由多嘉くんがまた木虎さんと個人ランク戦をしたらしい。わたしのB級ランク戦終わりに合わせてどこからか戻ってきた由多嘉くんと始めたテスト勉強の最中に知った。
 王子隊作戦室にある机に広げたノートから一旦目を離し、正面の由多嘉くんを凝視する。そんなわたしに気付かず、彼はノートと問題集に目を落としながら眉間にしわを寄せ、「今度は負けない」とリベンジの炎を燃やしていた。


「ま、またやるの…?」
「当たり前だ。このままじゃ引き下がれない。ましてや自分より上手の相手を避けていたんじゃ、いつまでも上達しないだろう」
「そうだけど…」


 向上心にあっぱれと拍手を送りたい気持ちはあるものの胸中は複雑だ。幼なじみの由多嘉くんは昔から、自分で決めたことに対してどこまでも真摯に取り組む人だった。ボーダーに入り、王子隊に配属されてからは一層鍛錬に励むようになり、あっという間に同期のわたしが少しも敵わないレベルに上達してしまった。何事にも真面目な彼は文武両道を謳うかのごとく学校でも成績優秀で、生徒会長を務めているし運動神経も抜群だ。そんなだから、正直、由多嘉くんがわたしのことを幼なじみ以上には思ってないだろうことは言わずとも知れていた。だとしても今はいいやと思えていたのは、単に、由多嘉くんの浮いた話を聞いたことがなかったからだ。


「……木虎さん」
「ん?」
「木虎さんのことあんまり見ないで〜…!」


 手で顔を覆い隠す。ほんとに、バカ、迂闊だった、まさかここに来て由多嘉くんの目に留まる女の子が現れるなんて、思ってもみなかった。いやよく考えたら簡単に予想できることなのだけど、十四年生きてきて由多嘉くんの浮かなさっぷりに完全に油断していた。ボーダーという新しいコミュニティに属しても、由多嘉くんにはわたししかいないと慢心していたのだ。


「? どういう意味だ?」
「ゆ……由多嘉くんはわたしの面倒で手一杯でしょ!」
「いや。はよく言うが、それほど手はかかってないよ」


 はっきり否定されて嬉しいような困るような。小学生の頃、勉強も運動も由多嘉くんのレベルに追いつかないことを察したわたしは早々に彼の足手まといへジョブチェンジした。テストの度にわからないところを聞きに行き、運動会のたびに練習に付き合わせた。由多嘉くんはわたしを優先してくれるわけではないものの、忙しい身でありながらちゃんと順番を待てば相手をしてくれる人だった。中学最高学年になった今だって、幼なじみという特権と彼の公平性に甘えて一緒にテスト勉強をしている。手がかかっていないはずがないのだ。現に木虎さんと比べたら一目瞭然だろう。


、そこ間違ってるんじゃないか?」
「えっ、…あっほんとだ。ありがとー…」


 ついさっき解いた問題の答えが間違ってることを由多嘉くんの指摘で気付いた。急いで途中式から答えまで消しゴムで消す。同じページの同じ問題を解いているから彼も気付けたのだろう。「ケアレスミス」へへ、と肩をすくめると、由多嘉くんも小さく笑みを浮かべた。


「……由多嘉くん、テスト終わったらわたしともランク戦してね」
「ああ、もちろん」
「木虎さんよりもたくさんだよ!」
「あ、ああ」


 無理やり約束を取り付ける。ごめん由多嘉くん、絶対わたしより木虎さんと戦う方が有意義だけど、わがままに付き合ってほしい。そうでもしなきゃ君は簡単に手の届かないところへ行ってしまうのだ。顎に手を当て考え込む姿を盗み見る。


「…も木虎さんが気になるのか」
「も」?!」
「?!」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。イスの背もたれに背中をガッとぶつける。痛い。由多嘉くんもさすがにびっくりしてる。でも今は気にしてられない。


「なっ、ゆ、由多嘉くんも…?!」
「そりゃあ……悔しいが始めは手も足も出なかったんだ。同い年のガンナーで…今はオールラウンダーだが、自分の至らない部分に気付けた相手だ。気にして当然だろう」


 淡々と語る由多嘉くんに背筋が冷えていく感覚を覚える。そんなこと言って、のちのち恋とかになったらどうするの…!
 そういえば今まで由多嘉くんがどんな人をすきになるのか考えたことがなかった。本当に、ここ最近までまったく危機感がなかったのだ。だって由多嘉くんは優しいから、駄目なわたしを見捨てずにいてくれるし、勉強や練習に付き合わせてもいいよって言ってくれる。だからきっと、付き合ってって言ったら仕方ないなって受けとめてくれる。と思ってた。
 途方もない気持ちで自分のノートを見下ろす。さっきから一問も進んでない。途中を間違えた問題は、前に由多嘉くんに聞いたところだから、わかる。わかるけど、今日はもう無理かもしれない。

 わたしの由多嘉くんがとられちゃう。


?わからないところがあるのか?」
「う、ううん!ちょっとボーッとしてた。あはは…」
「疲れたならもう帰ろうか。おれも今日のノルマは終わったから」
「…うん!」


 頷いて、由多嘉くんが了承したのを見てからノートたちを片付け始める。じわじわと頬が火照りだす。
 同級生に、真面目な由多嘉くんと馬鹿なわたしがどういう風にコミュニケーションを取っているのか、聞かれたことがあった。こうだよ。

 由多嘉くんはきっと、今日のB級ランク戦で疲れたと思ってくれたんだろう。優しいなあ。まったく無関係なわけじゃないけど、主な理由じゃないことを知らない。でも由多嘉くんは気遣ってくれる。気を遣って、いつもわたしと同じレベルまで下がってきてくれる。

 学校のカバンに教材をしまい、作戦室を出る。まだ夕暮れにもなってない時間だ。連絡通路から外に出ると、強い日差しに照りつけられる。中間試験まであと少しだ。テストが終わるまで、きっとまた由多嘉くんにお願いして、一緒に勉強するだろう。そんな未来を想像して心は安堵する。


「わたし由多嘉くんと幼なじみでほんとよかったなー!」
「なんだ、突然?」


 隣の由多嘉くんが首をかしげる。突然じゃないよ、いつも思ってるよ。わたしのこと見捨てないでくれてありがとう。ぐっと拳を作ってみせる。


「由多嘉くん!わたし六頴館絶対行くよ!死んでも行く!」
「ああ、おれも第一志望だ。お互い頑張ろう」
「うん!」


 由多嘉くんが行くからわたしも行きたいんだよ。勉強頑張って、絶対に同じ学校に行きたい。
 勉強だけじゃない。ボーダーの訓練も頑張る。由多嘉くんに見合う女の子になるのはとても大変だけれど、きっと由多嘉くん、頑張らない子より頑張る子の方がすきだものね。



一つずつ積み上げて(191023)
title:金星