「あれ、だ。また隣の席だな」


 左隣の椅子を引いた彼を見上げる。窓から差し込む六限の春の日差しや周囲の喧騒と相まって、それはさながら、映画のワンシーンのようだった。





「いつウチに入りたいって言ってくるかと思ってたけど、言わないんだね」


 小佐野先輩の台詞にぎょっと肩が跳ねる。二人きりの作戦室で借りてきた猫のようにおとなしく縮こまっていたわたしは、向かいのソファに座る彼女に何と返すべきか、瞬時に思い浮かばなかった。
「え、あ…」うろたえながら、目を逸らして考える。……諏訪隊に入りたいって、意味だよね。言うと思われてたのか。そんなバカな、と一笑できたらよかったのだけど、あいにく心当たりがあるので苦笑いしかできない。なにせ小佐野先輩にはとっくのとうにバレているのだ。だからってまさか、わがままが通るなんて思ってないけど。


「さ、さすがに不純な動機でそんなこと言えないですよ…」
「ふうん。でも、手段は選ばないって言ってたじゃん」
「そりゃあ…」


 背もたれに身体を預ける小佐野先輩は言いつつも、積極的にわたしをスカウトしてる風ではなかった。きっとべつに入ってほしいとは思ってないんだろなあ。

 小佐野先輩は元芸能人なだけあって謎が多いイメージがある。だから諏訪隊の作戦室に初めておじゃましたとき、初対面ですきな人を言い当てられても、驚くと同時に不思議と納得してしまえた。
 正隊員に昇格して一ヶ月が経った今もチームの結成も編入も考えていないわたしは依然ふらふらしたままだ。諏訪隊は三人編成だし、長距離から援護する狙撃手もいないから、特別ダメではないのかもしれない。もちろん諏訪隊に入る自分を妄想したのも一度や二度じゃない。諏訪隊の人たちはみんな親切で優しいからすぐ馴染めるだろう。ただ、いかんせん、動機があまりにも不純だった。
 小佐野先輩はおもむろに立ち上がったと思ったら、一人掛けのソファに置いてあるスクールバッグへ手を伸ばした。何かを探す手つきに、携帯かな、と当たりをつけて背もたれに寄りかかる。肩の力を抜くとこのあと待ち受けるイベントに対する緊張感も和らぐようだ。ここに入室する前も散々勇気を振り絞ったけど、いざ訪ねてみると目的の人物が不在だったので肩透かしを食らってしまった。困るわたしを見かねた小佐野先輩に待ってれば?と促されて今現在である。


「はい、アメ。あげる」
「えっ、ありがとうございます」


 差し出されたのは棒付きキャンディーだった。これを探してたのか。ありがたく受け取り、持った両腕を太ももまで下ろす。棒はむき出しで、キャンディー部分だけが包装されている。今食べようか、考えて、もうすぐ来るかもだし、とやめた。小佐野先輩は早速口に含んだようだ。それからポケットから取り出した携帯の待ち受けに目を落とし、首をかしげる。


「遅いなー。、留守番お願いしていい?」
「え、はい。大丈夫です、けど」
「じゃーちょっと席外すね。ひさと来たらよろしく」


 うっと返事に詰まると、出入り口へ爪先を向けていた彼女が振り返った。それから、小さく口角を上げ、目を細める。


「二人っきりだからって変なことしないでね」
「しっ…ないですよ…!」


 いたずらっぽく笑う小佐野先輩は再び背を向け作戦室を出て行った。熱くなった頬を冷ますように手で扇ぎ、片手に持っていたアメを顔の前に持ってくる。
 ……小佐野先輩、相変わらず顔小さかったな。細くてスタイルいいし誰が見ても可愛い。不思議なイメージあるけど、それも含めて可愛いんだ。いいなあ小佐野先輩。笹森くんもあんな可愛い先輩と毎日のように顔合わせてたら、目が肥えてしまってもおかしくない。
 手で扇ぐのをやめ、脱力したように両腕を身体の横にだらんと垂らす。仰いだ天井は照明以外何もない簡素な白天井。ここを訪れるのは三回目だったけど、一人きりになるのは初めてだ。そりゃそうだ、ここわたしの居場所じゃないもの。

