「摩子ちゃんって天気予報士なの?」
「まだ言ってる」
「だって大雨だって言ってたのにひどいと思わない?」

もうあの番組の天気予報は信じない。夕方は傘が必須です!ってあんなに言ってたのに。天気予報士さんの言葉を信じて折り畳み傘じゃなくてちゃんとした傘まで持ってきたわたしがバカだったんだろうか。雲一つない夕暮れに包まれながら溜め息をついて傘を振り回す。すると摩子ちゃんに「やめなさい」と窘められたのでわたしはもう一度大きく息を吐いた。片手にはお菓子がたくさん詰まった紙袋。反対の手には傘。夏休み前の小学生みたいな大荷物だ。そう訴えると摩子ちゃんは大袈裟だと少し笑った。その拍子にわたしと同じなのにわたしよりも膨れたバッグが揺れる。わたしと違って摩子ちゃんは想定していなかった子からお菓子をもらうことが毎年起こるみたいで、サブバッグに入りきらなくなるのだ。

「これ全部食べたら五キロくらい太るよね」
「それは言いすぎ」
「摩子ちゃんは例の男の子にもあげるの?」
「うん。あと大学院生の人にも」
「ふうん」

わたしの返事に含みがあると感じたらしく摩子ちゃんはちょっとだけ上からわたしを見つめた。それから案の定質問をしてきたからわたしはちょっとだけ躊躇ってから「違う」と答える。摩子ちゃんは可笑しそうに笑って残念だなあなんて白々しく口にした。ボーダーに所属している摩子ちゃんは同じチームに男の人が三人いるらしい。二人は二つ年下で、もう一人は……五歳くらい?だったかな。二十三とか二十四とか、そのあたりだったはず。大学院の人ということしか覚えてない。摩子ちゃんはこれからその三人にもお菓子をあげるようだけど、その人達が摩子ちゃんに変な気を起こさないかわたしは警戒している。

だって北添くんとか当間くんとかにあげてたじゃない」
「あの二人はそういうのじゃないもん」
「私だって同じよ」
「摩子ちゃんは美人だからいつそういうことが起こるかわからないでしょ」
「やっぱり妬いてるのね」
「妬いてない」
「大丈夫よ、本命はにしかあげないから」

そう言って摩子ちゃんがにっこり笑うので腰を小突いてやったら笑われた。こういうことさらっと言うから摩子ちゃんは所謂スケコマシというやつなのかもしれない。教室では全然そんな素振り見せないのに。教室にいる時の摩子ちゃんは本当に、お姉さんっぽい普通の女の子だ。クラスの女の子たちとチョコを交換し合ってきゃあきゃあ言ってる時も、男の子たちに「オレ達のは?」とからかわれた時も。なのにわたしと二人になると普通の女の子からちょっと変わる。ボーダーにいるとどうなんだろう。ボーダーに所属している「人見摩子」をわたしは微塵も知らないから、ボーダーの男の人達に摩子ちゃんがどう見えているか想像もつかない。摩子ちゃんと同じでボーダーに所属している北添くんに聞いたら「そんなに変わらないよ」と教えてくれたけど。

「じゃあ、またね」

バッグを膨らませた摩子ちゃんがオレンジ色の光を背に微笑むのでわたしは大人しく頷いた。でも、またねと言ったのに摩子ちゃんはわたしを見つめて動かない。揺れる気配のない摩子ちゃんのスカートに違和感を覚えてわたしは首を傾げた。どうしたの摩子ちゃん、ボーダー行くんでしょ。なんだか摩子ちゃんの視線が恥ずかしくなってきたわたしは摩子ちゃんを急かす。うん、と静かな声が返事をして摩子ちゃんのスカートがやっと揺れた。けど、想定外の動きだった。摩子ちゃんはわたしに近寄るとわたしの手から傘を奪い取る。

「えっ、え?」
「傘開くよ、
「か、傘?」

戸惑っているうちに摩子ちゃんはわたしに有無を言わさず傘を開く。瞳に入って来る光の量が一気に減ってわたしの脳は数秒混乱した。周りの景色が隠れて摩子ちゃんは少し背を丸める。摩子ちゃんの匂いが鼻先でふわふわ漂って、あれ?と思ってるうちに摩子ちゃんの顔が離れていって、突然の出来事にわたしはぽかんと立ち尽くした。一方の摩子ちゃんはなんだかすっきりしたようなやり切ったような表情をして傘を閉じてわたしに傘を差しだす。されるがままにそれを受け取っても、人生初めての出来事にわたしの頭は混乱を極めていた。い、いま、キ、

「まっ……摩子、」
「よかったね
「へっ?」
「傘、役に立ったじゃない」
「っか、傘……?」
「私も持ってたら出来なかったよ」

摩子ちゃんはそう言うとまたにっこり笑った。妬いてるのはだけじゃないの、だからこれは私だけに頂戴。教室にいる時とは違う女の子の声はわたしに微笑んで、それから手を振って歩いて行ってしまった。わたしは呆然と、丁寧に畳まれた傘を握りしめて立っている。初めてだったのに、感触も何もわからないまま終わってしまった。こ、こんな……。なんだろう、この、感じ。……や、やっぱり摩子ちゃんはスケコマシなんだ。そうじゃないとこんなことできない。傘さしてたとは言えこんな、いつ人が通ってもおかしくない道で……。そ、そうだよ道のど真ん中で何してるの!?しかもこんな時間に!!傘が役に立ったとかそんなのどうでもいい!!摩子ちゃんにキスをされた状況を思い返して一気に恥ずかしさが込み上げてくる。右腕にぶら下がっている紙袋の中で、摩子ちゃんからもらったお菓子がそんなわたしを見上げては可笑しそうにくすくす笑っていた。