宿題は特にない、よね。よし。明日の支度を終え、ごろんとベッドに寝転がる。それから枕元に置いておいた携帯を手に取って、やりとりしていた紅子ちゃんへの返信をした。まだ夜の八時だし、お風呂に入ったあとだからほかほかでいい気持ちだ。でも今日は見たいテレビもないからちょっと退屈だなあ。寝返りを打ってうつ伏せになる。今日は早く寝ようかな、紅子ちゃんは早寝早起きが習慣になってそうだ。でも夜中の美しい雰囲気も似合うし、決め難いな。よし聞いてみよう、とキーボードをフリックした瞬間、バイブレーションと共に別の画面が浮き上がった。電話だ。驚いて一時停止するも、その発信者の名前を見て飛び起きた。「白馬くん?!」
 急いで通話ボタンを押し、耳に当てる。「もしもし、」『もしもし。今大丈夫ですか?』……はくばくん、だ。


「うん!平気だよ!」
『夜遅くにすみません。部屋にいますよね?』
「え、うん、」
『少しベランダに出ていただけませんか?』


「えっ」まさか、と思った。すぐさま窓を開けベランダに出る。胸の辺りまである柵から身を乗り出して下を見ると、なんと家の前の道路に、白馬くんがいたのだ。彼は携帯を耳に当てながらこちらを見上げ、手を振っている。


「白馬くん……」
「こんばんは、さん」
「こんばんは!」


 携帯から耳を離すと生の白馬くんの声が聞こえる。久しぶりだ。例の晩餐会のために今日戻ってくるのは聞いてたけど、案の定とんぼ返りだと言ってすごく忙しそうだったから会うのは諦めていたのだ。なのにまさか家に来てくれるなんて。通りすがっただけだとしてもものすごく嬉しい。家の場所は、何度か送ってくれたことがあったからきっと覚えててくれたんだろう。


「待って、今降りるね、」
「いえ、そこで大丈夫ですよ。お身体が冷えてしまいます」
「でも……」
「すぐにロンドンへ戻らないといけないので。その前にどうしても一度、さんの顔が見たかったんです」


 そんなことを言われてはどきどきせざるを得ない。嬉しい。白馬くんがわたしのために時間を割いて会いに来てくれたのが嬉しかった。きっかけこそわたしが一方的に興味を持って一方的に友達になりたかったことだったけど、今は白馬くんもわたしをそういう風に思ってくれているんじゃないか。自惚れでも思ってしまう。せり上がってくる感動に目を潤ませながら、何か、何か話そうと頭を回転させた。


「ありがとう!……は、白馬くん、晩餐会はどうだった?」
「なかなかにスリリングでいい経験ができましたよ。ただ、キッドにはまたも逃げられてしまいましたが」
「え?!キッドがいたの?!」


 ええ、と少し遣る瀬なさそうに頷いた白馬くんに言いたいことや聞きたいことはまだまだたくさんあったけれど、近くに止まっていた車の運転手であるばあやさんに声をかけられたらしく、白馬くんは「では、また連絡しますね」と片手をあげて別れの挨拶をした。思わず背伸びで身を乗り出し呼び止める。


「白馬くん!」
「はい、」
「あ……わた、わたしも白馬くんの顔見れてよかった!お仕事がんばってね!」


 精一杯の感謝と激励を伝えると、その言葉に白馬くんは確かに嬉しそうに笑ってくれるので、わたしも嬉しくなるのだ。


「ありがとうございます。おやすみなさい、さん」


 そう言って車に乗り込んだ白馬くんが遠ざかっていくのを、わたしは見えなくなるまで眺めていた。


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