 笹森くんの作戦室だもの。

 笹森くんとは中学から同じ学校に通っていた。クラスも三年間同じなので、二年生の終わり頃に彼がボーダーに入隊したことも友人との会話を耳にして知っていた。真面目すぎず派手すぎず、決して目立つタイプではなかった彼が勇敢な決断をしたことを意外に思ったのを覚えている。当時はそんな印象だった。隣の席になってちょっとしゃべったことはあったものの、わたしは別にすきな人がいたし、笹森くんもわたしのことなんて気にも留めてない、と思っていた。
 高校に進学しても笹森くんとは同じクラスだった。とはいえ同じ進学先の人は何人かいたから、笹森くんもなんだな、くらいにしか思っていなかった。卒業式ですきな人に告白して見事玉砕していたわたしは、初めての席替えでも、中学の友達と思いっきり離れてしまったことにがっかりしながら窓際の一番後ろの席に座った。


「あれ、だ。また隣の席だな」


 まさかそんな一言で恋に落ちるなんて思ってもみなかった。

 その瞬間、大きめの真っ黒な学ランに身を包む笹森くんが他の誰よりもかっこよく見えた。中学で腐るほどやった席替えで隣の席になったことを覚えていてくれたなんて、わざわざそれを言ってくれたのが嬉しかった。隣になったことがある人なら誰でも言える台詞だ。特別感なんて何もない。頭ではわかっていても、「もしかして笹森くんて、かっこいいのでは?」という発見を否定することができなかった。うんそうだねなんてありきたりな返事しかできず、目を逸らして黒板を向く。震える心が、今にも暴れだしそうだった。
 これは運命だ、運命と言わずして何というのか。笹森くんがかっこいいことに気付いてから、彼が何をしてもかっこよく見えた。追いかけるようにボーダーに入隊して接点を作り積極的に話しかけるようになった。攻撃手適性がなくすぐに狙撃手に転向したものの、共通の話題はクラスの女の子たちに比べ格段に有利に働いた。うちのクラスには同じ狙撃手が多いこともラッキーだった。おかげで佐鳥くんたちに話しかけると一緒にいる笹森くんとも話すことができた。

 小佐野先輩にも宣言した通り、笹森くんの彼女にしてもらうためやれることは何でもするつもりだ。昨日もオススメの漫画を借りる約束を取り付け、今日早速受け取りに来た。笹森くんはいろんな漫画を読むらしく、ニッチなタイトルから映画化した大人気シリーズまで幅広い話を聞くことができた。わたしも日常的に漫画を読む人間だったので、ぜひ貸してほしいと頼むと二つ返事で頷いてもらえた。
 攻撃手の友達とランク戦の約束があるからと時間を決めて待ち合わせしたのだけど、勇気を出して訪ねるも小佐野先輩しかおらず、笹森くんが来るまで待たせてもらっていた。約束の時間は五分ほど過ぎた。ドタキャンを疑うにはまだ早い時間だけれど、他人の作戦室に一人居座る状況が落ち着かないのも事実だ。もし諏訪さんや堤さんが来てしまったらどうしよう。顔見知りではあるもののマンツーマンで話したことはないし、単純になんでおまえ一人でいるんだって感じだ。せ、せめて部屋の外で待ってたほうがいいかな……。

 と、外の通路から足音が聞こえたと思ったら、続いてピッと電子音が鳴った。出入り口のシャッターが開く。背を向けていたそちらへ振り向く。


「あっ、待たせてごめん」


 笹森くん。緑色の隊服を身にまとう笹森くんが急いで部屋に入ってくる。よかった、忘れられてなかった。「ううん全然」口にしたフォローの言葉がまるで彼女みたいでどきどきした。さっきまでのそこはかとない不安はどこへやら、笹森くんの台詞一つで浮かれてしまう。デートの約束をしてたみたいで。


