ピンチのわたしを救ったのはなんとまりちゃんだった。部活の用事が終わったらしくたまたま通りかかった彼女は女子トイレ前で困っていた綱海に不審に思いながらも事情を聞き、彼の代わりに女子トイレを覗いた。そして壁の反対側でわたしがぽろぽろ泣いているのを見て顔をしかめると、綱海に「死ぬほどお腹痛いんだって。わたしがカバン預かるよ」と嘘をついて綱海を撒いてくれたのだった。聞こえた限りでも綱海は訝しんでいる様子だったけれど、まりちゃんがじゃあねとさりげなく帰るよう促すと「ー!お大事になー!」と声を掛けてくれて、そのあと帰っていったようだった。気遣いに心が痛んだ。

まりちゃんはカバンを持ってきてくれて、わたしが落ち着いてから二人で帰った。彼女は終始呆れた様子で相槌を打ち、別れ際、住宅街の十字路で立ち止まるとまっすぐにわたしを見た。


「言っとくけどね、綱海の幸せがあんたの幸せなわけないんだよ」


凛とした、芯のある声だった。彼女の言葉にわたしはゆっくりと目を閉じ、頷く。「…うん」まりちゃんの言う通りだ。そんな綺麗事が、わたしなんかにあるわけがなかった。結局わたしの世界はわたし中心で回っていて、わたしの幸せはきっと、残酷なくらい綱海のそれと相反している。今まで同じだと思い込んでいた。けれど、わかってしまった。





朝、教室に着くなり机に突っ伏した。沈んだ気分は一夜明けてもまだ沈んだままだった。しばらくの間そのまま伏せていたあと、今日の時間割をぼんやり思い出しながらゆっくり顔を上げた。ロッカーに教科書取りに行かないと。浮かない気持ちのまま、立ち上がろうと机に手を置く。


「まだ腹痛えの?」


反射的に上を向くと綱海がいた。会いたくなかった。表情に出さないよう努め、それから何のことだ、と逡巡して合点がいく。そういえば昨日まりちゃんがそう誤魔化してくれたんだ。


「ううん、もう平気」
「そうなん?にしては元気なさそうだぜ?」
「…そう?気のせいだよ」


綱海が口をへの字に曲げ、首を傾げる。「なんか隠してねえ?」「べつに隠してないよ」ふーん?とあまり信じてなさそうな返事をする。変なところでしつこいな、と不審に思っていると、綱海はつまらなさそうに自分の足元に目線を落とした。


「おまえのすきな奴も誰だかわかんねーし…」


いきなり飛び出した話題に一瞬動揺する。なんでそうなるんだ。不審の念はいよいよ強まり、わたしは綱海を訝しげに見遣った。それから、最近の彼の言動を思い返し、ある結論に辿り着く。


「…もしかしてわたしに借り返したいとか?」
「は?」
「それならべつにいいよ、わたしが勝手に綱海の話聞きたいと思ったんだし。貸しとか思ってないよ」
「……」
「あともうすきじゃないから。諦めた」


思っていたのか定かじゃないがそんなことをペラペラしゃべった。黙った綱海にとどめの一言を言い放つと、綱海がどうとかいうより自分の中に違和感が押し寄せてきて、気持ち悪くて仕方なかった。あきらめた、とか言っちゃって、何だそれ。タイミングよくホームルームの予鈴が鳴ったため綱海は自分の席に戻っていったようだった。それを目で追うことはせず、立ち上がる気も失せたわたしは机で視界をいっぱいにして、そこから動かないでいた。


「わたし、あんたのそういう自己犠牲なとこ、全然理解できないけど」
「……」
「でも、うまくいけばいいと思うよ」


隣の席のまりちゃんの真摯な言葉に何て返せばいいのかわからず、頷くだけしかできなかった。