目が覚めたのは普段と同じ起床時間だった。南向きの窓から差し込む日差しに目を細め、起き上がる。両腕を上げ背伸びをしたら、唐突に、笑いが漏れた。ぐっすり眠れた自分の薄情っぷりがいっそおかしかったのだ。

 朝の検診に来てくださった昨日の四番隊の方に、改めてお礼を言う。朝食を済ませ、折りたたまれた新しい死覇装に袖を通す。診察の結果問題はなく、頭の包帯も取れた。一番危険な怪我だったため一番に治してもらったようで、ほかの背中の痣や手足の擦り傷は自然治癒の方が身体への負担が少ないという話だった。背中は痛むだろうから当分は激しい運動は控えてとのことで、事務仕事はできそうでよかったと内心ホッとした。
 退院に関する諸々の手続きを終えると、正面入り口から戻られた卯ノ花隊長と偶然鉢合わせた。最近はどこの隊も四番隊のお世話になる頻度が急増したと聞いていたけれど、詰所は思っていたほど怪我人で溢れ返っていなかった。きっと四番隊の方々が優秀で、日夜働いてくれているからなんだ。改めて彼らの存在に感謝し、責任者である卯ノ花隊長にあいさつと一緒にお礼を述べた。彼女は穏やかな笑みで、私たちの責務です、と答えた。


「ところでさん。あなたをお待ちの方が外にいらしていますよ」


 微笑む卯ノ花隊長に一瞬固まり、すぐに、ありがとうございますと肩をすくめた。受付の方に提出した書類が受理され、いよいよ自由の身となったわたしは、卯ノ花隊長にお辞儀をしてすれ違った。外に繋がる正面入り口へ一直線に歩いて行き、のれんをくぐる。


「隊長」


 詰所の建物の外、入り口を出たすぐ隣の壁に寄りかかって立っていたその人は、「…おお」わたしの呼び声に少し驚いたようだった。この人のことだから霊圧で大体わかってただろうに、だ。目の前で立ち止まり、いつもより見開いた目でわたしを見下ろす隊長が何かを言う前に切り出す。


「つまり隊長は、公私混同してたってことですか?」
「……開口一番がそれかい!」


 もっと他にあるやろ普通!と突っ込む隊長に思わず笑ってしまいそうになり口を隠す。言うと思った。手で口を覆ったまま見上げると、隊長ははあーと重めの溜め息をついたあと、頭を掻いてそっぽを向いた。「あーあーそうですゥー。公私混同してましたァー」悪びれもしない言い方にうわーと引いた声を上げてみせる。と、額に手の甲が当たった。ふわっと触れる程度で、すぐに離れていく。


「アホ。おまえよそにやるくらいなら公私でも何でもかき混ぜたるわ」


「……」口から手を離し、今度は額に当てる。ずるい。そんなことを言われて恥ずかしくならないわけがない。
 思えば隊長はずっとずるかった。仕事の時間はいつもだらだらして、上手にサボっていた。かと思えば緊急時には必ずいてくれて、いつでも間違いなくわたしを助けてくれた。要領がいい人なんだと思っていた。
 それから親切だった。よく気にかけてくれて、落ち込んでるときのフォローが手厚い。注意はあっても怒ることはなく、最終的に許してくれた。わたしの三席としての希望に、できる限り応えてくれた。そういう、大きな意味で、いい人なんだと思っていた。


「で、俺が公私混同しとったら何やねん。おまえの返事が何か変わるんか」
「………か、変わりません」
「……」


 隊長は沈黙してわたしの言葉を待っている。耐えられず俯くと、自分と隊長の足元が目に入った。隊長の足はわたしよりずっと大きい。そんなことを今更知る。きっと他人のすべてを知ることなんてできはしない。だから今見えている、見せてくれるあなただけで判断するのだ。不思議と、大丈夫だと思えた。だってこの人、結構さらけ出してくれてるもの。

 答えは自ずと見つかった。考えるまでもない。だから昨日はぐっすり眠れた。泣くほど絶望していたにもかかわらず、薄情なわたしは他のことを全部端っこに追いやって、安心しきった気持ちで眠りについた。隊長から与えられる安心感は異常なほどだった。


「隊長が、尊敬できる人で、いい上官なんだっていうのが、わたしから見た隊長なだけで、本当は違くて公私混同するずるい人なんだとしても、……隊長のことは、す、す……き、なんだと思います」


 言ってるうちに心臓がバクバクと鳴り出していた。今まで口にしたことない言葉を絞り出すことのなんと労力のいることか。首から上が熱くて火照ってる。髪をいじる手が震える。口から心臓飛び出しそう。隊長は今、どんな顔をしてるんだろう。


「そーか。よお言ったなァ、えらいえらい」


 頭の上に手のひらが乗った、と思ったらわしゃわしゃと掻き回される。「ちょっ…」当然困るので、やめさせるよう彼の手首あたりを掴む。そのまま上へ持ち上げガバッと顔を上げると、隊長は楽しそうに笑って見下ろしていた。その表情が聞かん坊をあやすようで、いつものくせで口を尖らせてしまう。なんだか釈然としない。
 離した隊長の右手が、今度はわたしの後頭部に回った。傷のあった場所を指が撫でる。優しく這い回る指先の感覚が脳に伝わるようだ。背筋がぞくぞくする。逃げるように俯く。なんだか、もう傷口はないのに、変な気分になる。


「痕残らんでよかったなァ」
「は、はい……でも数日は、事務仕事しかできないんですが…」
「ええよ。そのつもりやったし」


 そう言い、右手を離す。湧き上がる感情についていけず、うかがうように目線だけで隊長を見上げる。どういう顔をしたらいいのかわからなかった。隊長はというと、変な顔こそしていなかったものの、どこか悩ましげにわたしを見下ろしていた。


「…返事によってはほんまに異動させることも考えてたんやで。杞憂でよかったけどなァ」
「え、」
「客観的に見て、自分のこと狙っとる上官なんてキショイやろ」


 その台詞に、瞬時にリサを思い出した。彼女が言ってたのはこのことだったのか。だとしても、やっぱり、あのときの答えに間違いはなかった。


「だ……だいじょうぶです」
「ん。ほんまよかったわ」


 隊長は目を細め、口角を上げて笑顔を見せた。それが本当に安心したような、ひどく嬉しそうな顔だったものだから、わたしもつられてだらしなく笑ってしまった。「ほな五番隊帰ろか。惣右介一人で待たせとるし」「はい」踏み出し、五番隊舎の方向へ歩いていく隊長のあとに続く。


「これから目一杯可愛がったんで。楽しみにしといてや」
「こ、公私は混同させない方向でお願いします」
「おまえほんま素直やないなァ…」


 頬に手の甲をくっつけられる。反射的に首を反対側に傾げるとそれは離れた。熱いのがバレバレだ。だってほんの一瞬で隊長の手との温度差がわかってしまった。自分の頬に手をやり、恨めしげに隊長を見遣る。依然楽しそうにニヤッと笑うこの人は多分、素直じゃないと言うとき、わたしの思ってることを正しく読み取ってるんだろうと、このときようやく気付いたのだった。


25│top│おわり