演技のスタート地点であるゲレンデの上方には滑走順の若いペアが何組かいた。後半の人たちは下のゴール地点で鑑賞側に回っているのだろう。ここからじゃ見えないそこには多分、紅子ちゃんや黒羽くんもいる。夕暮れどきのこの時間ではライトアップされたその場所はぼんやりと明るく光っていた。
 そろそろ先頭のペアが滑り出す頃だろう。思って顔を上げた先には、スタート地点に並ぶ不思議の国のアリスのような衣装に身を包んだ恵子ちゃんがいた。確か彼女が一番だったはず、と思った瞬間、隣の男子がそっくり同じ衣装を着ているのに気付き固まった。すごい、そのガッツ褒め称えたい。先生のアナウンスで、ストックも持たず滑り降りて行った二人を呆然と眺めていた。


さん、寒くはないですか?」
「あ、うん。大丈夫だよー」


 隣の白馬くんの気遣いにハッとして頷く。彼に比べたらわたしの衣装は薄着かもしれないけれど、寒さはそこまで感じていなかった。よかったと微笑む白馬くんに笑い返し、「それより変なところないかな?」背中を見るように身体をひねる。あまり着慣れない服だから不安だ。


「大丈夫ですよ。よく似合ってます」
「あはは、白馬くんうまいなー」
「お世辞じゃありませんよ」


「さて、もうすぐですね」気付くと二番目のペアが滑り出したところだった。白馬くんにそっと背中を支えられ、身体を固くする。頷き、スタート地点へザクザクと進んで行った。


『エントリーナンバー3番!シャーロック・ホームズとアイリーン・アドラー!』


 アナウンスがされた途端緊張で浮き足立つ。練習した通り滑れば大丈夫、練習した通り…。思うように動かない身体を叱咤しながらストックで蹴り出した。
さん」練習のときよりもゆっくりとしたペースで滑り降りていると、隣の白馬くんに呼ばれた。こわごわと顔を上げる。すると、左のストックを持つ手が、彼の右手によって包まれた。繋がった手から白馬くんの優しさが伝わってくるようだった。それにホッとして、雪の上を滑り降りて行く。下ではクラスメイトが盛り上げてくれているのがわかる。


『さすがは白馬探!華麗なるエスコート、これぞカップルの鑑よ〜!』


 クラスメイトの声援と先生の実況に背中を押され、なんとか無事にゴールまで辿り着くことができた。拍手に迎えられ安堵の溜め息を漏らす。よし、止まろう。
 そう思った瞬間こけた。「わぶっ」「、うわっ」しっかりとわたしの手を掴んでいた白馬くんも引っ張られるようにこけてしまい、わたしは思いっきり雪にダイブし、彼は尻餅をついた。それでクラスメイトは更に楽しそうに笑ったようだった。……やってしまった。彼のこける原因がまさか自分になるとは思っておらず申し訳なさに襲われる。「ご、ごめん白馬くん…」「いいえ、大丈夫ですよ」けれど白馬くんはどうしてだか楽しそうにクスクスと笑っていたので、わたしも眉をハの字にして力なく笑ったのだった。

『5点、10点、4点、10点!…29点!』白馬くんに手を引かれながら立ち上がると、先生のアナウンスが耳に届いた。思ったより高得点だぞと思い審査員の掲げた得点を見ると、満点を挙げているのは女の人と端の男の人だった。人前で盛大にこけた恥は薄れ、ふむ、とわたしは推理する。女の人のはかっこよかった白馬くん点で、男の人はシャーロックホームズのファンか何かなんだろう。衣装決めの際、ホームズの衣装を見つけたわたしは自分はワトソンくんになると提案したのだけれど、白馬くんにアイリーン・アドラーになってほしいと言われたのだ。シャーロックホームズに出てくるオペラ歌手であることしか説明されなかったし、聞いたことのないキャラクターだったので知名度的にどうなんだろうと思いつつ、ワトソンくんがどんな服装なのか知らなかったのと「男女の方が絵面もいいでしょう」と白馬くんが言ったのもあって頷いたのだった。そうしたらまさかの舞台衣装のようなドレスになってしまったのでうろたえていたのである。
 多分わたしがワトソンくんでも結果は変わらなかっただろうなと軽い虚無感に襲われ苦笑いをし、次のペアのためにゴール地点から離れた。仮装したクラスメイトの中に混ざると、すぐさま紅子ちゃんが駆け寄って来てくれた。大きな丸い着ぐるみの腕を引いて。


