幼なじみの巴くんを弟のように思ったことは一度もなかった。だってこんなこと、弟に思っていたら大変だ。


「巴くんおいしい?」


 巴くん家のリビング、ダイニングテーブルの向かいに座る彼に問いかける。両手に顎を乗せて頬杖をつきながら彼を観察すること三十秒、ついに耐えられず話しかけてしまった。真っ赤に熟した三角のスイカを一口二口と口に含む巴くんはしゃくしゃくと噛みながら大きな目でわたしを見上げた。ごくんと飲み込む様に思わず溜め息が漏れてしまう。


「おいしいよ」
「そっかあ」


 たくさん食べてねえ、妙に熱のこもってしまった声に巴くんが違和感を抱くことはなかったらしい。彼は一つ頷き、またスイカをかじった。
 巴くんかわいい。五つ歳下の彼に対する感情は出会った頃から変わらず、いいや年々悪化していき、今や偏執的な愛を注いでいるのを彼は気付いていない。家が近所なのをいいことに隙あらば巴くんの家族行事に首を突っ込み、入学式や卒業式は当然のこと、運動会や授業参観にも同席した。あまりに絡みに行きまくっているせいか一部の赤の他人には本当に姉弟だと思われているらしく、ボーダーで知らない人に声をかけられたときは驚いた。もちろんちゃんと訂正したとも。だって姉弟だったら大変だ。

 さすがに間違われるのは不本意だし巴くんにも悪いから、当時まで名前呼びだったのを苗字に変えた。訳を話すまでもなく巴くんは「うんわかった」と了承してくれたけれど、これは彼の物分かりの良さが特別そうさせたのではなく、虎太郎だろうが巴くんだろうが何でもいいからなんだろうとは何となく察せた。虚しい気持ちになったのは言うまでもない。

 もちろん、本当に巴くんの姉だったらと考えたことは一万回くらいある。そのたび、他人でよかったと結論が出る。巴くんの行事に立ち会うことに気遣いも遠慮もいらない点はとても魅力的だけど、でもやっぱり、本当の姉でも巴くんをかわいいと思ってしまうだろうから、大変なことになっていた。なんたって「かわいい」って言葉は、本音をまるくまるく綺麗な形にしたものであって、本心を正直に述べるとしたらいろいろとまずいからである。


「巴くんかわいいなあ」


 だからわたしは今日もまるくまるく綺麗な言葉を口にする。十四歳の男の子な巴くんは環境のせいか、散々言われ慣れたその言葉を不満には思っていないはずだった。ボーダーの年上の女の子に可愛がられる巴くんが困惑こそすれ、嫌な顔を見せたことは一度もない。にもかかわらず今、彼はうわ、と口を歪ませ、イスに座った身体を九十度回転させた。それが形だけで、そっぽを向いた巴くんがもう嫌な顔をしてないことも知っている。あ、スイカ持ったままだ。横から見ると後ろの跳ねた襟足がよく見える。かわいい。


「スイカ、残りは冷蔵庫に入ってるからすきなときに食べてね」
「…さんは食べないの?」
「お腹いっぱいなんだー家でご飯食べたばっかなの」


 巴くん家にスイカを持っていくという使命を母上から受けたわたしはそうめんを食べ終えるなり巴家のインターホンを鳴らした。出迎えてくれたのは巴くんだけで、お家の人は全員出かけているという。聞いたときのわたしの胸がどきどきと高鳴ったのは言うまでもない。今も若干興奮してる。巴くんと二人きりなんて、最近なかったから、自分を律するので大変だ。
 そう、と返した巴くんはまた一口スイカをかじる。口に物を入れながらしゃべらない、行儀のいい子だ。巴くんはかわいくていい子で礼儀正しいから誰からも好かれる。ボーダーでもいろんな人に可愛がられてるのを見ると鼻が高くなるよ。巴くんはどこに出しても恥ずかしくない幼なじみだ。逆はどう思っているか知らないけども。


「ねえ巴くんってわたしのことどう思ってる?」


 ちょっと聞いてみた。何が返ってきても嬉しいし、まさか嫌われてるわけはない、ので。とかいいながら期待するような眼差しで巴くんを見てしまったかもしれない。


「えー…」


 答えたくなさそうな顔。あんまり予想外だったもので「えっ?!」素っ頓狂なリアクションをしてしまった。冗談で「嫌い」って言われる想像までしてたのに、まさかの回答拒否とは。なぜだ巴くん。というか巴くんの年頃ならこういう話題、少しくらいは恥ずかしがってもいいのに、まるで冷静だ。
 もしかしてわたしのことすきだったり、なんてそんな都合のいい妄想も一万回した。さすがにそれはないと思う、けど、まさか…。


「変な人」


「えっ?!」まさか巴くんからそんな言葉が出てくるとは思っておらずまた同じリアクションをしてしまった。「えっ、あっ」まるで認めるみたいな焦り様に変な汗をかいてしまう。冷房効いてて涼しいはずがすごく暑い。だって巴くんが、わたしのことそんな風に思ってたなんて、どうしよう興奮する。


さん、昔からなんかすごい可愛がってくるから」
「そっ、そんなの他の人もじゃん…!」
「他の人とは違うでしょ、なんか…」


 うーん、と言葉を探すように目を逸らす巴くん。バレてるんだ。やっぱり可愛がられる側としては違いがわかるのだろうか。高校生のオペレーターちゃんたちが可愛がるのとわたしが可愛がるのでは、根本的に違うことを。わたしが巴くんにしたいほんとのことがあるって。


さんこそおれのことどう思ってるの?」


 どきんと心臓が跳ねる。巴くんの食べ終わったスイカの皮がお皿の上に戻される。それをじっと見ていることに気付いて慌てて自分の手元へ俯く。巴くんはテーブルに置いてあったお手拭きで両手を拭いているのだろう。わたしの顔は真っ赤だ。口から心臓出そう。どうしようスイカ食べ終わったのかわいい手拭くのかわいい巴くんかわいい巴くんかわいい巴くんかわいい。


「と、」


 巴くんかわいい、ほんとは、食べちゃいたい。

 わたしは将来犯罪者になるんじゃないかと昔、割と本気で考えていた時期がある。あまりにリアルに想像できてしまい怖くなったので同い年の迅くんにそれとなく聞いてみたところ、彼は渋い顔をしただけで明確な回答をすることはなかった。理由は想像できる。あの時点では、犯罪者にはならかったんだろう。でもそれを正直に教えてもらっていたら、わたしは安心して羽目を外して、犯罪者になっていたと思う。
 つまりわたしは一歩間違えると犯罪者になりかねないということだ。必要なのは自制心。羽目を外してはいけない。巴くんにほんとのことを言ってはいけない。十年隠してもまだ早い。巴くんに嫌われたら元も子もないのだ。

 口を覆い隠し、真っ赤な顔のまま目線を上げる。巴くんはわたしの考えていることなんて少しもわかってないようで、つり目をきょとんと丸くしていた。


「と、巴くんかわいい」


 案の定巴くんは、そうじゃないんだけど、と不満そうな顔をした。そんな顔もかわいい。もうだめぜんぶ溶けそう。



君はもうくちびるを知るべき(190818)
title:金星