来馬くんとお付き合いをするようになってから、友人に言われる「性格悪いな」に対してダメージを食らうようになった。それは会話の流れで思いついた冗談に対する友人の切り返しなので本気で言ってるわけじゃないとはわかっているのだけども、それを言われるとグサッと心臓に突き刺さるようになってしまったのだ。前まではゲラゲラ笑って終わらせていたのになぜこんな不便な精神構造に改造されてしまったかのかというと、単純明快、わたしのすきな人が贔屓目なしに優しく慈愛に満ちた心の持ち主だからである。


「そうだなあ……優しいところかな」


 けれどいざ「のどこがすきなの?」と聞かれた来馬くんにそんな返答をされてしまうと、申し訳なさに襲われてしまうのだった。

 三門市大一号棟の入り口に待ち合わせ時間ぴったりに着いたわたしはきょろきょろと目的の人物を探していた。四限終わりの時間で校舎内に人の姿は多く、特別目立った容姿をしてるわけでもない彼を見つけるのはなかなかに至難の技だった(もちろんそれは逆の立場でも言えるのだけど)。携帯には数分前に「待ってるね」との連絡が来ているから、この辺りにいるのは確実だ。電話したほうが早いかな、思いながら足を動かして移動したところで、聞こえたのがさっきの会話だった。

 ピタリと立ち止まって俯く。……違う来馬くんは褒めてくれたんだ。思って静かに息を吐いた。ああバカ、わたし、何を考えたんだよ。自分が嫌になる。
 つまるところわたしは真っ先に、嫌味かもって思ってしまったのだ。そんなことを考えてしまうあたりまだまだ優しくなんてない。来馬くんは嫌味を言う人じゃない。わかってる、ただ自分に自信がなくて、額面通りに言葉を受け取れないわたしが悪いのだ。
 否定もせず「ありがちだなあ」と返した相手の男の人がわたしに気付き、「あ、」と声をあげた。背中を向けていた来馬くんがえ?と驚いた顔で振り返ったので、わたしは気まずく苦笑いで手を振ると、来馬くんも照れくさそうに手を振り返してくれた。


「じゃあ俺行くわ。じゃーな」
「あ、うん。また明日」


 来馬くんの友だちはそう言って出入り口へと去っていった。背が高めの彼はボーダーの人だったろうか。来馬くんの交友関係は広い。誰にでもすかれる来馬くんの知り合いを、大学に限ってもまだ把握しきれていなかった。あの人は、わたしの名前を知ってたみたいだけど。二人無言で彼を見送り、人混みに消えたところで来馬くんが「僕たちも行こうか」と切り出した。表情はやっぱり照れくさそうで、ここでわたしはようやく、彼に褒められたことにむずむずと嬉しくなるのだった。





 来馬くんの家にお邪魔し、まっすぐ自室に通される。今日は最初からこの予定で、いつ来ても片付いている彼の部屋でレポートの課題をやろうとの目論見だった。今日の一限の講義は二人で受けた。出席とレポートさえこなせば一番上の評価をもらえるから、そこそこ人気な科目なのだ。四月の抽選を見事勝ち抜いたわたしが初めて来馬くんと話したのも、この講義が終わったあとだった。


「飲み物持ってくるね」
「あ、うんありがとう」


 カバンを置いたあと来馬くんはすぐに部屋を出て行った。来馬くんという人の家がお金持ちということを知ったのはいつだったろうか。持っているものが高そうだなあとは思っていたけれど、本人に聞いたことはないし、風の噂のように友人から聞いただけだった。でもきっと間違いじゃないんだろうなあ。広い空間に自分が存在するのは今日が初めてじゃない。でもまだ慣れるほどでもない。ベッドやテレビだけじゃなく二人が向かい合って勉強できるテーブルがある。そこにカバンを置いて、ぐるっと部屋を見回す。足を踏み出す。


「……」


 部屋でひときわ存在感を放つそれと向き合うように腰を下ろすと、ふかふかの絨毯のおかげで体育座りでもお尻は少しも痛くなかった。
 棚の上に飾られている水槽。その中を泳ぐ熱帯魚をぼんやりと見つめてると時間が経つのを忘れられる気がした。初めてここに来たときも、二人ともどぎまぎしていたのに、熱帯魚を見ながら話していたらいつの間にか緊張はほぐれていた。

