無人島にいる(と思われる)三人の携帯は揃って圏外だった。わたしの携帯には白馬くんへの不在発信だけが連なっている。港では漁師さんたちに毛利さんが片っ端から問い詰め無人島へ連れて行った船長を探しているが、一時間半経った今でも依然特定できていなかった。そんなに人数もいない漁師さんたちの中で見つからないということは、目的の人物はもうここにはいないのかもしれない。だとすると、無人島へ行く手段はもはや残されていない。ううんわたしたちが行くとかよりも、白馬くんたちが帰ってくる手段がそれだけなのだ。携帯を胸の前でぎゅうと握り締める。もう十時だ。無人島でもなんでもいい、無事なら何でもいいから、白馬くん……。


「ねえ蘭ちゃん、」


 和葉ちゃんが蘭ちゃんに声を掛けていた。つられて彼女を見る。「平次の言うてた、ここに在り、っていうのは、もしかして…!」自信なさげに、すがるように言う和葉ちゃんはしかし、何かに気付いたようだった。


「帽子、平次の帽子、何やヒントになってるんちゃう?!」
「帽子?」
「ほら、船に乗るとき言うてたやん、服部平次ここに在り!って、帽子見せて……あれ、平次が乗った船の目印ってことなんかも…!」


 言うなり和葉ちゃんは泊まっている近くの船に乗り込んだ。多分、服部くんの帽子を探しているのだろう。最初は当惑していた蘭ちゃんもひらめいたようにそっか!と手を叩き、和葉ちゃんの隣の船に足を踏み入れた。「え、あの、」急展開について行けないわたしは二人を交互に見ておろおろしていたけれど、数秒かかってやっと、わたしもその服部くんの帽子を探したほうがいいのだろうとの思考をまとめることができた。和葉ちゃんに駆け寄り波止場から声をかける。


「和葉ちゃん、服部くんの帽子ってどんなの?!」
「白地に黒いツバのキャップ!正面にSAXってマーク入っとる!」
「わかった!」


 そう返し蘭ちゃんの隣の船に乗り込む。ここ一帯の船の持ち主は今まとめて毛利さんの尋問に掛けられている。普通だったら何の了解もなしに他人の所有物に上がるのはまずいことだろうけれど、今は非常事態だ。四の五言ってる場合じゃない。
 えっと、まずは……。戸惑いつつ、屋根のある操舵室に入ってみる。漁船のここはそう広くもなく、帽子があるとしたらすぐにわかりそうだった。しかし如何せん外が暗すぎる。明かりといえば港の近くに並ぶ街灯くらいで、視界はこれでもかというほど悪い。目が慣れるにも今度は街灯のせいで迷惑な陰ができていて、目を凝らさないとそこに何があるのかわからなかった。きょろきょろ見回してみる。何もなさそうだ。
 いやでも、こんなところに帽子なんてあったら船長さんがすぐ気付くんじゃ…?でも今ここにいる漁師さんたちは何も言っていない。ということはやっぱり、三人を乗せた船の持ち主はここにいないのでは。いや、でも、もしかしたら服部くんの帽子を見つけた持ち主がわざと黙ってるんじゃ……だとしたら探したところで見つかりっこないし、わたしたちは毛利さんの尋問に期待するしかない。
 あ、あとこういう考え方もできる。まだ服部くんの帽子が見つけられていない、という仮定だ。そうなると服部くんは自分の乗った船にこれ見よがしの目印を置いていないことになる。……隠してある、のかも。
 その可能性が一番高い、とかではなく、そうであってほしいという願望だった。わたしは膝をつき、船内を念入りに調べた。ときには実際に手を伸ばし、ロープだったり網だったりするのを確かめる。しかし船というなかなか縁のない乗り物のどこに何を隠せるのかいまいちわからず、文字通り手当たり次第触ってみたあとは船内とは限らないんじゃないかと思い至り、すぐに立ち上がってデッキに出た。左隣の船には移動したらしい和葉ちゃんの姿があった。彼女もデッキを探しているらしい。けれど予想してた通り、開けたここは船内以上に隠し場所というのはなさそうだった。網の塊の中に、と思い探ってみるもそんな感じもなく、わたしは最早ここの船じゃないとの結論に至りながらも一応と思い舳先まで来た。わたしの動きに合わせてゆったりと船が揺れる。それだけで、特に収穫はないようだ。遠くの海を見るも暗闇しか広がっていない。一寸先は闇とはこのことを言うのか、闇の向こうに無人島はあるというのに。
 不安は募る一方だ。早く目的の船を見つけないと。思いながら踵を返した、とき。一瞬視界に何かが入った。ん?何か変な…?ゆっくりと振り返る。そして、正面に戻る前にピタリと止まる。目を見開いた。「か、かずっ…」思わず出た声は息が足りず、すうっと吸い込む。


