02


 一人暮らしの家でお昼ご飯を食べてからアトリエを訪ねると、なんと教会の扉が全開だった。
 初めて休日に来てみたわくわくは門をくぐってすぐ目に入った建物の珍しい状態によって一瞬で吹き飛び、思わず目を丸くしてしまう。ここに顔を出すようになってもう一ヶ月が経つけれど、両開きの扉が無用心にも開けっ放しになっているのを見たのは初めてだ。今まで、サソリさんが中にいればいつも鍵は開いていたけれど、扉は常に閉まっていたはず。以前入った際に閉め切らずに少し開けたままにしたら、「ちゃんと閉めろ」と注意されたくらいだから間違いない。一ヶ月観察したり話したりしてわかってきた。サソリさんという男の人はかなりの神経質なのだ。自分が決めた通りにしておかないと気が済まない質なのだ。それは、自分のテリトリーに限った話ではあるけれど。
 だから、扉が全開なんてどういう風の吹き回しだろう。もしかしたら中にサソリさんはいないのかもしれない。いや、だとしたらそれこそちゃんと施錠するはずだ。中にはサソリさんの仕事道具や、サソリさんが作った人形がたくさん飾ってある。界隈で有名な人形師の製作物だ、どれも価値のあるものだろう――…


 ――物盗りか?!


 思い至った犯行にサッと血の気が引く。それから慌てて、教会へ駆け寄った。どうしよう、強盗、空き巣?サソリさんに何かあったらどうしよう…!頭の中では最悪の映像が流れる。教会でサソリさんが力なく倒れている。血を流し、今にも絶命してしまいそうな彼が、そんな、嫌だ…!


「サソリさん!」


 伸び放題の芝生の上を走り抜け、教会の開け放された出入り口で立ち止まる。中は明かりがついていた。荒らされた形跡はない。サソリさんは――いる。


「……あ?なんだ」
「いた…!」


 長椅子が並ぶ隣の仕事スペースで、背を向けて作業台に向かっていたサソリさんがこちらに振り返った。マスクをしていたらしく、人差し指を引っ掛けて下ろす。表情はいつもどおり鬱陶しそうにしかめられている。事件じゃなかった。少なくともアトリエに変事は起きてない。サソリさんは無事だ。急速に緊張がほどけ、ホッと胸をなでおろす。


「よかった〜…」
「…頭おかしいのに来てんじゃねえ。ますますラリっても知らねえぞ」
「へ?」


 サソリさんはぎゅっと眉間に皺を作るなり、下げたマスクを付け直して背を向けてしまった。ラリる?彼の言う意味がわからず首を傾げた、瞬間、理解した。……なんか変な匂いする。
 一度気付いてしまうとそこそこ強烈で、謎の匂いが教会内に充満しているようだった。過去に嗅いだ記憶があるような気もするけれど、回想するより先に原因を特定できたのでそうはしなかった。
 仕事スペースの手前、わたしとサソリさんの間に置かれたブルーシートの上に並んでいる人体のパーツだ。大きさは本当の人間程度で、物の多い教会内でも存在感が際立っている。木でできていると思われるそれらは照明の光をツルツルテカテカの表面で反射させていた。およそ木の材質には出せない光沢だ。きっと塗料を塗ってあるのだろう。
 つまりこの匂いは、塗料の匂いだ。塗布面積の広さのせいか使っている種類のせいなのか、学校で嗅いだより何倍も濃厚な匂いに感じる。
 匂いの正体がわかるとともに、不自然に全快した扉の理由も理解した。なんてことない、ただの換気だったのだ。見れば両側面の壁の窓も少し開いているではないか。数分前の動揺がまったくの早とちりだとわかり、安心したようながっかりしたような複雑な気持ちになってしまう。いやあ、何にもなくてよかったけれど。
 わたしが肩を落として一つ息をつくと、サソリさんは「そろそろいいか」と呟いたかと思えば席を立ち、こちらに歩み寄ってきた。目的がわたしとの間にある乾燥中の人体パーツであることは察せたので、わたしも近づく。気持ちばかり鼻を手で覆いながら。


「大きいですね。わたしと同じくらいじゃないですか?」
「そのくらいだな」
「でもこんなに大きな木の人形、どうするんですか?」
「音楽の動画に使うんだと。詳しく聞いたが忘れた」
「なるほど」


 深く頷く。まだパーツはバラバラに分かれているけれど、これが一つに組み立てられて人間の形になったら、どんな物語ができるだろう。性別不明の素朴な味わいにデフォルメされた顔立ちの人形は関節を調整したらどんな動きも表現できそうだ。依頼主はパラパラ漫画みたいな動画を作るんじゃないかな。どんな曲なんだろう。知りたいけど、そこらへんは契約上の守秘義務的なアレが絡んでくるよなあ。わたし部外者だからな、おそろしく。
 仕方がないので妄想するだけにとどめ、制作物のチェックを始めたサソリさんから離れて空いてる長椅子に腰掛けた。アトリエにお邪魔はするけれど、仕事の邪魔をしてはいけない。どんな距離感だったら怒られないか、さすがに一ヶ月通い詰めてればわかる。一ヶ月通い詰めても扉全開は初めてだったけれど。