、よく似合ってるじゃない。スキーも本当に上手くなったわね」
「ありがとう紅子ちゃん〜…。ところで、その横にいるのってもしかして…」
「ええ、黒羽くんよ?」


 やっぱり。本当に顔が隠れる着ぐるみになったんだ。紅子ちゃんがこんな素敵な衣装なんだから黒羽くんもウケを狙わないで王子様みたいな衣装にすればよかったのに。意味もなく彼のまん丸のお腹を軽くグーでパンチしてみると、「おいやめろって!」とくぐもった声が聞こえたあと、黒羽くんは頭の着ぐるみを取った。なかなかにシュールな絵面である。


「今回もお得意のマジックかい?」
「…ほっとけっての」
「がんばってね二人とも!」
「ええ、ありがとう。それじゃあ黒羽くん、行きましょう?」
「おーってオイ引っ張んなって!」


 黒羽くんの腕を引きリフトへ向かう彼らの順番は後ろから二番目らしい。楽しみだなあと思いながら二人を見送っていると、肩にふっと何かが乗っかった。そちらを見るとなんと、白馬くんの着ていたコートが肩に掛けられているではないか。「出番も終わりましたし、羽織っていてください」「あ、ありがとう…!」どこまでも紳士なんだなあ。彼に出会って幾度となく受けた感銘を心にとどめるように、コートを前で合わせた。


「それからお聞きしたいのですが」
「なに?」
「紅子さんは、黒羽くんのことがすきなんですか?」
「え。…あ、……うん…」


 あそこまでオープンだったらそりゃー鋭い白馬くんも気付いちゃうよね!完全に失念してた、上手い誤魔化しまるで思いつかなくて頷いてしまったごめん紅子ちゃん…!心の中で紅子ちゃんへ両手を合わせ平謝りをする。誰にも言うなとは言われてないけど彼女自身が誰にも言ってないのだからペラペラしゃべっていいものじゃないはずだ。しかしここまで来てしまったのだからどうしようもない、あとで紅子ちゃんに謝ろう…。
 やはりそうですか、とどこか複雑そうな白馬くんの真意にはまるで気付かず、わたしは内心気を重くしながら次々ゴールしてくるペアの演技を見ていたのだった。


『エントリーナンバー18番!雪の女王と雪男!』


 紅子ちゃんだ!ハッとして顔を上げる。彼女の衣装が雪の女王というのは聞いていたからすぐにわかった。けれど、黒羽くんのあれは雪男だったのか。重くなっていた気分はバーンとどこかへ吹っ飛び、よく見ようと人だかりをかき分けて前へ進んだ。「さん?」「白馬くん来て来て!」伊達に男子のバリケードを何度もかき分けてない。ぐいぐいと進むわたしに続いて白馬くんも最前列に並ぶと、程なくして上方から滑り降りてきた紅子ちゃんと、彼女の腕に捕まった黒羽くんが華麗にゴールした。周囲の歓声に紅子ちゃんが手を振る。「紅子ちゃーん!」「さすがです紅子さまー!」「くそ雪男羨ましいー!」「なぜ俺とでなく〜」主にわたしと男子の声で会場は大盛り上がりである。


