最後のダンボールが詰め終わると二年間お世話になったわたしの部屋は殺風景になる。とはいっても、ミニ冷蔵庫と電子レンジだけは持っていくけれど他の家具は次の人に好きにしてもらおうと決めていた。あまり荷物が多すぎても運ぶのが大変だからだ。
 ふう、と一息つく。そう、今からこれらを運ばないといけない。午前中ツナくんに挨拶しに行ったとき運転できる人で誰か暇な人はいないかと聞いたら、少し間を空けてから、あいにく今は出払ってると答えられた。午後になったら獄寺くんが戻ってくるとも言われたけれど、彼がわたしの頼みを聞いてくれそうかといったら残念ながら首を振るよ。
 でも仕方ない。そもそも選択肢はそれしかないのだ。壁掛け時計を見ると時刻は一時半を指していた。夢中でやっていた荷造りはわたしの時間を三時間ほど削り取っていったらしい。獄寺くんはもう帰ってきてるだろうか。ふむ、と顎に手を当て思案する。彼の自室に行くよりは執務室の方が可能性は高いか。

 彼の性格とこれまでの経験則を踏まえた上でそう結論付け、重い腰をあげ「片付いた?」ようとした。パッと入り口に顔を向ける。


「え!ベルくん?!」
「よっ」


 廊下から顔を覗かせていたのはベルくんだった。予想してなかった人物の登場に目を丸くする。なんでここに?だってベルくん、今日は仕事だったんじゃあ。

 そう、何を隠そうベルくんは今日、朝早くから任務に出かけていたのだ。一方ベルくんの不在に心底心細かったわたしはというと、今朝緊張しつつもヴァリアーの会議室に向かうとスクアーロさんに開口一番「これボンゴレに持ってくついでに越してこい」と言われた。渡されたのは分厚い書類の封筒だった。「昨日はどうせベルに連れ回されて荷物こっちに持って来てねえんだろぉ」そう付け加えたスクアーロさんに、昨日のベルくんの台詞を思い出した。面倒見がいい。あのときはにわかに信じ難くて首を傾げたけれど、今なら頷けるよ。
 いくら同じボンゴレとはいえ、余所者のわたしをベルくん以外は良しと思わないだろうと思っていたのだが、心配するほど、少なくとも幹部の人たちは怖くなかった。よくよく思い出すと昨日わたしを見たみんなの反応はベルくんの友人としてわたしのことを知っているような口ぶりだった。そのことをこそっとマーモンに聞いてみたらその通りだと頷かれたので、なら納得だと腑に落ちたものだ。「ある程度の面倒事はもう覚悟してるんだよ」その台詞には疑問が残ったけれど。しかし他の人たちがわたしを見る目は確かに、面倒臭そうだったり憐れんでいたり胡散臭そうだったりと様々だったので、マーモンが言ったことは的を射ているのかもしれない。

 とにもかくにも、ベルくんは今日任務を任されていて、内容は聞かなかったけれど朝早く出立しないといけないくらいなんだから少なくとも一日かかるものなんだと当然のように思っていた。けれど見る限り今のベルくんに仕事帰りの疲労した雰囲気は微塵も感じられないし、何より彼はヴァリアーの隊服ではなく私服だ。赤と黒のボーダーシャツに細身のジーンズをサラッと着ている、どこからどう見てもオフの格好だった。


「ベルくん、任務じゃなかったの?」
「もう終わったの。一回アジト帰ってこっち来た。引っ越ししてるって聞いたから」
「そうか、おつかれさま」
「うん」


 うししっと彼らしい笑い方。ベルくんの言い方からして、わたしの様子を見に来てくれたのだろう。引っ越しくらい一人でできるよ、と言おうとしたけれど、未来進行形で獄寺くんの手を借りるつもりだったから偉そうなことは言えないなあ。なのでその代わりに立ち上がり、ちょっと獄寺くんのとこ行って頼んでくると伝えようとしたら、ベルくんが先に口を開いた。


「ダンボールだけ?」
「え?あ、ううん、あと冷蔵庫と電子レンジは持ってく」
「りょーかい」


 え。ベルくんは部屋に上がったと思ったら、見るからに一番重い電子レンジへと歩み寄った。次の行動を察知したわたしはハッとして彼の前に立ちはだかる。


「ま、待って、まだ車頼んでないから!」
「あ?頼むって?」
「荷物乗っけて運んでくれる人に、」
「いらねーよ。来たんだから」
「…へ?」


 間抜けな声を出してしまう。目の前のベルくんはまた特徴的な笑い声をあげたと思ったら、ポケットからカチャカチャと音を鳴らしそれを取り出した。「…え!」銀のキーホルダーの輪っかに指を通し、くるくると回してみせるそれは、車のキーだった。


「そ、そのために来てくれたの…?!」
「当たり前っしょ」


 ほらさっさと帰ろーぜ。言いながら電子レンジに手をかけるベルくん。それをわたしは、口を開けたまま見ていた。なんというか、わたしはとっても感激していて、ベルくんに「は冷蔵庫」と指をさされてようやく動き出したのだけれど、感動は依然身体中を巡っていた。何から何まで面倒を見てくれて、ベルくんて本当にすごい人だ。しかも運ぶのまで手伝ってくれるんだ。電子レンジ一番重いだろうに、ありがたいなあ。

 エレベーターで一階まで降りたら駐車場までの道のりはそれほど長くない。ベルくんに腕の調子をうかがいつつ自動ドアをくぐり、彼の車を探そうと辺りを見渡した。


「あ」
「ん?」
「…あ?」


 わたしとベルくんが同時に気付き、携帯を見ながら歩いていた獄寺くんが最後に顔を上げた。どうやら丁度用事から車で帰ってきたところだったらしい。タバコをくわえながらしかめっ面の彼はわたしたちを見るなり眉間のしわをさらに深くしたようだった。


「……ああ、引っ越しか」
「う、うん。そうだ、獄寺くん今までお世話になりました」
「ほんとにな。まあせいぜい向こうでも頑張れよ」
「うん…!ありがとう!」


 彼の本音すぎる同意と、社交辞令じゃない激励を受け大きく頷く。「、早く行こーぜ」ベルくんの催促にハッとする。そうだ、重い電子レンジ持たせてのんびりしてられない。ごめんねと謝って、獄寺くんにも軽くお辞儀をする。顔を上げたときには、獄寺くんはやはり眉間にしわを寄せたまま、わたしの隣のベルくんと、彼が抱えた電子レンジを交互に見ていた。

 歩き出したベルくんのあとをわたしも追いかける。すれ違いざま獄寺くんがちょっと柔らかく、「丸くなったもんだな」と呟いた。咄嗟に振り返ったときにはどんな表情をしていたかは見えなかったけれど、なんとなく、優しい顔をしている気がした。


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