 休憩にと買ってきたお菓子が入ったバッグに目を落とす。サソリさんの食生活は割と謎で、片手間に食べられる栄養食品ばかりかじってると思えば、冷蔵庫にはデパ地下のお惣菜が所狭しと入っていたりする。ここには冷蔵庫と電子レンジ以外のキッチン機器はないので、サソリさんは料理をしない人なんだろう。料理しなくても栄養が摂れていればいいと思うので、デパ地下のおいしいご飯を食べているならいい。残念ながらサソリさんがそういう食事を摂っているのは見たことがないので、冷蔵庫の中身を誰が消費しているのかは不明なのだけれど。
 お菓子、常温でも大丈夫だけど、忘れられないように冷蔵庫に入れとこうかな。思って立ち上がり、教会の奥へと足を進める。冷蔵庫は部屋の隅にあるコンセントの近くに鎮座しており、その隣の三段の棚には独特の配置で日用品が陳列されている。物は充実しており、サソリさんが住み着いているのがうかがえる。並べ方に規則性はなく、おそらくサソリさん流のこだわりがあるのだろうと思う。下手に触ったら怒られるに違いない。
 冷蔵庫にお菓子をしまい、同じ場所へ戻ると、サソリさんはしゃがんだままブルーシートの横に置いてあった塗料とハケをシートの上に並べていた。また塗るんだ、見たいな、と思いながら、斜め後ろから中腰になって覗き込む。


「何か手伝うことありますか?」
「ねえ。帰れ」
「冷たい…」


 相変わらずの門前払いによよよと泣き真似をするも華麗にスルーされる始末。一ヶ月、そりゃー毎日ではないけど、顔を合わせてきた仲なんだから少しくらいわたしのこと見てくれてもいいんじゃないか。「もう少しわたしに興味持ってくださいよー!」わたしはこんなにサソリさんに興味津々なのに!丸まった背中に当て付けるように言ってみる。
 絶対スルーだろうな、と思いきや、おもむろにサソリさんが振り向いた。マスクで顔半分が隠れているので表情はよくわからない。ただ、見上げた目と合った瞬間、胸が高鳴るのを感じた。


「……」
「え、えっと…」


 じっと見つめられてる。怠そうな目つきではあるけれど、なぜか目が逸らせないほど、真摯な眼差しのようだった。サソリさんは無言のまま立ち上がり、一歩わたしに詰め寄る。元から至近距離だったためたじろぎ、一歩後ずさるわたし。気のせいか、サソリさんの顔が近い。なんだ、わたし何か変なこと言った?!


「興味、ないこともない」


 ひゅっと息を吸う。心臓で弾けた熱が、一瞬で全身に伝染する。まるでつま先から脳天まで熱くなったように錯覚する。


「おまえの目玉は綺麗だから、パーツに欲しい……かもな」
「えっ?!」

「出た。旦那のヤバい性癖」


 えっ?!
 聞こえた声にぐるんっと振り返る。教会の入り口に、誰かが立っているではないか。第三者の存在を認知するなりわたしは咄嗟にサソリさんからぴょいっと離れ、二人に見えないように背を向けた。びっくりした…!そして知らない人に見られてた…!照れと恥ずかしさにどきばくする心臓に手を当て深呼吸する。一方、もう一人の当事者であるサソリさんは至って何でもないように、こちらに歩み寄ってくる男性に声をかけたようだった。


「どいつもこいつも暇だな」
「暇じゃねえっての。こちとら旦那が連絡サボるせいで仕方なく来てやってんだ…うん」
「あ?サボってねえだろ。ちゃんと二週間ごとに届いてるはずだ」
「予約送信の生存報告を信用するアホがどこにいんだ」


 二人の会話を耳にさりげなく振り返る。見知らぬ男の人は若く、明るい金色の長髪に一番に目が行った。目力も強くて、どこか日本人離れしている、というのが第一印象だった。サソリさんもいろんな意味で人目を惹く容姿なので、二人が並ぶと自分と違う世界の人みたいに見える。男の人の歳はわたしと近そうなのでサソリさんの方が上だろうけれど、どういう関係だろう。


「ふん…ほっといたってそう簡単に死にやしねえってのに、神経質だな」
「貸主に直接言えっての…うん。つか神経質なのはこんな誰も知らねえとこに隠れてる旦那の方だろ…って、そういやそいつ誰だ?」


「弟子でもとったのかい」思い出したように、金髪の男の人がわたしを指差した。目が合ったので名乗ろうとする、と、顔をしかめたサソリさんが「誰が。ただの不審者だ」などとのたまったではないか。ギョッと目を見開く。


「そんな風に思ってたんですか?!違いますよ!先月からお邪魔するようになったです。見学させてもらってます」
「ふうん。オイラはデイダラ。超有名花火師だ。よーく覚えとけよ」


 ドヤ顔で自画自賛な自己紹介するデイダラさん。本当に名の知れた花火師なのかは存じあげないけれど、そもそも花火師の名前は誰一人として知らないので彼の凄さはよくわからなかった。花火といえばこの近くでも毎年河川敷の花火大会が開催されるけれど、関係者だったりするのだろうか。
 何はともあれ、年頃の珍しい職業の人に出会ったことの貴重さに素直に感嘆していると、そばでサソリさんがフンと鼻で笑ったようだった。


「超有名犯罪者の間違いだろ」
「えっ?」
「……おい」
「ああ、おまえが違法に爆発物作ってるって知ってんの俺だけだったな。つい口が滑っちまったぜ」
「悪意しかねえだろ…うん」


 これがほんとの爆弾発言、と言わんばかりの問題発言をしたサソリさんをジト目で睨むデイダラさん。犯罪、爆発物……よろしくないことの匂いがプンプンするぞ。思わず顔が引きつってしまう。
 ……いや、デイダラさんの正体も気になることは気になるけど、それよりも彼がくる前にサソリさんが言った台詞、あれどういう意味だろう。なんだかすごいこと言われたと思うんだけど、サソリさんは全然気にしてないから、大したことじゃないのかな。わたしなんて今思い出してもどきどきしてしまうのに。




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