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 つやつやと天使の輪が光るブラウンのボブヘアがそよ風になびいて揺れる。理想通りのヘアスタイルに大満足といった笑顔を見せたお客様に、ありがとうございました、またお待ちしていますと見送りの言葉を述べ、坂を下って駅へ歩いていく後ろ姿を見届けてから店内に戻った。
 普段視界に入らない位置についているドアベルがチリンチリンと控えめな音を奏でる。パタンと閉めると、先週から常時稼働させるようになった暖房の心地良い空気に包まれる感覚を覚える。もう秋だものなあ、社会人になってから一年が短く感じていけない。こんなことでもはや若者ではないことを実感し複雑な胸中ではあるものの、感慨を口にしたならばもれなくスタッフ全員からどやされてしまうのは想像に難くない。
 今日のスタッフは自分を含め三人だった。スタイリストはお客さんそれぞれについて施術中。俺の次の予約は予定通り一時間後のはず。経験上問題ないだろうと踏んで、スタッフルームに下がる。
 店の奥の小部屋に並んだロッカーのうち、自分のそれを開け、革のシザーケースを仕舞って上着を羽織る。財布だけ持っていけばいいか。ポケットに突っ込み、ロッカーの鍵を締める。


「ちょっと出てきます」
「いってらっしゃい」


 店長に声をかけ正面の入り口から外に出ると、コートを着ていても少し肌寒さを感じる。それからすぐ、秋のキンモクセイの匂いが鼻腔をくすぐる。独特の匂いに何年働いていても慣れることはなく、懐かしく感じてしまうのはどうしてだろう。店の前の歩道沿いに等間隔に並ぶそれらを横目に、緩い坂道を下っていく。
 目的地であるちゃんの花屋へ向かう足取りは常に軽い。昨日約束した通り、店に飾る花を買いに行くのだ。十分掛かるか掛からないかの距離にある店で、ほかに選択肢もないので、俺の独断でご贔屓にしても誰も文句を言わない。調達まで俺がやっているからというのもあるのだろう。
 腕時計で時間を確認したあと袖口に隠し、ふう、と一つ息を吐く。このあとのお客さんはカットとシャンプーだけだから、きっと予定通りの時間に帰れるだろう。ちゃんは何時上がりだろう。できれば一緒に帰りたいな。昨日言ったのは、そういう意味ではなかったから、どうだろう。

 色とりどりの花が並ぶ店内を覗くと、お客さんの姿は見えなかった。ならばと探すもちゃんは見つからず、逆にこの店の店長に見つかってしまう。「あらタカ丸くん!」大らかで豪快な性格らしい彼女の声は、日常会話でさえ店内のどこにいても聞こえる。どうも、と会釈すると、ゴム手袋を外し、入り口に立つ俺の元に来るでもなく、切り花がしまわれたガラスケースへ歩み寄った。俺も慣れたようにそちらへ近づく。


「いつもと同じ?」
「はい。お願いします」


 了解、と応じ、カラカラとガラス戸を開け花を選び始める。常連となった俺のオーダーは聞かずともと言ったところだ。頼もしい彼女から姿を隠すように背後に立ち、再度店内を見回してみる。広い店ではないから、什器の陰にでも隠れていない限り人の姿が確認できないことはない。……いないのかな。
 振り返ったまま目を伏せていると、自分が無意識に口を尖らせていることに気付いた。慌てて口角に力を入れる。子どもみたいなことをしてしまったな。


「あれっ、タカ丸!」


 聞こえた声に、一瞬、背筋が冷えた。すぐに、いや、と気を取り直し、平静を努める。顔を上げると、入り口にちゃんが立っていた。俺と比べ物にならないほど自然な口角を上げ笑顔を見せる彼女に、見られていないと安堵し、改めて丁寧に笑ってみせる。


「もう来てたんだね、いらっしゃい」
「うん。お疲れさま、ちゃん」


 外から戻ってきたところなのだろう、深緑のエプロンを腰につけたまま、コットンのトートバッグから何かを取り出した。それが、宅配伝票だというのをみとめると同時に、彼女が何をしに出ていたのかを理解する。「戻りました」「おかえりー」カウンターの引き出しを開け作業する彼女に話しかけようと踏み出そうとした矢先、視界の端で店長が花の選定を終えたのを捉える。
 こんな感じでいかが?と問う彼女に頷く。「華やかで綺麗ですね。うちの店長この花すきなんですよ」メインに持ってきているであろう大輪を指差して言う。美容室の店内を明るくする色使いや存在感にスタッフもお客様も気に入ることだろう。満足げに笑った店長が早速、カウンターへ運びバスケットにブーケを作っていく。その横では伝票の処理を終えたちゃんが持ち帰り用の紙袋を用意し始めていた。


「今日何時上がり?」
「七時だよ」
「俺六時上がりだから、一緒に帰ろう」
「うん!でもほんとに?」
「うん」


 ちゃんの案じるような眼差しに応えるように頷く。ここへ花を買いに来る日はあらかじめ早上がりできるようシフトを組んでいることを、彼女は知らない。もちろんちゃんのシフトに合わせられはしないから、無駄になるときも少なくはないのだけれど。
 でもまさか、俺と一緒に帰るためにシフトの希望を出してくれなんて言えないしなあ。それはさすがに越権行為だ、「ただの幼なじみ」としての立場からすると。
 てきぱきと包まれた花々は二人の手であっという間に手提げ袋に収まった。支払いを済ませ、ちゃんが作った領収書を受け取り、じゃああとでね、と軽く手を振る。


「うん!」
ちゃんいいわねー、こんな優しいお兄さんがいて」
「うふふ」


 肩をすくめて笑うちゃん。得意に思ってくれてたらいいな。自惚れと言われてもいい。ちゃんにとって俺が、他人から羨ましがられる存在であるというのはいいことだと思う。とはいえ、表面上は謙遜の色をにじませるように笑みを浮かべ、ありがとうございましたとお礼の言葉を述べて店を出てみせる。
 一度振り返り、さっきの自分と同じように店頭で俺を見送るちゃんへ、手を振る。


 店に戻り早速花をレジカウンターへ置くと、手の空いていた店長がこちらへ近づいてきた。「この花すきなのよ」「綺麗ですよね」予想通りの反応に笑うと、俺を一瞥した彼女はそうだ、と思い出したようにカウンター奥のパソコンを指差した。


「さっきネットから予約入ってたから確認しておいて」
「はーい」


 紙袋を畳みながらカウンターの内側に回り、照度の落とされたそれを覗き込む。三十分間隔で区切られた二週間先のスケジュールが、朝から晩まで予約で埋まっていた。昨日見たときはもう少し隙間があったはずだけど、もはやあらかじめ設定しておいた昼休憩以外に空白は見えない。


「頑張れカリスマ美容師」
「だからそれは、父のことですってば……」


 パソコンに向いたまま苦笑いを浮かべる。それから店長が離れると、自然と口角は下がり、手はさらに先のスケジュール表を開いていた。
 ちゃんと先に閉じておかないと、予約が入ってしまう。ちゃんの大学の時間割を思い起こしながら、花を買いに行く日の夕方から受付不可の設定をしていく。今日はうまくいった。この日も一緒に帰れたらいいな。




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