「いい天気だねえ」

ゆっくりと優しい声が耳から脳に侵入してくる。わたしの脳はそれに反応して麻痺したみたいにしびれ始めて、何も考えずにこくりと頭が上下に振られた。柚宇ちゃんはわたしと向き合ったままお弁当を片付けて、それを机の上に置いたまま外を眺める。お昼休みが始まってからまだ十五分しか経ってない。今まで柚宇ちゃんがこんなに早くご飯食べ終わったことあったっけ。夏休み明けにアイス食べすぎたからダイエットするってお弁当の量減らした時以来かな……。騒がしい教室の中でまだお弁当を食べ終わっていないわたしは慌てて中身を胃袋に入れようとしたけど「急いで食べると喉詰まらせるよ」と笑われてしまった。それでも少しでも早くご飯を食べ終えようとお箸を進める。柚宇ちゃんは相変わらず外を眺めたまま。今日の柚宇ちゃんは口数が少ない。大体こういう時は眠いか新作のゲームのことを考えてるかのどっちかだ。でも眠いなら朝登校してきた時からあくびをしているだろうし、新作のゲームが出るならもっと前から会話の六割くらいが新作のゲームになるはずだし……。もしかしたら何かあったのかな。どうしよう、聞いてみても「

「っな、なに?」
「午後サボっちゃおうか」

柚宇ちゃんはわたしに顔を向けてそう言うと、にっこりと笑った。ふわふわした髪と胸元のリボンを揺らしながら。
へ、と間の抜けた声が口から零れて、卵焼きがお箸の上から転がり落ちた。





「ゆ、柚宇ちゃん……ほんとに抜けてきちゃって大丈夫かな?」
「卒業式の練習しかしないんだから大丈夫だよ」
「そうだけど……」

電車まで乗って、学校から随分離れてしまった。肩にかかるバッグの中には教科書なんて全然入ってないはずなのに、教科書よりもずっとずっと重いものが入ってるみたいだ。平日の昼間なのに駅の近くを制服を着た子どもが二人歩いていますって学校に連絡されたりしないかな。周りの視線と後のことを不安に思いつつも、今目の前にいる柚宇ちゃんが楽しそうにわたしの手を引っ張って歩くから胸がきゅうってなって、頭がふわふわしてしまう。ねえどこ行こうか。ゲーセン?映画館?あっでもお洋服見に行くのもいいなあ。かわいいからどんなお洋服も似合うよ。柚宇ちゃんの言うことひとつひとつに対して、うん、うんって頷く。そして最後に「柚宇ちゃんもかわいいから、何着てもかわいいよ」って言ってみる。ちょっとだけ声が小さくなったけど、繋いだ手がきゅって強く握られたから柚宇ちゃんの耳には届いていたみたいだった。

「あっそうだ。、今お腹いっぱい?」
「えっ?ううん、お腹いっぱいってわけじゃないけど……どうして?」
「この近くにあるケーキ屋さんのケーキ食べたいって言ってたでしょ」

ケーキ。その三文字を聞いた瞬間に「食べたい」と声が出ていた。柚宇ちゃんの優しい目がちょっと大きくなって、それからまた細められた。ネットでお店を見つけてから、ずっと行きたかった。ちょっと遠いから卒業したら柚宇ちゃんと行こうかなって思ってたけど、こんなに早く叶うなんて。駅からお店に行く道も外観もちゃんと覚えてる。今度はわたしが柚宇ちゃんのことを引っ張る番だ。途端に積極的になったわたしを柚宇ちゃんはにこにこ笑いながら見ている。もうすっかり周りの人から制服に向けられる視線なんて気にならなくなった。柚宇ちゃんもこういう気持ちだったのかもしれない。わたしはこういうことに気づくのがいつも遅くて、柚宇ちゃんはいつも早い。