「和葉ちゃん!……そと!船の外!!」
「え?」
「そこ!付いてる!」


 指差す先は和葉ちゃんのいる船の舳先だ。柵の鉄柱にロープか何かで船の外側に帽子らしきものが括り付けられているのだ。和葉ちゃんが駆け寄り、柵から身を乗り出してそれを確認する。「! 平次のや!」ここからでは色ははっきりしないけれど、あんなところに普通帽子は括り付けないし、何より和葉ちゃんがそう言っているのだから間違いない。右隣の船にいた蘭ちゃんへも届いたらしく、デッキに出て「あったの?!」と声を上げた。


「あったで!この船や!ちゃん、おおきに!」
「う、ううん!」


 順番やタイミング的にこの船を探した人なら誰でも見つけられる場所にあった。船の位置関係的に、並んでいるすぐ隣の船しか舳先を確認することはできない。その船のデッキから見えるのは帽子を括り付けているロープだけだし、確実に横の船からの方が発見しやすかっただろう。それより、こんなことになるなんてわからなかったはずなのに機転を利かせていた服部くんと、意図に気がついた和葉ちゃんがすごすぎる。
 その和葉ちゃんは勢いにさらにエンジンがかかったらしく、帽子をそのままに船を降りた。わたしと蘭ちゃんもあとに続く。


「この船誰ん?!」


 なんと彼女は毛利さんが捕まえていた漁師さんたちの元に直接乗り込んだのだ。確かにそれが一番早いし、今取るべきはその行動だけど、すごいなあ…。その行動力と度胸は見習うべきだと思った。「そりゃあ…こいつのだよ」漁師の何人かが揃って同じ人を指差す。本人は明らかにぎょっとしていた。


「おじさん、平次たち連れてったのその人!」
「何だって?!」


 それからは見ているだけだった。シラを切る船長にしびれを切らした毛利さんが彼の右腕を取り、それから背負い投げのように勢いよく投げ飛ばしたのだ。あとで聞いたところによると、一本背負いらしい。毛利さんは柔道の達人なのだそうだ。「わかりました!わかりました!俺が連れて行きました!」計六回のそれを受けた船長は満身創痍となってようやく認めたようだった。


「よし、今すぐ船を出せ!無人島まで連れて行け!」
「い、今からですか…?」
「たりめーだろうが!早くしろ!」
「ひいっ!」


 強引に出航にこぎつけた毛利さんに心の中で拍手をする。やったね、とホッと息をつく蘭ちゃんたちと一緒に頷いた。

 船酔い待ったなしと思われたわたしだけれど、波も低くデッキに出て進行方向をずっと見ていたおかげで酔いは回ってこなかった。柵に寄り掛かりじっと目を凝らす。無人島の影はぼんやりと肉眼で捉えられるところまで来ていた。明かりのようなものもうっすらと見える。「平次ィ〜〜!!」大声で呼ぶ和葉ちゃんに倣って白馬くんを呼ぶ。隣で、双眼鏡を覗く蘭ちゃんがあっと声を上げた。


「いたよ!服部くんとコナンくん!白馬くんも!」
「ホンマ?!平次ィ〜〜!!」


 一変して和葉ちゃんの嬉しそうな気持ちが声に表れる。それが伝わりわたしも一層嬉しくなる。可愛いなあ、はっきりとは言ってなかったけど、きっと和葉ちゃんは服部くんのことがすきなのだろう。彼のことを話す和葉ちゃんを見ていたらなんとなくわかった。

 やがて船着場のような場所に白馬くんたちの姿を捉え、ようやく心の底からホッと息をつくことができた。「白馬くーーん!」最後に大声で叫び、大きく手を振る。わたしに気がついたからなのか、白馬くんは目を丸くして驚いているようだった。あの色黒で学ランの男の子が服部くんだろう。小学生くらいの子がコナンくんで、あ、女の子の探偵さんもいるのか。緑のジャンパーの人が例の偽ディレクターさんで、あのおじいさんも偽のテレビ局の人だろうか。なんとなくそう考えながら、船が止まるのを待った。