「そこでおサノ先輩に会ってさ、結構前から待ってもらって、ほんと悪い」
「全然、暇だったから……小佐野先輩にアメもらったし」


 棒を持って見せると笹森くんは見下ろして、ああ、と口角をあげた。


「最近おサノ先輩がよくなめてるやつだ」
「そうなんだ。笹森くんももらったことある?」
「うん。でももらったとき、なんか含みのある言い方だったんだよな」
「え?」
「普通のアメだったけど」


 肩をすくめた笹森くんはそれから、「漫画、ちょっと待って」と言ってすぐそこの本棚へ踵を返した。彼の背中を目で追ってから、手に持ったアメに視線を落とす。普通のアメ、だよね。小佐野先輩は何て言って笹森くんにあげたんだろう。
 ちらっと目を遣ると、笹森くんは本棚から漫画を取り出し、そばにあった手提げの紙袋に入れて戻ってきた。クラフト紙のそれはどこかのお店のショッパーと思われるけど、見慣れないシンプルな英字のロゴだった。十冊まとめて入れてあるそれを受け取り、お礼を述べながら中を覗く。最近話題になって興味があった漫画だ。前情報からも期待の膨らむ世界観で楽しみにしていた。何より、笹森くんと漫画の貸し借りができることが一番重要なのだけど。


「面白いから期待してて」
「うん、楽しみだなー。ほんとありがとう」
「……」


 笹森くんは神妙に口を閉じたと思ったら、「これだけのために待たせたの、やっぱごめん。おサノ先輩に渡すの頼んでおけばよかった」と申し訳なさそうに苦笑した。しかしそれには否と言う他ないだろう。持ち手をぎゅうと握りしめて笹森くんを見上げる。


「全然待ってないから!ていうか貸してもらえるだけありがたいっていうか……笹森くん、…に限らず人のこと待つの全然苦じゃない…から……」
「そ、そうなの?ならよかった」


 肩の力を抜いた笹森くんの笑顔に心臓が締め付けられる。あああ笹森くんかっこいい…!いっそ、笹森くんにならいくら待たされてもいいって言っちゃえばよかったか……勇気が出なくて誤魔化してしまった。


「それ、返すのいつでもいいから」
「あ、うんありがとう……」


 とは言ったものの、十冊なら明日一日で読み終わる。なんならこれからラウンジで読もうかな。早く返すべきなのか少し時間を置いてからの方がいいのか、駆け引きなんてしたことないのでどうすればいいのかわからない。少なくとも、これを返し終わったら諏訪隊にお邪魔する用がなくなってしまうのだ。慎重に考えなければ。というか笹森くんの言い方からして下手すると、笹森くんのいない作戦室に返しに行って他の誰かが受け取るなんてことも良しとされてしまいそうだ。貴重な会話のネタなのにそれはまずい、どうしよう。


「……あ、笹森くん、もしよかったら、今度わたしのオススメの漫画読まない?」
「え、いいの?」
「うん!笹森くん好みの漫画チョイスするからぜひ!」
「あはは、ありがとう。何だろ」


 はにかむ笹森くんに頬は真っ赤だ。思わずガッツポーズをしてしまう。よし、腕によりをかけて厳選してやる。笹森くんを唸らせる漫画をお貸しするのだ!


、すごい漫画すきなんだな」


 笑顔の笹森くんを見上げる。すきだよ。漫画もだけど、笹森くんのことがすきだよ。今すぐ告白したい気持ちはあるけど、振られたら借りた漫画返しにくくなっちゃうから、まだやめとこう。笹森くん、わたしそろそろあなたと、恋人じゃないと踏み込めない話もしたいんだよ。



まぶしい春のような彼(200119)
title:金星