土井の両親が事故で亡くなったという事実を直視できるようになったのは、彼が一人になってしまってから三ヶ月ほど経ったあとだった。親戚はいるけど遠く、高校に通い続けるには厳しい距離であり、当時高校二年生だった彼が中退はよくないと言って一人暮らしを始めとっくに慣れた頃。
土井の家とわたしの家は家族ぐるみで仲がよかったから徒歩三秒の我が家で土井がご飯をご一緒するのはよくあることだった。わたしは、目の前には土井しかいなくても、こいつが帰ればおばさんもおじさんもいるんじゃないかとか笑顔で土井を迎えてくれるんじゃないかとかよく考えながらご飯粒を咀嚼していた。でも現実には徒歩三秒の彼の家は防犯用に土井が家を出る前にわざとつけっぱにしておいた玄関とリビングの電気が当たり前に人工的に光っているだけで、とても無機質だ、と思った。何度も。そしていつも、ごちそうさまでした、と笑ってお辞儀をする土井に俯いて彼のスニーカーを見ながら、また来なよと台詞掛かったように言うのだ。

三ヶ月どころか一ヶ月もしない内に一人暮らしに必要なスペックを身につけ我が物とした土井のライフスキルの高さはどんなものであろうか。仏壇はいつ訪れても綺麗でわたしは一人手を合わせながら泣く。ひどく悲しいのだ。


、泣いているのか?」


リビングから顔を覗かせた土井は緑と黄緑のストライプのエプロンを身につけて、不思議そうにこっちを見ていた。もう高校三年生にもなって泣いていたのを正直に認めるなんて出来なくて、思いっ切り鼻声で泣いてないと返したけど次の瞬間鼻を啜ってしまったので意味はなかっただろう。土井の不思議そうな顔はゆっくりと目を細めて穏やかな笑顔に変わっていき、沈黙に波紋が生じるように至って静かな声で「そうか」、と呟いた。わたしも土井が何を思っているか大体わかる。
お互いの呼び方を、名前から苗字に徹底させたのは高校に入る春休みだった。犬の散歩をしているとき、友人と遊んできた帰りだろうか、土井と出くわして、いつも通り帰り道を共にしていた。そのときどんな流れかは覚えてないけど、そういう話になった。本当に明確ではないけど、確かわたしが決めて、土井が了承した感じだと思う。ていうか大抵のことはわたしの押しに土井が負ける。そのおかげでわたしたちに変な噂が流れることはなかったし、幼なじみという変わった間柄のおかげで近くにいることを誰にでもなく許されていた。土井はかっこよくて性格もいいからもててたけど、わたしが表立って僻まれることもなかった。そういう子が周りにいなかったっていうのもある。
あれからもう二年は経つのに土井がわたしを呼ぶのに慣れない。って、こいつの口から出ると違和感を感じる。本人も気付いているのか、あんまりわたしの固有名詞を使って呼び掛けない。
最近よく、この距離は土井を一人にしてしまうんじゃないかと考える。それはいけないし、縮める勇気はないけど、元に戻すことはしなければ、とも考えている。どうしてかって、誰よりわたしが、土井を一人にしたくないと思っているからだ。


「今日カレーにするんだが、も食べてくか?」

「は?」
「…でいいよ。おまえのって呼ぶのすごいぎこちないのばればれだから」
「…ははっまじか。そうだったか」
「その代わりわたしも半助に戻すから」
「ああ、もちろんいいよ」


でもが土井って呼ぶのすごく自然だったけどなあ、なんか悔しいな、笑う彼にすごいでしょ、と威張ってみる。決まってるだろ、わたしと友達の会話に何回おまえが登場してると思ってるんだ。あれだけ連呼するように口にしてれば板につくだろ、おまえのとは桁が違うんだよ、桁が。心の中で思うだけで口には出さない。ここからさらに近づく勇気はまだないのだ。


「でも明日からいきなり変えたら変だから、学校では土井のままね」
「ははっそうだな」


こいつは大抵のことは寛容してしまう。きっと、ていうか、絶対いい息子だった。お使いとか家事の手伝いとかたくさんやってたって聞いた。ちらりと半助の両親の写真を見て、また泣きそうになったけど堪えた。忍耐力をつけないと。


「カレー食べたい」
「おお、もう少し待ってろ」


にこっと笑って台所に消えた半助にはばれなかっただろう。ぼろりと零れた涙を拭うことなくスカートに染み込ませた。
小中高は一緒になって、このままだったら大学も一緒かもしれない。そうやって絶対に一人にしてやるもんかと思ってる。きっと半助がわたしをいらないと言うまではこいつから離れないんだろう。