「いいもの見せてあげる」

 朝、登校して席に着いたとたん、いそいそと近寄ってきたが、おはようより先にあたしにそう言ったので、今、あたしは普段来ることのない特別棟四階の廊下に立っている。
 目の前のドア……ではなくその隣のドアは美術室なので、美術の授業のときに入ることはあるが、美術室よりも一回りも二回りも小さそうなこの部屋のドアはくぐったことがなかった。ドアの取っ手のところにはよく分からない傷跡と、絵の具らしき跡がうかがえる。

「出穂ちゃんお待たせ」

 ぺたぺたと上履きが廊下を踏む音がして、隣の広い美術室から出てきたが朝と同じ顔でにっこり笑う。あたしは「待ってないけど、いいものって何なの」と急かす様に今日何度目かの質問をした。

「ちょっと待ってね」

 お待たせ、と言った後でのんびりとそう言われて、なんだか肩の力が抜ける。あたしはやれやれと肩をすくめて、が目の前のドア――美術準備室のドアを開けるのを半歩下がって見守った。ほかの教室と同じように、カラカラと音を立ててスライドしたドアの向こう側は、ずいぶん暗い。

「えっ、暗っ」
「まあねー、どうぞ」

 一歩部屋に入ったが振り返ってそういうので、あたしも倣って部屋に入る。
 入口の付近には誰のかわからない立体の作品の半端なものや、蓋の閉まり切っていないペンキの缶、堆く積まれた新聞紙の山、謎のヘラのようなものが所狭しと並んでいて、足の踏み場も迷うような有様だった。

「すんごい散らかってんじゃん」
「うそ、これでも片付いてるほうなんだけど」
「え、あんたらの部活、掃除できるやついないの」

 のほほんと言いながら、奥の棚から何やら取り出そうとしているは美術部部員だ。
 先月は作ったのだという謎のキーホルダーを見せてくれた。厚手の色画用紙を重ねて、カッターで好きな形に整えて、ニスを塗って仕上げたものらしい。制作過程を聞くとおもしろそうだと思うのだけど、の作り上げる造形は私にはやや理解できない。

「出穂ちゃんはここに座って」

 奥で何に使うのかわからない白い布をかぶっていたのは何の変哲もない椅子だった。が動かすたびにガタガタと音を立てる。きっと椅子の脚の石が欠けているのだろう。座ってみたら案の定少しぐらついた。
 怪訝な顔を隠しもせずに、腰かけたあたしが部屋の中をぐるりと見まわしている間に、は棚の中から取り出してきた、これもまた謎の布をかぶっている何かを、目の前の机の上に置いた。
 机の上には粘土作りの作りかけのスニーカーが先客として居座っていたが、は気にする様子もない。粘土のスニーカーを机の端に追いやって、布をかぶった何かを机の真ん中に置いたは、迷いのない足取りで、唯一の光源になっていた廊下との仕切りのドアを閉めてしまった。廊下から差し込んでいた光が消えて、部屋の中が途端に真っ暗になる。なんでこんなに暗いのかって、部屋の奥の窓は暗幕で覆われていたからだ。

「え、?」
「うん、ちょっと待って」

 ぺたぺたと、あの散らかっていた床のどこを歩いているのかわからないが、慣れた足取りで戻ってきたが、向かいの椅子に腰掛けたようだった。

「ねえ、電気つけない?」
「つけないの。見てて」

 暗闇に慣れてきた目で、が机の上の謎の物体から布を取り払うのが見えた。地球儀のようなものだ。それが何なのかわからないのは一瞬だった。パチン、軽い音がして明かりがともる。

「う、わ……」

 丸い地球儀のようなそれは、プラネタリウムだった。小さな穴から無数の光が壁へ、天井へ、星を描いていく。プラネタリウムは地球儀のようにくるくる回った。地球儀を改造しているのかもしれない。
 教室の三分の一程度の狭い準備室の、壁に、天井に、窓にかけられた暗幕に、そこら中の作りかけの作品に、小さな星が映し出されて、準備室が急激に広がっていく。本物のプラネタリウムなんて行ったことがないけれど、素直に綺麗だと思った。

「どうしたの、これ」

 何となく、つぶやく声も小さくなる。星の光を受けて、少しだけ見えやすくなったの顔がはっきりとほほ笑んでいるのがわかる。

「先月から作ってて。できたら一番に出穂ちゃんに見せようと思ってたの」
「一番?」
「そう。出穂ちゃんに」
「なんで」
「なんでって」

 がおかしそうに笑う。プラネタリウムを回していた指先が止まる。

「だって、出穂ちゃんは私の一番の友達だもん」


(18/05/28)
title :約30の嘘  sozai :イラストAC / 写真AC