 この色とりどりのサンゴや魚を、来馬くんが愛情深く育てているのだと思うと、わたしはもう、心臓がきゅうとなるくらい、幸せな気持ちに、なるよ。

 来馬くんをすきになってからいろんなアプローチをして、半ば力任せの告白でOKの返事をもらった。自信はなかったけれど、いつ誰に先を越されるかわかったもんじゃないから焦っていた。「ありがとう、僕もさんのことがすきです。……僕でよければ、これから、よろしくお願いします」あまりに嬉しくて、そう応えてくれた来馬くんの前で感極まって泣いてしまった。彼はちょっと驚いたあと、やさしく背中を撫でてくれた。よく覚えてる、きっと一生忘れない。


「来馬くん…」


 曲げた膝に額をくっ付けて伏せる。本当に、あの優しい来馬くんと付き合えているのは奇跡だ。わたしの運は使い果たした。これ以上文句も贅沢も言えない。もうこの先何があっても、受け入れるしかないだろう。付き合ったあと、うまくいくことまでは、なけなしの徳では補えないのだ。
 来馬くんに、いつ恋人としてのさよならを切り出されるのか怖い。釣り合わないことを重々承知しているから、来馬くんがいつか愛想を尽かすんじゃないかと日々怯えている。でも来馬くんは優しいから別れを切り出せないかもしれない。その場合、わたしから切り出してあげるべきだけど、「性格悪い」わたしにそんな決断を下せるだろうか。現時点で全然想像できない。


「来馬くんと結婚したい…」


 できないなら今のうちに死んでおきたい。来馬くんのそばにいたい。嫌われたくない。こんなわたしでもすきだって思っていてほしい。ごちゃごちゃの気持ちはいつまでも自分勝手で、来馬くんといる時間がただただ幸せだった。

 ふと、嫌な予感がして顔を上げる。アクアリウムが視界に映る。サンゴや熱帯魚の極彩色で見えにくいけれど、反射する水槽に、部屋の入り口で立っている来馬くんが写っていた。

 ガバッと振り向く。思った通りの場所に彼はいた。瞬時に先ほど口に出した言葉を思い出してカッと熱くなる。もしかしたら聞こえていないかもとの淡い期待は来馬くんの赤い頬と変な顔で無情にも消え失せた。「あ、わ……わ…」や、やばい…!やばい!!気持ち悪いこと聞かれた!!脳内はパニックに陥り言葉が出てこない。体育座りを崩して体勢を向き直すも怖くて立ち上がれない。二人分のティーカップを乗せたトレーを持ったまま来馬くんが「さん、」何か言おうとしたのを、恥ずかしくて遮った。


「わたし全然やさしくないよ!!」


 自分でも何で言ったかわからない。咄嗟に大学でのことが口をついた。「えっ?!」ほら来馬くんも驚いてる、ああもう消えたい…!
 後悔の念に襲われどうしようもできないわたしとは対照的に、「…ああ、」どうやら来馬くんはすぐには何の話かわからなかっただけのようで、少しして納得したあと、意を決したように再度わたしに視線を合わせた。


「そんなことないよ。さんといるといつも安心するよ」


 そんなこと言って、と思う心臓を握る。違う、違う。わかってる信じてる。真っ赤な顔のままぎゅうと口をつぐむ。来馬くんは嫌味も人を傷つける嘘も言わない。だから額面通りに受け取っていいんだ。
 わたし優しい人になりたい。今は穿って聞こえてしまっても、わたしの精神構造は今もなお改造が進んでいるのだ。きっといつか来馬くんの言葉を素直に受け止めて喜べる彼女になれるはず。そうなりたい。


「がんばります…」
「えっ?」
「れ、レポートがんばります!」
「あ、うん……そうだね」


 押し切って話題を九十度曲げた。来馬くん困ってる、こういうとこも治さないといけないんだよね、告白のときもこんな感じだったよわたし…!もはやヤケクソでずんずんとテーブルへ歩み寄る。その間来馬くんがじっとわたしを見ていたのになんとなく気付きながらも、紅茶ありがとうと言いながらトレーに乗ったそれへと手を伸ばした。


「…一緒にがんばろうね」


 来馬くんの言葉に顔を上げる。柔らかく包んでくれる優しい目と合う。わかってるんだ、と思うと同時にじわりと涙が滲んだ。いけないまた感極まって泣いてしまう。



とわの恋人であるならば(170909)
title:金星