すきですって言っただけで泣きそうになった。息が苦しいほど胸が痛くなって、わたしはまだ、何も言われてないのに失恋した気分になったのだ。





「よお」


 三門駅の改札前でひたすら前髪の調子を整えていると、前方から荒船くんがやってきた。自宅を出た荒船くんが来るだろう方向を向いて待ってたから、もちろんわたしの方が早く気付いてた。でも、こっちに歩いてくる私服の荒船くんを見たらなんだか胸がいっぱいになってしまって、声が出なかったのだ。


「…おはよう〜!」


 思わず口を押さえながらサンダルの足でパタパタ駆け寄る。荒船くんだあ、荒船くんだよー。帽子かぶってるよお、Vネックの黒シャツ着てるよお。ラフなベージュのズボンも死ぬほどかっこいいよお。制服と体操服以外の荒船くん見たの初めてだから感動で涙出そうだ。一週間前から計画してたわたしのおめかしなんて一瞬で霞むかっこよさだよ。頬がカッカと火照ってきた。今日暑いから、熱中症になったら大変だ。


「待ったか?」
「待ってないよ〜」


 そうか?と小首を傾げる荒船くんにどきどきと胸が高鳴る。こんな定番なやりとりを荒船くんとできるなんて夢みたい。二十分前に駅着いててよかったあ〜〜!朝から浮き足立っちゃって落ち着けなかったら早く来ただけなんだけども!


「荒船くん来てくれてありがとー」
「来るに決まってんだろ」


 荒船くんがそう言って肩をすくめる。にまにまが止められないわたしは両方の頬に手を当てながら彼を見上げる。帽子で影になってる目元が笑ってる。


「デートだろ?」


 きゅううと心臓が縮む。顔はいよいよりんごだ。梅干しかもしれない。堪えるように拳を作り、うん、うん!と首を縦に振る。
 本当に夢みたいだ。憧れの荒船くんの彼女だなんて。高一から同じクラスでずっとすきで、じわじわ距離詰めて話せるようになって、先週ようやく告白できた。三年に入ってからはもはや玉砕覚悟で告白するぞと意気込んでたけど、結局タイミングが掴めなくて夏休み直前になってしまったのだ。そのタイミングというのも、夏休み前日の終業式後、一人でボーダーのお仕事に向かおうとする荒船くんを追いかけてようやく作ったものだった。

 なんかもう、すきになった人が性格もよくて運動もできてボーダーっていう特別なお仕事をしていて、笑った顔がかっこいい素敵な人だったものだから、この二年半ずっと気が気じゃなかったのだ。いつどこの誰が彼女の座についてしまうんじゃないかと毎日心配だった。この苦悩から解放されるには告白するしかない、振られても、そのあとに彼女ができても仕方ないと思えるはずだ、ここ数ヶ月のメンタルといえばそんな後ろ向きの自棄っぱちだった。
 だから、荒船くんが告白に応えてくれたときは、本当に、天に舞い上がるほど嬉しかった。


「なんだよ、来ねえと思ったのか?」
「お、思ってないよ!」


 慌てて返すと荒船くんは軽快に笑った。うう、とまたもや眉間にしわが寄る。ときめきの過剰摂取だ。リアクションがいちいちかっこいい。「とりあえず、行くか」すでにいっぱいいっぱいのわたしは、歩き出した荒船くんのあとについてくのがやっとだった。

 初デートは映画館だ。先週の休み時間に荒船くんが見たいと言っていたアクション映画を提案したら即オーケーをもらえた。チケットは事前にわたしが買ったので、荒船くんはあとで金払うわと言いながら発券したチケットを受け取った。夏休みになって一週間が経っているので映画館も人入りは上々だ。知ってる人に会ったらどうしようと一瞬冷やっとしたけれど、わたしの彼氏荒船くんなんだぞー!と自慢したい気持ちが湧いてきたので堂々とすることに決めた。しかしこんなときに限って知り合いには一人も会うことなく、特に大きなイベントもないまま三番スクリーンの指定席に着席したのだった。
 なんだあ、と拍子抜けしながら赤い布で覆われた背もたれへ寄りかかる。スクリーンでは映画に関するCMがとめどなく流れていた。映画館に着いてから冷たいほどの空調が気持ちいい。隣に腰を下ろした荒船くんが帽子を取り、自分の太ももの上に置いた。その横顔をちらっと盗み見て、またむずがゆくなる。横から見る荒船くんもかっこいいよ〜…!
 ふと、荒船くんが今しがた入ってきた入り口へ首を向けた。それから、後ろを振り返って客席を見回すような動作をした。その意図に気付いた途端、自分の背筋がひゅっと凍ったのがわかった。……荒船くん、知り合いがいないか探してる…!