「柚宇ちゃん、ケーキの話よく覚えてたね」
「ふふ、任せなさい」

柚宇ちゃんはそう言うと胸を張った。お店に着いてどれを買おうか迷うわたしを柚宇ちゃんはにこにこ笑って見つめる。ゆっくり選んでいいよという声に甘えながらわたしは結局最後まで迷ったケーキを二種類買った。それを見た柚宇ちゃんも二種類買ったから店員のお姉さんに「仲がいいんですね」なんて言われてしまった。柚宇ちゃんは「そうなんですよお」って笑いながら、ケーキが並んだガラスケースの下でわたしの手を握る。これは、柚宇ちゃんとわたしだけの秘密だ。周りの視線はきっとわたし達の制服にしか向けられないだろうけど。

「柚宇ちゃん、今日もボーダー行くんだよね」
「うん。ここから遠いからちょっと早めに電車乗らないと」
「そっか」

公園のベンチに座りながら、わたしと柚宇ちゃんはケーキをお互いに半分こした。違うケーキを二種類ずつかったから四種類も食べられて、なんだか贅沢してる気分だ。幼稚園生くらいの子たちが芝生の上を走り回っているのを、わたしと柚宇ちゃんはぼーっと眺める。平日昼間の公園ってこんな感じなんだ。平日の昼間に外にいるのも公園に来たのも久しぶりでなんだか変な感じがする。


「うん?」
「先生に怒られたらわたしのせいにしていいよ。言い出したのわたしだから」

柚宇ちゃんを見ると、ちょうどケーキを口に運んでいるところだった。わたしが選んだいちごのケーキ。血色のいい頬が動く。唇に生クリームがついていたけど、唇の隙間から出てきた赤い舌がそれを舐め取るなり引っ込んでいった。

「しないよ」

柚宇ちゃんの唇から視線を外さないまま言ってみると、柚宇ちゃんはわたしに顔を向けた。そしていつもみたいに笑いながら「知ってる」と言葉を口にする。ねえ柚宇ちゃん。ちょっと学校から逃げ出しただけで怒られるわたし達はまだ子どもなのかな。子どもって、制服着てるからなのかな。制服を脱いだら大人になれるのかな。わたしは早く大人になりたい。大人になって、柚宇ちゃんとわたしはただの友達じゃないんですって言えるようになりたい。子どもがそれを主張したところで本気にしてもらえないだろうから。

「ねえ柚宇ちゃん、今日学校抜けたのって、本当に気まぐれ?」

ずっと気になっていたことを聞いてみる。柚宇ちゃんは「うーん」と唸りながら自分が選んだモンブランをスプーンごと口に入れた。返事はしばらく来ない。優しい目は正面で遊んでいる子ども達に向けられている。返事を待っている間、わたしは柚宇ちゃんと同じ順番でケーキを食べた。何も考えずに選んだけど甘いケーキとほろ苦いケーキがあってバランスがよかった。甘いのだけだったらきっと飽きてたかもしれない。

「そうじゃないって言ったら?」

心の中を探るような瞳が向けられる。柚宇ちゃんってこういうとこ心配性なんだなあ。そんな心配しなくてもわたし逃げたりしないのに。学校から逃げたのだって、柚宇ちゃんが一緒だからだ。柚宇ちゃんじゃなかったら逃げたりしなかった。

「嬉しい」

言ってみると柚宇ちゃんはまた目を細めた。ならそう言ってくれるって思ってた。柚宇ちゃんはそう言うとわたしのほっぺに唇を押し当てて、びっくりするわたしに笑顔を向けた。それがあまりにも無邪気な笑顔だったし、わたしはわたしでほっぺにキスされたくらいでこんなに動揺してるから、わたし達はやっぱりすぐには大人になれないのかもしれない。きっと制服を脱いでもすぐに大人になれるわけじゃない。でもこうやって少しずつ秘密を増やしていって、大人になれるのかもしれない。柚宇ちゃんの手がわたしの手を握って、血色のいい唇が動く。

「これからもっと幸せになろうね、


制服