った後に彼女はまた美しく回答する。恋をしてる女の子の声で。

あまりにも美しくて、わたしはそれを手放してしまった。





おはようって言い切る前に言葉が飛んできた。

「知ってる?遥がバスケ部の先輩から告白されたって話」

一回だけ心臓が大きく鳴って反射的に「聞いたことない」と答える。も知らないんじゃ誰も知ってるわけないよお、と落胆する声があちこちから上がる。状況が飲みこめていないわたしを囲んで、クラスの子達は興奮しきった様子で遥に告白したらしい先輩の名前を口にする。何となく聞き覚えのある名前だと思ったら校内ではなかなか有名な人だった。バスケ部のエースとか、バンドとか、そういうことをしていて他校の女の子がわざわざ見に来るくらい人気があるって聞いたことがある。その人がつい最近遥に告白したらしい。遥は高校に入学した当初から年下からも年上からも勿論同級生からもモテていたからそういう話はよく話題に上がっていて、その中には偽物の話もたくさんあった。今回もそうかもしれない。それに、三年生はもうすぐ卒業という時期なのに今になって遥に告白することなんてあるんだろうか。

「おはよう」

こういうの、飛んで火にいる夏の虫って言うのかな。間違ってるかも。遥が可愛らしい顔にさらに可愛らしい表情をトッピングさせて教室に入って来た。するとクラスの子達はすぐさま遥に飛びついて今わたしに聞かせたばかりの話題を持ちかける。遥はドアの前で目を丸くして、何か答えたようだった。今日一番のはしゃぐ声が教室に響いて思わず身体に余計な力が入る。教室の前を通って行った他のクラスの人達が何事かという顔をしたくらいだ。廊下にもそうとうこの声が反響していることだろう。わたしは自分の席に座ったままクラスメイトに囲まれた遥を眺める。身体の造りも、制服の着こなしも、愛らしさも、遥は文句の付け所ないくらい完璧だ。わたしにとって遥はいわばアイドルに近い存在だった。そんな遥だから他の学校の生徒からも人気がある。それこそ遥に告白したバスケ部の先輩と同じように。……いや、それどころか、ボーダーという組織の広報をしているから近くの学校どころか全国の人が遥のことを知っている。その中には遥のことを本当に好きな人が沢山いてもおかしくない。あの先輩が卒業を目前に控えて遥に告白しようと思う気持ちも、分かる。

「おはよう
「おはよう」

ホームルームの時間になってようやく遥は解放された。隣の席にバッグを置くなり遥は困ったような何とも言えない笑顔をわたしに向ける。大変だったねと他人事みたいな言葉をかけるけど遥は何とも思ってないように笑った。その後クラスの子達の話を聞いた限りでは遥は回答をはぐらかしたようだった。遥らしいなと思ったけど、次の瞬間にちょっと落ち込んだ。遥らしいと思えるほどわたしは遥のことをあんまり知らないって最近感じることが多いから。中学校の時からずっと遥とは仲が良いけど、過ごした時間と知ってるかどうかは比例しないって十八歳を迎える前にやっと分かってきた。

クラスの子達を沸き立たせた話題は一日も経たずに学年中に広まったけど半月過ぎた頃には見事に沈下した。遥が先輩から告白されたのが本当だったのか嘘だったのかは分からないまま。知りたい気持ちはあるのによく分からない意地がそれを邪魔して素直に聞くことが出来なかった。二人でいる時に聞いたらきっと遥は答えてくれるだろうって心のどこかで思ってはいるけど。

、どうしたの?ぼーっとして」

遥がわたしの顔を覗き込む。野暮ったい色と生地を纏ってもなお遥はその煌めきを手放さない。ジャージ着ててもこんなに可愛いんだもん。モテて当たり前だよ。頭の中でもう一人のわたしが呟く。体育館の床が不定期な小さい衝撃を連れてきて、居心地の悪さにわたしは座り直す。クラスメイトがバスケットボールを床にぶつけては走って行くのを眺めながらちょっとだけ頭の中で言葉を探した。最終的に「そうかな」を探し当てて声にしてみたけど、確かにいつもよりスピードが出なくて遥に届く前に床にぽとりと落ちた。それでも遥は律儀にそれを拾い上げる。