「平次!よかったあ〜」
「おう、よお気ィついたな」


 無人島にいた五人がぞろぞろと船に乗り込む。わたしの駆け寄る先はもちろん、白馬くんだ。というより今回は向こうが先に来てくれた。


さん!なぜここに…」
「あの、お見送りに行こうと思ったんだけど、丁度船が出発しちゃって…」


 すぐに船が出てからもわたしたちはデッキに残り、夜の潮風に当たりながら事の経緯を話していた。なんでも白馬くんは朝の九時ごろはすでに無人島に来ていたらしく、わたしが見送り損ねた船にはそもそも乗船していなかったらしい。なるほど、お昼のメールの返信がいつまでも来ないと思ったらそういうことか。もう圏外の場所にいたのなら気付けなくて当然だ。申し訳なさそうに謝る白馬くんに首を振る。思いつきで行動したのはわたしだし、今回大変な目に遭ったのは白馬くんのほうだ。それにわたしは不謹慎にも、今日だけで新しいお友達ができたことを素直に喜んでいた。
 あの女子高校生探偵さんのお話も聞きたいな、と思ったけれど、彼女は服部くんと毛利さんと一緒に船内に入ってしまって今は姿が見えなかった。服部くんはついさっき出てきて、今は舳先で帽子を手に持ちながら和葉ちゃんと何やら言い争いをしているようだった。蘭ちゃんはコナンくんと海を眺めている。そうだ、蘭ちゃんといえば、港にいたとき工藤くんにも連絡してみたら圏外だったらしい。だから彼も無人島にいるんじゃないかとの可能性もあったのだけれど、どうやら違ったようだ。


「ねえ白馬くん、一人足りないけど、南か北の探偵さんは来なかったの?」
「え?ええ、まあ……そんなところです」


 曖昧に笑う白馬くんに、何か訳ありかなと思いつつ詮索するのは控えた。今は話したくなさそうなのが伝わってきたからだ。そっかとだけ返し、海を眺める。そもそも、白馬くんたちがどうしてあんな無人島に連れて行かれたのか、まだ謎のままだ。無事で何よりだとは思うけど、知りたい。明日聞けるかなあ。「ぎゃーぎゃー言うなや!感謝してますー言うとるやろ!」「ぜんっぜん思てへんやろ!あたしが気ィつかんでちゃんが見つけんかったら助からんかったかもしれねんで?!」一層騒がしくなった関西二人組の声に振り返る。さすが大阪人、といっていいのだろうか、元気だ。丁度目が合った和葉ちゃんに「なあー?」と同意を求められ、苦笑いをする。


「和葉ちゃん名推理だったよ」
「おおきにー!…ほら見てみい」
「ハイハイ。おおきにー」
「もー…」


 そっけない態度の服部くんと腕を組み頬を膨らませた和葉ちゃんを、お似合いだなあと微笑ましく思う。「彼女は?」「服部くんの幼なじみだって」耳打ちした白馬くんにそう答えると、彼は意外だとでもいうかのように目を丸くした。


「服部くんも関西じゃ有名な探偵さんなんだってね、知ってた?」
「ええ、父から聞かされていたので。もっとも、今日一日で印象はとことん変わりましたが」
「え?」
「でもまあ、悔しいですが……今回は彼のお手柄です」


 どういう意味だろう?白馬くんを見上げながら首を傾げる。無人島で一体何があったんだろう、やっぱり明日ちゃんと聞こう。今日は疲れてしまった。大したことはしてないけど、ここは一つ、気疲れということにしてほしい。
 ところで。今日会ってからずっと気になっていたことがあった。


「白馬くんいい匂いするね」
「? 匂い?」
「うん、何だろう…」


 白馬くんはわたしと反対の腕を曲げ袖口を嗅いだ。結構馴染みのあるその匂いはさっきからずっと、ほのかに白馬くんから香っていた。割とすきな匂いなんだけど、なんだっけなあ…。確かめようと、白馬くんのジャケットの肩口に鼻を近づけた。「もしかして、ラベンダーでしょうか」「それだ!」合点がいきパッと顔を上げる。

 思ったより顔が近かった。


「ご、ごめん……」
「いえ…」


 すぐさまサッと逸らし、胸の動悸を静めることに心血を注ぐ。びっくりした……。嫌な態度になってないといいけど、と心配しつつ、今は白馬くんの顔を見れそうもなかったので、心の中で謝ることしかできなかった。



「なんや、あの二人、ただの友達やないねんなー」


 和葉ちゃんの呟きは、きっと服部くんにしか聞こえていなかっただろう。心臓が落ち着く頃に隣を見上げてみると、白馬くんは海を眺めながら、穏やかに笑みを浮かべていた。


3│top│探偵甲子園 おわり