わたしたち、おかしいくらい失恋の歌がよく似合う。 特に、ずっとすきだった人とお別れする女の人の歌が合う。相手からもらったたくさんの嬉しい言葉や行為を心に留めて、大切にしていた人が、今もすきなのに、別れることになってしまう。そういうのがぴったりだと思う。心をさらわれ、悲しくなって、動けなくなる。一彰はそういうことを、考えたりしないのだろうか。 [一緒に帰ろう] 最終戦である夜の部を終え、ミーティングが終わった頃。帰りの支度をしている最中に届いたメッセージに思わずじわりと涙が滲んだのは、遣る瀬ないとか、全然わかってないだなんて気持ちではなく、なんというか、そう、嬉しかったからだ。透明なマニキュアみたいにクリアな感情に、唇を噛んで堪えて、すぐそばでチームメイトが再ブームのトランプの話をしているのを、耳には入れているけれど、会話には混ざらず、画面をじっくり見つめていた。 送り主の王子一彰の文字に間違いはない。一彰が帰りの約束を持ちかけてくれている。平静を装いながら、なんてことない態度でキーボードをフリックする。困惑はすれど、拒絶するはずがない。短い了承の返事に、一彰は帰れるようになったら迎えに行くから連絡をくれとの返信を寄越した。加えて、今は作戦室にいるからとの情報も。テーブルに置かれたデジタル時計に目を遣り、十九時半が表示されているのを確認する。今日は夏休み最後の日でもあった。早く帰ってゆっくりお風呂に浸かって、一ヶ月ぶりの登校に備えるつもりだった。 携帯に目を落とす。それから、お財布とハンカチくらいしか入っていないカバンを肩にかけ、チームメイトにあいさつをして作戦室を飛び出した。 [ちょうど出たところだからそっち行くよ]送り、駆け足で一彰の作戦室へ向かう。知り合いじゃない隊員とすれ違っても構わず走る。じわじわと、目の奥が熱くなる。 一彰、わたしたち二人には、思っていたほど、確固たる何かがあるわけじゃなかったね。だからこそ、こんな些細なことが、わたしにとってどれほど重要なことなのか、いったい誰ならわかってくれるだろう。 一彰の作戦室に着くと、今日は入り口のシャッターは閉じていた。涙は今にもこぼれ落ちそうだった。開けてもらおうと、脇のパネルにトリガーをかざそうとする、前に、ハンカチを目に押し当てて涙を拭った。変に勘違いされたら困る。本心を見抜かれても、恥ずかしい。ともかく眼球を覆っていた涙は染み込ませたので、大丈夫ということにして、気を取り直してパネルを介して合図を送る。すぐに応じられ、入り口が開く。 「早かったね。ランク戦お疲れさま」 「うん、ありがとう。一彰もお疲れさま」 出迎えてくれた一彰にぎこちない笑顔でお礼と労いの言葉を言う。一彰も帰る支度はできていたらしく、生身の私服姿で、手にしたトートバッグを肩にかけて部屋を出た。電気を消したあたり、一彰が最後だったようだ。彼のチームの試合は昼に終わっているので変なことではない。 「連絡くれたら迎えに行ったのに。疲れてない?」 「あ、うん……」 通路を歩きながら頭を掻く。普段なら、そうしていたかもしれない。今までは急ぎたい理由もなかったから。 でも今のわたしは、一刻も早く一彰の元に駆けつけたかった。誠意を見せたかった。約束を守る人だと思われたかった。そうそう破らない、一彰の期待に足る人間だと証明したかった。一度破ってしまったからなおのこと。だから、一彰が変わらずわたしに約束を持ちかけてくれたことが、嬉しくてたまらなかった。 「もしかして、ぼくが誘ったから?」 「!」 見事に察せられてカッと頬が火照る。走ってきて上がった動悸とは別に心臓が高鳴る。一彰を凝視するも言葉が出てこない。