「最近ちょっと元気なさそう」
「……そうかも」

ちょっとした賭けだった。戸惑ってしまえって思いつつも、こう答えたら遥はどういう反応をするのか気になっただけなんだけど。そして、わたしの期待通りに遥は瞬きを繰り返してわたしを見つめた。予想してなかった返事だったのかもしれない。意地が悪いことをしている自覚はある。可愛くない奴だって、思われているかもしれない。でも「何かあったの?」って聞いてこないところが遥の賢いところだと思う。こういうやり方しか思いつかないわたしとは大違いだ。わたしはこの数週間遥のことで頭がいっぱいだった。あの噂が本当なのか、とか。こんなことで悩んでるのわたしだけかも、とか。

「……ってもしかしてヤキモチ焼き?」
「……知らなかったの?」
「うん、知らなかった」

中学の時から一緒なのにね。そう言って遥は嬉しそうに笑う。でも、何が可笑しいのかさっぱりだ。わたしはこんなに苦しいのに。遥は嬉しそうに微笑んだままわたしの瞳を見つめて、それからわたしの指を握った。こんな体育館の隅っこで何してるんだろう。わたしも遥も。わたしと遥のどっちかが男の子だったら確実に他のクラスメイトから冷やかしの嵐が降るんだろう。おかしな話だ。お互い女というだけで周りからは「仲がいい」という言葉だけで終わるんだから。顔を傾けると前髪が視界を遮る。すると横から清らかな指が伸びてきて下りたばかりの前髪を耳にかけていった。わたしに逃げ場を作らせないのも遥の賢いところだ。少しでも隙を作ればわたしが逃げていくことを遥は知っている。……だったら、どうしてあの日は逃げ場を作ったのだろう。

、どうしてそんな苦しそうな顔してるの?」

二ヶ月前に訪れたあの日から、遥はわたしと二人きりになると熱を帯びた視線を送るようになった。わたしは本当に遥のこと全然知らない。遥もこうやって意地悪するんだって、今まで知らなかった。

「……先輩」
「うん」
「三年生の先輩と……付き合ってるの?」
「そんなわけないじゃない。が一番わかってるでしょ?」

よかった、というのが一番最初に生まれた感情だった。告白の答えを先延ばしにしたくせに。遥に好きだって言われて、わからないって答えたくせに。体育館に耳をつんざくような笛の音が鳴り響く。床についた指をほんの少し動かすと白い指がついてきた。

「遥、わたしがあの噂聞いたらどう思うかわかってたでしょ」
「ふふ。バレちゃった」
「いじわる」
「好きかどうかわからないなんて言われたら、時間をあげて待つしかないでしょ?」

わざとらしく遥が肩を揺らすからため息を零してしまった。でも本当に偶然なのよ。遥が気を利かせて言い加えた言葉を聞いても、元気は戻って来ない。偶然って、どれ?先輩に告白されたタイミング?それともその噂が流れたこと?聞こうとしてもうまく口が開かない。尋ねる前に「集合ー」と先生が大きな声を出したのを合図に遥は立ち上がった。手を繋いだままだったからわたしの片腕はだらしなく持ち上げられる。遥は笑顔を浮かべながらわたしを見下ろしていて、きっと何かを訴えてるんだろうけどわたしはその意図を読み切れなかった。仕方がないから息を吐いてから腰を上げて遥に連れられるがままに歩き出す。わたしよりも前に立って整列をしてる時でさえ遥は可愛いまま変わらない。少女を極めた後ろ姿が輝きを放つのを、わたしは遠くから見てるだけでよかった。きっとこの子は卒業したらかっこいい男の子と付き合って、結婚して。わたしよりも大事なものを作って生きていくんだろうって思ってた。だから遥はわたしのアイドルだった。わたしはそうやって遥と一定以上の距離を保って五年という年月を生きてきた。



更衣室に向かう途中で遥は口を開いた。やけにクラスメイト達から離れて歩くから、もしかしたら聞かれたくない話をするつもりなのかもしれない。それでも授業が終わったばかりで廊下には生徒がちらほら歩き始めている。さっきの話の続きなのか、そうじゃないのか判断できない。もうこの際どっちだっていい。遥に好きだと言われたあの瞬間から、遥はわたしのアイドルではなくなっていたのだ。戯れる子犬みたいに悪戯っぽく笑う彼女は、ただの一人の女の子だった。

「私のこと好きになってくれたって、自惚れてもいい?」




幼獣