「……黒羽くん?」


 キャーキャー騒ぐわたしの隣で眉をひそめた白馬くんに気付いたのとほとんど同時に、先生のアナウンスで最高得点の39点が叩き出されたことを知った。
 着ぐるみの黒羽くんと嬉しそうに戻ってきた紅子ちゃんを迎える。「おつかれさま紅子ちゃん!綺麗だったよ!」「ホホ…ありがとう」上品に口を隠して笑う紅子ちゃんの腕は黒羽くんと組まれている。すごくいい感じだ。この大会を通して二人の距離がこんなに縮まるなんて!サプライズが発表されたときはふざけるなと思ったけど、ありがとう先生!両手を組んで感動していると、隣の白馬くんは依然顔をしかめたまま「失礼」と言って突然黒羽くんの着ぐるみの頭部に手を掛けた。そのまま勢い良く引っこ抜かれる。
 白馬くんの行動にもぎょっとしたけれど、着ぐるみの下にあった顔にも目が飛び出るくらい驚いた。「藤江くん…?!」


「やはり…先程会った彼と背丈が違うと思いましたよ」
「え、え、紅子ちゃん、なんで?!」
「いいのよ、今回藤江くんと滑れてとてもよかったわ。ねえ藤江くん?」
「紅子さま…!」


 待って待って待って!いいの?!この短時間に何があったの?!一人目を白黒させてしまう。紅子ちゃんは藤江くんと満足そうに笑ってるし、白馬くんも顎に手を当てて「まあ、黒羽くんをすきになる女性の気持ちがわからなかったといえばそうですが…」とかまたもや神妙に呟いてるし、ちょっと事態が飲み込めないよ!『エントリーナンバー19番!怪盗キッドと中森王女!』そうこうしてるうちに最終滑走ペアがアナウンスされる。残るは青子ちゃんと……青子ちゃんと……、


「「怪盗キッド?!」」


 二人の声が綺麗にハモる。紅子ちゃんと白馬くんだ。突如コースを示すかのように雪の中からライトが光りだす。「快斗だ!快斗のマジックだ!」誰となく声が上がる。……最終滑走のペアは、青子ちゃんと、黒羽くんだ。
 怪盗キッドに扮した黒羽くんが純白のドレスに身を包んだ青子ちゃんをお姫様抱っこで滑り降りてくる。上級者の彼らしい宙返りも決めてゴールした姿は誰よりも鮮やかだった。ぼんやりと、けれど心臓はじくじくと痛みを感じながら、二人が満点を獲得し優勝を決めたシーンを見ていた。……紅子ちゃん、ほんとにいいの…。


「や、やられた…」
「紅子ちゃん?!」


 紅子ちゃんが項垂れるようにへたり込む。な、なんだ、やっぱり残念だったのかあ。気持ちが変わってないことに喜ぶべきなのか彼女の災難を嘆くべきなのかわからず慰めるように背中に手を置くと、そこにハートのワッペンが貼られているのに気がついた。これ、どこかで…?首を傾げる後ろでは「この僕の前で堂々と姿を現すとは、さすがは怪盗キッド…」白馬くんが不敵に笑っていた。



◇◇



 みんながジャージに着替え終わり、ロビーはクラスメイトで大混雑だった。バスの誘導が始まるまでまだしばらく時間はありそうだ。
 トイレに行ったわたしがロビーに戻ると、タイミングを見計らったように男子数人が目の前に立ちはだかった。え、とびっくりしたものの、顔ぶれには見覚えがあったのですぐに持ち直せた。


ありがとう!おまえのおかげでプレゼント、紅子さますごく喜んでくれたぜ」
「そっか!それならよかったー」


 何を隠そう、彼らはわたしに、紅子ちゃんにあげるクリスマスプレゼントについてアドバイスを受けていた人たちである。具体的に何をあげろとは言っていないけど、彼女の好みなどをリサーチして伝えていたのだ。もちろん紅子ちゃんには内緒だ。紅子ちゃんが喜ぶものをプレゼントしたいという彼らの気持ちに共感して協力を承諾したのだ。そして、