「あ、荒船くん、知り合いいた…?」
「ん、ああ…ボーダーの奴らが今日この映画観に行くっつってたからいるかと思ってな」
「そ、うかあ…」


 荒船くんに向いて離れた背中をまた背もたれにぴたりとくっ付ける。まるで後ろから見えないように隠れた。…わたしは、知り合いに荒船くんが彼氏なんだよって自慢する気でいたけど、逆のことは考えてなかった。想像して、自信がなくなる。

 荒船くんに告白したとき。まだ日は高い時間だった。気温も上がる一方の外を走ったから暑くて緊張でいっぱいいっぱいだった。そんなわたしとは対照的に、振り向いた荒船くんは切れ長の目を見開いて呆気にとられていた。まさかわたしから、そんなことを言われるとは思ってなかったみたいだった。目を逸らされる。「そうか」じくっと身体が痛む。あ、これは、やばい……。

 あのときの気持ち悪い感覚が蘇る。振られると思った。玉砕覚悟とかいってたくせにいざ現実になると全然ダメだった。わたしはひとりよがりというか、荒船くんの気持ちをあまり考えないで、荒船くんかっこいい!って気持ちだけで動いてしまうから、そういうとこがダメなんだと思う。ちゃんと推し量れる人だったら、自分のこと友達レベルにしか思ってないのが明らかな相手に告白しようなんて思わない、のかも。
 どくどくと脈打つ。荒船くん、ボーダーの人に彼女の存在知られて大丈夫かな。というか、彼女がわたしだって知られて大丈夫かな…。かっこいい荒船くんの彼女がこんなつまらない女だって、評判が落ちたらどうしよう。俯いたまま、膝の上でぎゅうと拳を作る。荒船くんが、依然劇場の出入り口を見ているのが気配でわかる。


「…あ、荒船くんってさ、」
「あ?」
「なんでわたしのこと彼女にしてくれたのかなー…って…」


 こんなの初デートで聞くことじゃないかも。めんどくさいやつかも。荒船くんごめんなさい、でも気になるんだよ。荒船くんは右方向へひねっていた体勢を戻し、背もたれに寄りかかった。両脇の肘置きにそれを置いたのが見える。つい、彼を見上げると横目でわたしを見下ろす目と合った。えへ、と苦笑いする。
 荒船くんはどんなリアクションをするかと思えば、得意げにフッと鼻で笑ったではないか。一瞬何の話をしてたか忘れるほどの自信満々な表情に、思わず呆けてしまう。


、前に女子とすきな食いもんの話してたろ」
「…え?!……し、してたかな?!」


 突拍子もない話題にひょっと肩が跳ねる。な、なんだ?すきな食べ物の話?卑屈な気分は吹っ飛んで荒船くんをまん丸の目で凝視してしまう。依然得意げな表情を崩すことなく腕を組んだ荒船くんは、ああ、と続ける。


「で、おまえ、「おいも!」って即答したんだよ」


 カーッと顔が熱くなる。これは羞恥心だ。あ、ああ、それは、答えた気がするぞ…!四、五月ごろに新しく友達になったクラスの子とそんな話をした記憶がある。友達の席に集まってしゃべってたやつだ。近くに荒船くんいたのか、うわあ、もっと可愛い食べ物言えばよかった!恥ずかしくて何も言えないわたしに気付いてないのか荒船くんは顎に手を当てしみじみと述べた。


「そのときいも食ったみたいに笑った顔がよかったんだよな。それ思い出して」
「…え、…」
「で、おまえと二人で何かするの面白えだろうなと思ってよ。芋掘り体験とか」
「……」


「な?」目だけでわたしを見て、にやっと口角を上げる荒船くん。一方わたしは、心臓がばくばく鳴って、ちょっと涙目だった。


「じゃあ付き合うか」一度目を逸らして何か考えていた風の荒船くんが、わたしをまっすぐ見てそう言った。その瞬間、さっきまでの緊張なんて大したことなかったみたいに一層心臓が高鳴った。ああわたし、この人といたらこんなどきどきを何度も味わえるんだろうなあと、思った。


 スクリーンに流れていた予告が終わり、劇場内の照明が落ちる。映画、始まる。でもせわしない心臓も真っ赤な顔も治らない、どうしよう。身悶えたいのを堪えて俯く。


「お、おいも掘り、行きたいです…」
「おう、秋になったら行こうぜ」


 声のトーンを落として言うと同じ調子で返される。潜めた声もかっこいい。もう爆発寸前だった。映画、映画集中しなきゃ。堪えるよう震えながらもなんとか顔を上げると、「なんか変なこと言ったか?」荒船くんが、腕を組んだ姿勢のままわたしの顔を覗き込んでいた。し、死にそう…。



いま笑う声がきこえる(180902)
title:金星