今日も葉子ちゃんは可愛いかった。B級上位のランク戦で華麗に暴れる彼女を堪能したわたしは、これぞ至福と言わんばかりの満面の笑みを浮かべながら本部の廊下を歩いていた。
 葉子ちゃんのことは隊長で優秀なオールラウンダーで顔が可愛いくて声も可愛くて、その上ちょっとナルシストなところもタイプだ。何を隠そうボーダーに入った動機がもっぱら「葉子ちゃんに会いたい」だったわたしは、葉子ちゃんファンクラブの会員ナンバー001を自称していた。学校も学年も違うのでそうでもしなきゃお近づきになれなかったのだ。もう少ししたら作戦室に行っていいかな。今日は快勝だったから、きっと機嫌いいはずだ。個人ランク戦のブースへ向かいながら、ふふんと得意げに笑う葉子ちゃんを想像してほわっと口元が綻ぶ。
 それから、スッと真顔になる。目の前に会いたくない人を見つけたからだ。同時に、しゃがんでいた彼がこちらを向く。


さん。こんにちは」


 三浦くんめ。今日も人の良い笑顔くんめ。彼は通路に置かれた自販機でお茶を買っていたらしく、取り出し口からそれを取って膝を伸ばした。「…どうも」さっきランク戦が終わったばっかなのにこんなところにいるなんて、油断した。会いたくなかった。
 三浦くんは葉子ちゃんと同じ部隊で同じ高校に通っていて、葉子ちゃんのことがすきな男の子だ。そしてわたしのライバルでもある。動揺を見せて負けたみたいになるのは嫌なので、ツカツカと歩みを止めず彼に近づき、彼の目の前で立ち止まってみせる。


「えいや」
「うわっ」


 グーでお腹を殴ってやった。もちろんわたしも人の子なのでほんの軽くだ。三浦くんを見るとむかつくから。馬鹿力じゃないのでそんなには痛くなかったはずなのに、オーバーなリアクションを取りやがって、トリオン体のくせに、わたしに気を遣ったつもりかこのやろう。


「え、え?どうしたのさん…?」


 ペットボトルを片手に困ったように眉を下げた三浦くんに口を尖らせる。顔はわかりやすく不機嫌にしてる。どうしたもこうしたもない。三浦くんはわたしのライバルだってことは、本人にもとっくのとうに宣言してる。にもかかわらずわたしたちの間に緊張や緊迫が流れたことは一度だってなく、いつもこんなふわふわした空気が漂うのだ。発してるのはもっぱら三浦くんだ。わたしがいくらツンツンしたところで彼には痛くもかゆくもないらしい。もっと険悪になりたいのに。


「…あ、葉子ちゃんなら作戦室にいると思うよ。ゲーム始めてたから」
「……」


 そうやってまた簡単に塩を送る。送ってるつもりないかもしれないけど塩でしかないぞ、三浦くんめ、きっとわたしなんて敵でも何でもないに違いない。なんてむかつくやろうだ。


「三浦くんに言われなくたって、あとで作戦室行くつもりだったし」
「そっか、そうだよね」


 冷たい言葉も柔らかい心で受け止められてしまう。受け止められるたびわたしの心はズタズタに刺されるのだ。そんな返事がほしいんじゃない。
 三浦くんとボーダーで出会った当時から葉子ちゃんの一番のファンを自称していたわたしは、彼とはあっという間に意気投合して葉子ちゃんについて延々と語り合う仲になった。すきな人のことを語れることは大変幸せだったうえに、三浦くんを通じて葉子ちゃんとも簡単に知り合うことができた。初めて彼女と会話した日は天にも昇る心地だった。さらには従兄妹の染井さんや同隊の若村くんとも知り合えて、香取隊と接するのは楽しく、三浦くんに感謝すらしていたのだ。最初は。
 でも長くは続かなかった。彼と葉子ちゃんトークをしているうちにわたしは、怖くなったのだ。


「……三浦くんは…」
「俺はランク戦行こうと思って。あ、もしかしてさんも?」
「うん。ちょっとやったら、葉子ちゃんに会いに行こうと思ってた」
「そっか。じゃあ折角だから、お相手お願いできないかな?」


 背筋がスッと冷える。三浦くんと向き合ったまま、自分の顔が強張ったのがわかった。心臓の鼓動が全身に伝わる。やだ、どうしよう。今、自分はどういう感情になっているのか、はたまたなるべきなのか、わからなかった。

「わたし葉子ちゃんのファンなの。葉子ちゃんが大好きなの」三浦くんにライバル宣言したときのことは今でもよく覚えてる。三浦くんと知り合って、仲良くなって、段々距離を置いていた頃のことだった。「だからわたしより葉子ちゃんのこと詳しくて近くてすきそうな三浦くんが嫌い」そう吐き出したとき、三浦くんは間違いなく悲しい顔をした。
 怖い。三浦くんと仲良くしていたらいつかとても惨めになる気がする。三浦くんの人の良さがうらやましい。わたしより葉子ちゃんと仲が良くて勝てない。三浦くんより葉子ちゃんを想ってるって自信がない。三浦くんが妬ましい。

 なのに仲良くしてたらいつかすきになりそうで怖い。

 気が付いたら頷いていた。三浦くんのほっと安心したような笑顔で我に返って、いとも容易く動揺してしまう。


「ぜ…絶対コテンパンにしてやる!」
「負けないよー」
「わたしだって絶対負けない!…ライバルだから!」


 大きな声で宣言すると、三浦くんは嬉しそうに、うん、と笑った。ああ何も知らない三浦くんめ。


 嫌いだとはっきり告げたとき、三浦くんは悲しい顔をしたあと、しかし小さく笑みを浮かべた。「でもさんと友達になれて、俺は嬉しかったよ」なんて恐ろしいことを言うんだ。こっちは一刻も早く嫌いにならなきゃいけないのに、変なこと言わないでよ。



こんな気持ちを味わうくらいなら(190818)
title:金星