光ちゃんの隣でオペレーション画面を覗き込んで三時間ほど経った頃、彼女の仕事は無事に終わったようだった。おつかれーと間延びした声で警戒区域に散開していた隊員に声をかけ背伸びをする彼女に「光ちゃんもお疲れさま」と労うと、上に伸ばした手を脱力と共に下ろしながらおーと返してくれた。じきに影浦先輩たちが帰ってくるだろう。その間にこのイスはテレビの横に戻しておこう。

 光ちゃんに会いに影浦隊の作戦室に遊びに来ると、タイミングの悪いことに彼らは防衛任務中だった。光ちゃんはオペレーターデスクに張り付き、突如開くゲートの位置を正確に隊員へ伝達していた。わたしもオペレーターの端くれなので無体なことはせず、向かいの仕切り部屋にあった折りたたみ式のイスを持ってきて光ちゃんの隣に置いた。結構前にわたしが持ち込んだ私物を、光ちゃんの許可で置きっぱなしにしてくれているのだ。
 高校で同じクラスになってから光ちゃんと仲良しになって、お出かけしたり作戦室で映画を見たりいろいろ遊んだけれど、一緒に防衛任務をしたのは初めてだった。能力もキャリアもわたしよりずっと多い光ちゃんのオペレーションはとても参考になった。いつか光ちゃんみたいに、オペレーターの立場から作戦を提案できるようになりたいなあと思う。
 よいしょと掛け声と共にイスを持ち上げる。一歩踏み出して、(あ、)ピリッと痛みが走った。我慢して二歩、三歩と進めていく。ひょこひょこと。


「どーした?」


 光ちゃんがモニターの脇から顔を覗かせていた。右足を庇って左足に重心を傾けた変な歩き方だったから気になってしまったのだろう。「靴擦れしたんだー」イスを持ったまま、ここぞとばかりに右膝を曲げてかかとを向けてみせる。昨日新しく買ったサンダルで外を歩き回ったら見事に皮がむけてしまったのだ。奇妙なことに左足は無傷なのに、右足だけかかとや指の甲の至るところで靴擦れが起こった。よほど変な歩き方をしていたのだろうか。おかげで今日はクロッグサンダルでボーダーに来る羽目になった。夏休みだし、暑いし、学校でもないのに靴下は履きたくなかった。


「あちゃあ、痛そー」


 赤くなった患部に目を落とした光ちゃんがまるで自分の足が痛むみたいに顔を歪めた。それに肩をすくめて、棚で仕切られている向かいのスペースへ移動する。光ちゃんに心配してもらえたから気は済んだ。むしろ満足だ。わたしは光ちゃんに見えない棚の陰にイスを置きながら、人知れず笑みを浮かべた。
 そもそも任務もないのにボーダー本部に来ること自体が場違いだと誰かに責められそうだ。しかもボロボロの右足を引きずってまで来るもんじゃない。良識ある脳みそがそう判断したけれど、常識のない本能が我慢をしなかった。光ちゃんに会いたい。光ちゃんにこんなひどい足を見せて、「痛そう」って、心配されたかった。


「もう三時じゃん。ー、ラウンジ行かねー?」
「行く!」


 くるっと身体ごと振り返ると光ちゃんはあくびをしながら席を立っていた。大口を開けたその顔にあははと手を口に当て笑う。光ちゃんはお姉さんみたいなのにこういうところ可愛いよなあ、すごくすきだなあ。
 光ちゃんが換装を解き、私服に戻るのを横目に自分のカバンを探す。それから、オペレーターデスクの足元に置いたのを思い出し、そこへ戻った。


「影浦先輩たち待ってなくて大丈夫?」
「いーよいーよ。来てるの知ってるし。あのままランク戦とか訓練行くよ」
「そうなんだ」


 頷き、バッグのショルダー部分を手に取り肩にかける。光ちゃんも携帯だけショートパンツのポケットに突っ込んでわたしの前で立ち止まった。目線を落としわたしの右足を見ているのはわかった。どうしたんだろう。ひかりちゃん?と声を出す、前に彼女は、何かいいことを思いついたようにパッと表情を明るくした。


「手つないでやるよ!」
「えっ?」


 勢いよく差し出された左手に、一瞬思考が遅れた。「……!」それからすぐに理解し、真っ先に両手で掴んだ。


「うん!」


 わたしが威勢良く答えると光ちゃんは満足げに笑った。唇と唇の隙間から白い八重歯が覗く。幸せな感情がむくむくと湧き上がって、光ちゃんありがとう!と高揚した声でお礼を述べると、「よーし行くかー」と歩き出した。作戦室を出て、基地の通路をラウンジへと進む。わたしは右手だけ光ちゃんと繋いで、顔は真っ赤だろう。光ちゃん、光ちゃんって、なんて優しい女の子なんだろう。嬉しい。握る手が柔らかくてあったかい。幸福が右手からみるみる身体中に染み渡っていくようだ。
 同い年なのにこんなに違う。光ちゃんはわたしの世話を甲斐甲斐しく焼いてくれるのだ。絵馬くんや他の人にもこんな感じだからわたしだけってわけじゃあないけれど、光ちゃんに構ってもらえるだけで嬉しい。光ちゃんに世話焼かれるの、わたし大好きだ。


が近所に住んでたら、ちっちゃい頃から手ー引いてたんだろなー」


 ケラケラ笑う光ちゃんの隣でにこにこ笑顔で歩く。右足はヒリヒリと痛かったけれど、全然へっちゃらだった。きっと光ちゃんは、ダメダメなわたしだからこんな風に目をかけてくれるんだろう。あーわたし、ダメダメでよかったなあ!


「光ちゃん、わたし世話し甲斐ある?」
「あるよー。あたしがやったこと何でも喜んでくれるもんなー」


 心臓が大きく脈打つ。光ちゃんの言葉の意味に喉あたりがむずがゆくなって、にやける口をこらえることができなかった。だったら光ちゃん、ずっとわたしのこと気にかけてくれるかも。だってわたしほんとに、光ちゃんがしてくれること何でも嬉しいものね。


「じゃあ、これからもよろしくねえ」
「任せとけー!」


 おーと拳を作った右手を斜め前に突き出す光ちゃん。その隣を歩くわたしは、いつまでも笑ってるんだろうと思った。




 その後、作戦室に戻る途中だった北添先輩に、「換装すればいいんじゃない?」と言われたときは、二人で顔を見合わせて大笑いした。