「やっぱり紅子さまの親友のに頼んで正解だったよ、ありがとう!」
「! こちらこそ!」


 何と言ってもこの台詞に落とされたのだろう。紅子ちゃんの親友と言ってもらえたのが嬉しかったのだ。じゃあなと手を振って去って行く男子たちに振り返し、にこにこしながら紅子ちゃんの元へ戻る。さっきまでわたしは白馬くんと紅子ちゃんと写真を撮ったり、彼女のもらったプレゼントのお店広げを眺めていたのだ。トイレに立ったあとも二人は様々なプレゼントに囲まれたカラフルな一画に腰を下ろしており、そこに混ざるようにわたしも座り込んだ。


さん、今の方たちは?」
「え?ああ、えっとね…」


 どうやら話しているのを見られてしまったようだ。首を傾げる彼にどう説明したものかと逡巡する。幸い紅子ちゃんはぺたんと正座を崩して反対側のプレゼントを開けているところだったので、こそこそ話でクリスマスプレゼント作戦を説明することができた。口を隠すように手を当てると意図に気付いた白馬くんが耳を寄せてくれる。話が終わるとすぐに離れ、なるほど、と白馬くんははにかんだ。またもやホッとしたように見えるのは気のせいだろうか。
 ……そういえば、わたしも聞きたいことがあったんだ。あのあと白馬くんとペアを組めることになってすっかり忘れていたけれど、思い出すと心臓がジリジリと痛む。この感覚は嫌だ。


「ね、ねえ白馬くん。午前中、白馬くん女の子と滑ってたって友達が言ってたんだけど、ほんと?」
「え?いえ……あ、もしかして一緒に滑っていた人の恋人のことでしょうか。近くにいましたから」
「…あ、そうなんだ!」


 なんだ、誤解だったのか。ホッと胸を撫で下ろす。最後に深呼吸をすれば、痛みはすっかり消え去っていた。「お互いさまみたいですね」そう呟いた白馬くんを見上げると、彼は目を細めてとっても優しい笑みを浮かべていた。


「見て、ほら」


 紅子ちゃんに呼ばれ振り向くと、彼女は嬉しそうにくまのぬいぐるみを抱きかかえていた。「えー可愛い!」ピンク色のそれは綺麗な紅子ちゃんの笑顔にとってもよく似合っていた。表彰式のときはどうなるかと思ったけれど、紅子ちゃんが元気になったみたいで本当によかった。
 差し出されたくまのぬいぐるみを抱きかかえる。ふわふわの生地で抱き心地は抜群だった。ぬいぐるみの案は一度も出なかったから、相談を受けた人たちからのではないだろう。きっとあの人たちも、わたしの力なんてなくたって彼女の喜ぶものをプレゼントできただろう。わたしがほしい言葉をもらって得をしただけだったかな、と自嘲気味に笑った。


「紅子さん、これは…?」
「ああ…私の手作りフィギュアって、藤江くんが」
「手作り?」


 そう話す二人の視線の先を追う。そこには箱の上にちょこんと、手乗りサイズの女の子のフィギュアが乗っていた。ぬいぐるみを抱きかかえたままそれをじっと覗き込む。片方の腕をピンと伸ばし天井を指差すポージングで笑うその子は、確かに紅子ちゃんそっくりだ。か、可愛い〜!もっと近くで見るため手を伸ばし、顔の近くまで持ってくる。


「ほんとに紅子ちゃんだ〜〜…」
「ほ、ホホ…」
「え〜すごい、いいなあ〜…!可愛い〜」


 溜め息が出るほど可愛い。手作りとはにわかに信じがたいクオリティだ。わたしも欲しいくらいだよ、今度藤江くんに頼んでみようかなあ…。
 うっとりと眺める。微笑ましそうに笑う白馬くんと苦笑いの紅子ちゃん。それから彼女のいくつものプレゼントに囲まれ、わたしのクリスマスイブは幸せに過ぎていくのだった。


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