正直に肯定すべきだと頭では判断しているのに、照れや恥で、そうできない。 一彰の表情は、申し訳ないとか、哀れんでいるような、あまりいい面持ちではないように見えた。もしかしたらわたしはこの先ずっと、一彰にこういう顔をさせ続けるのかもしれない。そんな予感に襲われ、きゅっと口を噤む。すぐに、一彰が立ち止まり、同じく止まったわたしも向き合う。 「。ぼくはこれからも、といろんな約束をしたい。でも前に言った通り、無理に守ろうとしなくていいんだよ」 「かずあき、」 「大丈夫。実現するための努力をするべきなんだって、気付けたから」 この前と同じく、意思の硬い声だった。けれど表情はやわらかく穏やかなままで、まるで長い間、今もずっと、大事にしているものを包み込むような、あたたかい笑顔だった。そんな安心させる眼差しで、一彰はわたしを見つめる。 「すきだよ、」 わたしは、一彰と結婚したい。 六歳のわたしとは違う理由だった。それでも一彰と一緒にいたいと思う。何を置いても明白だ。だって、一彰がわたしの世界からいなくなることなんて想像できない。忘れられたくない。ずっとここにいてほしい。一彰も同じだったらいいと思った。 ともすれば喉から変な声が出てしまいそうで、おそるおそる、丁寧に息を吸う。身体の隅々まで行き渡るように、深く深く吸う。次第に視界が滲んでいく。 「約束がなくなっても言ってくれるの……?」 「のことがすきだから約束を取りつけたんだよ。逆じゃない。信じてなかったの?」 はにかむ一彰に、さっき緩んだ涙腺がいよいよ決壊しそうになる。眉間に力を入れて堪えるのを、一彰は覗き込んで、それから笑った。わたしは、気を緩ませたら涙がこぼれてしまいそうで、強がるように語気に力を入れた。 「だって一彰、ときどき冷たいときあるじゃん!絶対にすかれてないって、思ったよ!」 「冷たくしたつもりはないけど……ぼくはと駄目になりたいわけじゃないから、必要なことは言うよ」 思いのほか前向きな理由に目を丸くする。あの、氷を想起させる言葉たちには、一彰なりの理由があったのか。知ると、今まで感じていた恐怖が、じくじくと膿んでいた痛みが、ゆっくりと融解していく感覚を覚える。すべてを正当化できるわけではないけれど、ちゃんと、受け入れられる気がした。 「そういうことか……」一彰も同じように肩の力を抜いたようだった。首を傾け、安堵したような、気の抜けた笑みだった。 「疑ってもいいよ。信じてもらえるように手を尽くすから」 「なんで、一彰はわたしなんかに」 「なんでだろうね。でもずっと、確信してるんだ」 朗らかに笑う。そういえば一彰、さっきからずっと笑ってる。よかったな、ほんとにいいな。一彰がわたしといて笑顔でいてくれるの、幸せなことだ。 基地を出て、連絡通路を歩いていく。この時間帯には珍しく、わたしたち以外の往来はなかった。地下に伸びる空間で、二人分の足音が響く。心なしか仲のよさそうな音に気持ちが良くなっていく。 「」 ふわっと、やわらかい生菓子に触るように、わたしの手に一彰のそれが触れる。一彰が立ち止まった拍子に軽く握られ、引っ張られるより先に足を止める。無意識に顔を上げていた。真正面に一彰がいる。目を細め、薄く微笑んでいる。 「さっそく新しい約束をしたいんだけど、いいかな」 「うん、なに?」 深くは考えず促していた。握られた手は熱いのに、指先はうっすら冷えている。この間握られたときには感じ得なかった体温が今、ちゃんと伝わってくる。こんな涼しい顔をして、一彰も緊張するんだ。そのことが妙に安心させた。 「結婚を前提に付き合ってください」 もうかずあきはこわくない。 |